[解説]
これは、韓国ソウルのインディーズ系音楽シーンでYamagata Tweaksterとしての活躍するHahn Vad氏が2010年に書いた文章の翻訳です。当時、ソウルの学生街・若者街で音楽の街としても知られるホンデ地域では、再開発のための立ち退きがあちこちで起きていました。そのなかで、本文中にも出てくるトゥリバンという小さな大衆食堂が立ち退き拒否の座り込み闘争を開始し、電気さえ止められた店内でインディーズ系のミュージシャンたちがライブ・パーティーを開いたり、映画上映会を開催したりして、トゥリバンの闘争を支援し、共に闘いました。そのさなかに書かれたのが、この文章です。
本文中で主題となる「インディ」という言葉は、いわゆるインディーズ系の音楽シーンをあらわすとともに、K-POPに代表されるようなメジャーな音楽シーン(「大衆音楽市場」)に抵抗する精神性もあらわしています。ホンデの街では、1990年代から小規模なライブハウスやクラブが出現し、インディーズ系の音楽シーンが発展してきました。しかし、ホンデがインディ音楽の街として有名になってくると、そのことが資本の流入を招くことにもなって地価の高騰を招き、再開発が進められることにもなりました。インディーズ音楽が盛んな地域というイメージそのものが商品化され(当然インディーズ音楽じたいも商品化される)、メジャーな音楽シーンに対する抵抗としてのインディ精神も形骸化します。
再開発のための立ち退きを拒否したトゥリバン闘争に、Yamagata Tweaksterをはじめとする数多くのインディ音楽家たちが結集したのは、資本の流入によるインディ音楽シーンの変質と、再開発のための地上げ・立ち退きによる地域社会の解体・再編との間に共通する資本の力学を見出したからだと思います。資本主義は生活の全領域に浸透し、あらゆるものをパッケージ化して商品にしてしまいます。そのなかで、音楽の生産・流通・消費のしくみを自分たちで資本の力学から独立してつくっていくことはできるのか。「インディ」から出発したHahn Vad氏は、この文章で「自立」の可能性について問いかけています。(編集部)
Hahn Vad (한받)(ウエタジロウ訳)
インディ音楽家は、なぜ「生存」にしがみつきながら「自立」を考えるようになったのか?
李明博(イ・ミョンバク)政権(以下、体制)が発足し、国民一人一人の「生存」が重要な問題として取り上げられた。
もはや政府が大多数の国民側に立っていないことが明らかとなり、蓄積された資本がなければ生存も不確実となる「経済」中心の社会へ移行しているのだ。これは「XX万ウォン世代」という本が(奇しくも)ベストセラーになる状況を見れば、よりいっそうはっきりとする。私たちは私たちのお金を使いながら(消費しながら)私たち自身の人生を事実確認(射殺!)したいのだ(私たちの現実を強い調子で批判する本を読みながら、自ら進んで消費者となっている。そして相変わらず変わらない現実も付録として体験する)。
最近では「下女」もこの流れに加わった。
再び「インディ」の話に戻すと、主として資本からの「独立」を主張し何度も訴えているように見えるインディ音楽家たちも大韓民国の国民であるがゆえに、李明博体制下において彼らの「生存」も同じく深刻な問題、あるいは悩みの種となった。
というのは、今までインディ音楽家たちは[抵抗の精神(囲い)/多様性の標本/大衆音楽のアンチテーゼという名誉]の下で満足しながら、音楽家としての生存のための努力をせずに他の形で生計を立ててきたからだ(もちろんインディ音楽シーン初期、大半の音楽家が学生という問題もあった)。
特に驚くことでもないが、「独立」と「インディ」も初めから、それなりの「商品」であり「包装」であった。
それが既存の商業音楽シーンに対するアンチテーゼとして生まれ、既存の産業に肉薄したり抱き込まれたりもするような「産業」に発展した例は、アメリカ、イギリス、日本など、巨大な音楽市場の国々を見れば分かる(後でも明らかにすると思うが、私はそういう産業化を主張しない)。
同様に韓国でも「インディ」という相対的に「小さい」市場の中で、全く同じ「商品」でありながら「商品ではないふり」をしたり、商品でないと「錯覚」していた。
それが、まさに「インディ」の矛盾だ。
[資本からの独立]というテーゼから発生した、ある「抵抗」の精神を担保にして、音楽家の実際の生活/生存の問題を等閑視したこと、それがまさに「インディ」の現実なのだ。
あるいは消費者と生産者のすべてが、この無駄なこと(抵抗、多様性、大衆商業歌謡のアンチテーゼ——善へ到達しようとする者の名誉——、ヒップスターの欲求満足)を求めてここまで来たのである。
そういった素晴らしい精神と名誉を求めて活動する音楽家は、いつの間にか立身出世(!)を願いつつ、自身の活動に対する正当な扱い(対価)について、いつまでも沈黙を続ける。代わりに一時の注目と関心、自分自身の満足感に酔いしれ、何年かの間(音楽)活動を続けた後、労働者として回帰するのだ。「ヒトリガ」のように。
ここで、相対的に小規模なインディ音楽市場を、その主要な構成員別に分けて、何が大衆音楽市場と違うのかを見てみよう。
おおきく見れば、インディという巨大な精神のもとで、音楽家‐媒体‐消費者のつながりを考えてみることができる。
1.音楽家
加工される前の音楽(歌)を作り出す。音楽生産においては労働者だとみなせる。
2.クラブ(ダンスクラブでなくライブクラブ)とレーベル(時として流通だけ担当する業者も含む)
選抜と集中(投資)を通して、原材料である音楽(歌)を加工し、商品である音源/レコード/公演などを企画/主催製作して広報/流通/配給/販売する。 商品生産においては資本家とみなせる。
3.レコード販売店/音源販売サイト
商品である音源/レコードを販売する。
4.評論家、ジャーナル、放送
ある観点が反映されて選ばれた商品や音楽家を、興味ある大衆に知らせる。
5.消費者
選んだ音楽家の商品(音源/レコード/公演など)を購入する。 特定の音楽家のファン層を形成したりもする。
これは大衆音楽市場と、どう違うのか?
まずは「クラブ」と「レーベル」という存在が何よりも違う点だ。
大衆音楽市場は企画会社で抜擢して育てたアーティスト(歌手として作詞/作曲家は別にいる)が主にテレビ番組に出演しながら消費者の購買意欲を呼び起こすことであるなら、インディ音楽市場はクラブとレーベルから選ばれた音楽家(作詞/作曲を兼ねたシンガーソングライターあるいはバンド)が公演とレコードを通じて限られた消費者(主により積極的でそれなりにヒップスターである若い層、そして自ら音楽を探して聴こうとする音楽マニアも含む)と出会いながら持続しているのだ。
「限られた」と書いた理由は、既存の商業大衆媒体ではインディ音楽をしっかり扱っていないこと、そしてインディ音楽は相対的にあまり知られていない小規模レーベルを通じてレコードが発売され、またライブクラブという限定された空間で(インディ音楽家たちの)公演に接することができるが、それを共有できる層は限定されるからである。
その音楽が大衆音楽と完全に違った性格(即興音楽、実験音楽など)を持っていることもあるが、ほとんどは大衆の普遍的感性を刺激する音楽だ。しかし、それを商品化するにあたり資本が多く得られないインディ音楽は、大衆音楽に比べて相対的に流れは悪く、出来栄えなども一般大衆が接するのに負担となる部分がある。
ここで見逃してはいけないことは「インディ」を扱うクラブやレーベルのような媒体も商業的でなければならないという事実だ。
なぜなら彼らは、原料(音楽)を直接作らず選んだ音楽家が作り出した音楽(歌)を加工した商品に集中(投資)をして利潤を残さなければならないからである。
ここで「資本からの独立としてのインディ」が虚像であることが明らかになる。
資本からの独立は、愛国の志士が運営していたり、奉仕団体でない以上、クラブとレーベルを通してでは(独立は)最初から不可能である。
あるいは「インディ」というものは最初から資本からの独立を目指したものではなかったのだ。
あの有名な海外のインディ音楽市場を見よ。資本から独立したインディ音楽市場が、どこの国に形成されているのか?
しかし、なぜ「インディ」がそのような形で韓国に入ってきたのだろうか?
単純にインディはインディペンデントの略字で、インディペンデントが独立を意味するから?
いや、もうすこし根源的な部分を考えてみよう。
「資本からの独立」というものが果たして可能なのだろうか?
これは、また別の消費を助長するための、「資本からの独立」という個性と希少性の価値を付与した資本主義商品市場の籠絡にすぎないのではないのか?
私はここに、すべての問題の糸口があると考える。
「インディ」といっても市場でないことはない。
「インディ」といっても資本から独立しているわけではない。
なぜ商品でないように見せかけるのだろうか。市場ではない形にしたのだろうか、導入期に何か運動圏(活動家)のにおいがする。
文化談義のために必要な概念であったのか?
そうでなければ90年代中盤に抵抗精神をいだいて「インディ」を企画した彼らは現在どこで何を考えているのか?
(もし資本からの独立が望ましいならば、それを可能にするにはどうすべきか?)
このあたりで、すこし私の話をしよう。
私は2003年4月、クラブ「パン」から公演を始めた7年目のインディ音楽家だ。
私は、それなりにインディに対する幻想があったし、始まりは90年代中盤だった。
私はインディ音楽の旺盛な消費者であり、「今日の予感」「レビュー」「サブ」などの季刊誌、雑誌の熱烈な愛読者だった。たぶん私は、それらから学んだのかもしれない。
資本に対する抵抗、資本からの独立のような精神のことを。
いや、ただ私が「商業」を甘く見て、人の気も知らず純真だったのかもしれない。
しかし、私が2003年から小さな音楽家として活動を始めて何年も経たない頃、自分が「虚像としてのインディ」を所持していることに気がついた。私は2003年から2008年までの6年間ずっと「ソウルフリンジフェスティバル」に参加した。参加しながら不満も多かったが、毎年同じように繰り返されるインディ祭というのに嫌気がさした。「インディ」に対する再認識の決定的な契機は、私が2006年1月から8月まで約8ヶ月間、今はなくなってしまった「Ladyfish Pop Hall」というクラブのマネジャーとして仕事をしながら感じた経験からだ。そのクラブは「上水道」というクラブがあったところで、90年代初~中頃に新しく弘大前(ホンデアッ)文化の活力源となった歴史ある場所であるから、ここならやっていけると思わせるそんな場所だった。だが私は、そこである活力を見たというよりは疲れ果てた。その期間の間、周辺のクラブからの一種の牽制も体験したし、クラブ間のあつれきも見たし、某クラブから他のクラブでの公演を自制することを要請されたりもした。数多くの公演を企画しながら観客が来ないことに虚脱していたし、インディ音楽家たちも商業的に分類されるのを見た。知らず知らずのうちに、この地も資本主義市場原理によって維持されていることに気づいたのだ。
私と友人たちは、だんだんと新村(シンチョン)のように遊興酒屋が増え商業的に変わっていく弘大前で危機意識を感じ、それなりに自由な空間といえる(なぜなら目的を喪失しているため)西橋地下道で毎週風変わりな公演を開いたりもした。
だが、しばらくすると西橋地下道はバス中央専用車路制の施行のため、効率という名目の下であたかも元々なかったかのように消えてしまったのが昨年のことだ。
今年の初め、トゥリバンの話を聞いた。貪欲な資本の乱暴なふるまいによって追い出される危機にさらされたトゥリバンの事情は、私や友人たちのような小さな音楽家の事情と違いはなかった。そのまますぐトゥリバンに合流し、毎週土曜日[砂漠の井戸、トゥリバン自立音楽会]を開催している。
政府がニュータウン政策を押しつけて都市の中に砂漠を作るのであれば、私たちはそこへ行って、私たちの公演でオアシスを作るだろう。
私の話はこの程度にして、最近の新しい流れについて見てみよう。
まず音楽家として音楽を作り出す条件がよりいっそう良くなった。
2000年代に入って技術の発展——コンピューター(PC)を利用したホームレコーディング技術——によって音楽家自身が既存の原料——音楽(歌)だけでなく、それを加工させて商品化させた2次生産品である音源、レコード、公演など——を、今では簡単に製作/企画/主催することができるようになった。
また、レコード販売でもミュージックビデオを作ってYouTubeのようなサイトを通して広報もすることができることで、実にチャネルは増殖し多様化した。
私自身は2006年冬に第3集アルバムを自主製作して200枚を販売し、2009年8月には第4集アルバムを製作販売している(現在まで600枚を販売)。そして、クラブの公演スケジュールにもよるけれども、自分で自主的に公演を企画したりもする。だから私は自分自身を、完全な自立に至らないとはいえ、自立を指向しながら自立を試みる音楽家、すなわち、「始まれば半分」(諺:始まってしまえば半分は終わったも同然)という意味で「半-自立音楽家」として説明する。
音源/レコード自体の販売の例は限りなく多い——最近の例では「ギャラクシー・エクスプレス」がレーベルとして独立し自発的に30日だけでレコードを作るといった嘘のようなプロジェクトを立派に成しとげた。公演の例では、路上公演を通じて月給(?)を稼ぐことを好んでするバンドが上げられる。
しかし、実際にはほとんどの音楽家たちは別の仕事を通して生計を維持しなければならない。
(もちろんここで、大学生‐音楽家は論外だ)
自分のインディ音楽家という地位を維持し生計を立てるために、非正規職労働者として仕事をすることもある。
これが一種のこの小さな音楽市場の中で、音楽家たちの位置を悪化させる。
多くの音楽家は誠実さを、本来の音楽を作ることにではなく、別のこと(不安定な労働)で消費している。
その上、レーベルとクラブに選ばれた音楽家は既存の大衆音楽市場と同様にアーティストのように管理される。
レーベルとクラブが利用し、吐きすてる「インディ」は、もう「小さな」大衆音楽市場だと言ってもいいだろう。
このような状況下で、他の誰でもない
0)音楽家自身が消費者であると同時に「音楽労働者(原料/商品生産者)」であることを自覚し
1)自身の生存のために
2)自身の人生の経験を通じて
3)自ら作り出す音楽が
4)受動的な立場から選別されて商業的媒体を通じ大衆に消費されるのを望まず
5)直接的に消費者を訪ねていって
6)より積極的に販売しようとする
7)能動的態度の一群の音楽家が誕生することになった。それは自立を目指す音楽家たちだ。
もしかしたら私たちが農夫ならば、もう私たちは小作農から自作農になろうとする時かも知れない。
自立は一つの精神というよりは、一つの指ざすところであり、一つの人生の態度だ。
脆弱階層——主に障害者や体の具合が悪い老弱者、心身虚弱者——のために使われる「自立」という単語が、なぜ私たちのような音楽家たちに説かれるのか?
なぜなら、現在の音楽家たちは弱者となんら変わらないからだ。
クラブの公演スケジュールに自身の日程を合わせて、公演スケジュールに自身の名前がなければ失望し恐れる。
レーベルで選ばれなければ自身の音楽が良くなかったという考えに苦しみ、捨てられたと感じる。
弘大(ホンデ)近辺を出て行けば、気を落とし必ずそこから抜け出そうとしなくなる。
今の技術は、私たちが直接商品を作ることができる状況であるのに、私たちは自ら立ち上がり自ら告げる「自立」という態度を考えることができていない。
なぜなら「インディ」という巨大な精神にまだ服属しているためだ。
私たちは資本からの独立のために身を捧げる闘士でない。
私たちは小さな音楽家だ。それを認めよう。
だから、一時の注目と関心に満足しながら延命する理由はこれっぽっちもない。
そうだといって、私たちがしている音楽活動は趣味ではないのではないか?
まして積極的な消費者がいるというのに、私たちは、なぜこのように消極的なのか?
私たちは音楽家として良い音楽を作り出すべきであり、私たちは音楽家として生存のために努力しなければならない。
音楽家としての活動、延命のために努力しなければならない。
ただし、持続的に願い望むこととして、正しく音楽家たちが自身の音楽活動を通して、関心や注目でなく正当な扱い(対価)を受けなければならないということだ。
それを長期的に見ていけば、この小さな音楽シーンを持続させることができるだろう。
「インディ」はもはや、ある「精神」とかではなく、また別の「産業」であり、大衆音楽市場よりは規模が小さいが、いずれにせよ「市場」というものをまず理解しなければならない。
なぜならこれまで「インディ」の隠れている主体が、まさにクラブとレーベルだったからだ。
だから、この小さい市場の実質的な主体である私たち音楽家は、音楽家としての「生存」と、持続的である「優れた音楽」の生産のために「自立」の態度を必要とすることになった。
自立を指向する時、そして自立のために努力する時、私たちは音楽市場の真の主体として消費者に届くはずだ。
音楽の生産と消費が正当に成り立つ音楽市場、もちろん自立を指向する音楽家たちと消費者で構成される現在の音楽市場の性格がどうあるべきかは、もう少し悩んでみなければならないだろう。
だが「自立」が「インディ」のような矛盾を含むような概念にはならないだろう。
なぜならば、それは努力であり態度であり行動であり実践であるためだ。
結局、私たち(自立を指向する音楽家)は連帯へと向かって行くだろう。
註
この文章は2010年トゥリバン闘争が活発な頃、「トゥリバン情報誌」に出す原稿として書かれた。
トゥリバン情報誌に、この原稿が載せられたかは確認できていない。
2010年5月26日22時58分トゥリバンダウムカフェ(Webサイト)に掲載された。閲覧数は241回。
(原文リンク: http://cafe.daum.net/duriban/9LvX/6 )
인디음악가는 '생존'을 위해 '자립'을 요청한다.
本稿の著者Hahn VadはYamagata Tweaksterと同一人物である。
* 翻訳ver.1(2014/01/13)初出。
** 翻訳ver.2(2014/01/15)「解説」追加、訳文微修正。