渡邊太(わたなべ・ふとし)
日本社会では、1990年代はじめにバブル景気*1が崩壊し、「失われた10年」とも「失われた20年」とも言われる長期的不況のなかで、「コスト削減」「合理化」の掛け声のもと、まずリストラの対象とされたのはこれから働きはじめようとする新卒の若者たちだった。1994年頃に「就職氷河期」という言葉が使い始められ、その後、多少の浮沈はあるものの若年者失業率は上昇し続け、派遣社員、アルバイトなどの非正規労働に従事する者は着実に増加している。
*1 1985年のプラザ合意をきかっけとして円高が発生し、輸出産業の打撃による不況を回避すべく日本銀行は低金利政策を採用したが、その結果として投機熱が高まり、余剰化した資本が土地と株に投下され、地価と株価が果てしなく上昇し、バブル景気となった。また、円高による海外旅行、海外ブランド品の購入など個人消費も盛んになり、消費社会の夢が日本社会を覆っていた。わけのわからない金融商品が売られ、人々はディスコで踊り明かした。土地が値上がりするものだから暴力的な地上げが発生し、都心部に住む貧民は土地を追われた。クリスマスにはホテルのレストランが満席になった。
バブル景気に賑わっていた1980年代後半には、アルバイト情報誌などで「フリーター」(Free + Arbeiterの造語)という言葉が登場し、正社員ではなくパート・アルバイトとして働くことは、会社に縛られない自由で気ままな働き方として明るく華やかなイメージで語られた。しかし、1990年代以降、長引く不況のなかでフリーターのイメージは否定的に反転し、先の見えない不安定な働き方を意味するものとして受け取られるようになった。フリーターとして働く若者たち*2は、将来のことを真面目に考えず短絡的にフリーターを選択しているとして批判的に見られた。
*2 パート、アルバイトで働くのは若者に限られないが、労働政策を司る厚生労働省の定義ではフリーターは、15歳~34歳と定義されているため、フリーター=若者のイメージは現在も根強くある。
他方で、1990年代後半から、自室や自宅に閉じこもり他者との社会的かかわりをもたない「ひきこもり」と呼ばれる現象への社会的関心が徐々に高まり、2000年代に入って発生したいくつかの事件をきっかけにひきこもり現象がマスメディアの注目を集めた。典型的な「豊かな社会の病理」として評論されることも多いが、ひきこもった結果として餓死に至ったとみられる事例も報告されている。一般的に、ひきこもるのは男性に多い傾向があると言われ、働くことへの強迫が強い余り、かえって社会的関係が切断されたままになっているのだとすれば、過労死を先取りした状態ともいえる。
ひきこもっているとは限らないが、働いていないし仕事を探そうともしていない若者は「ニート」(NEET=Not in Employment, Education or Training)と呼ばれ、2004年頃にマスメディアで話題となり、労働政策として様々なニート対策事業が行なわれた。当時、テレビ番組に登場したニート青年が「働いたら負けだと思っている」と発言したことが注目され、ニートを侮蔑する言説がマスメディアとインターネットに噴出した。
フリーター、ニート、ひきこもりは、社会に歓迎されていない。歓迎されていないが、組み込まれ、利用されている。フリーターは安価で従順で柔軟な労働力として、ひきこもり、ニートはものいわぬ消費者として、そして崩壊しつつある経済成長神話のイケニエとして。
賃労働と資本のシステムにおいて、働くことと生きることは既に切断されている。働いていれば生きていける、というわけではない。過労死、過労自殺、労働災害による事故死。フルタイムで働いても最低限の生活が維持できない賃金。いつ途切れるかわからない不安定な雇用契約。働かないと生きていけないが、働いても生きていける保証はない。非正規で働くフリーターは半人前扱いされ、働いていないニートやひきこもりは、生きる資格がないとさえ言われる。そこでは、いったい誰が生きる資格を与えたり与えなかったりしているのか。
コモンズ大学では、働きたくない、仕事に行くのが面倒だ、という話をずっとしてきた。働きたくない、という思想はたいていどこでも評判が悪い。労働者の待遇改善のために苦労している労働組合の活動家から叱られることもあるし、社会政策や労働経済を研究している学者からは冷たい目で見られる。正社員からは蔑まれる。しかし、一見すると働いていないように見える失業者やニートもそれなりに生きるために働いている。何をもって働いている/働いていない、とみなすのか、その規準をつくっているのは誰か。障碍者運動の「青い芝の会」は、「寝たっきりの重症者がオムツを替えて貰う時、腰をうかせようと一生懸命やることがその人にとって即ち重労働としてみられるべきなのです」*3と問題提起した。
働いていない? そういうお前は働いているのか? 仕事をよこせ、働きたくない、もう既に十分に働いている、この三位一体から議論を始めたい。
*3 横塚晃一『母よ! 殺すな』生活書院、2010年、56-57頁。