第22回 志向(1)

「生きる目的」として、人は人生に、

過去への経験、成果を求める(豊かさ)、

現在の快楽、喜びを求める(楽しさ)、

将来に可能性、安定を求める(安定)、と述べました。

「豊かさ」は、充実感、

「楽しさ」は、快感、

「安定」は、解放感と言えます。

究極、この感覚を得るために、人は生きていると言えます。

目の前にぶら下げられた、三本のニンジンです。

ニンジンを追いかけて走り、そのニンジンを手に入れたとき、

人は「生きる喜び」に満たされます。

「生きる喜び」において、以下のように述べました。

人の意識は、認識・記憶野―欲求野―感情野―意識野の回路から

出来ていて、「生きる喜び」は、それぞれの分野で感じることが出来ます。

認識・記憶野・・・五感で感じる喜び、ものごとを認識、記憶、回顧する喜び

欲求野・・・・・・・・本能による欲求が引き起こり、満たされる喜び

感情野・・・・・・・・全身の活性化、沈静化を感じる喜び

意識野・・・・・・・・ものごとへの対応、達成、創造の喜び

これらの喜びが、人を「生きる苦しみ」に立ち向かせ、生きさせるのです。

意識回路が、欲求野を中心に回っているように、

これらの喜びも、欲求が中心に引き起こされます。

欲求は、どのように生まれるのでしょうか?

人の脳は、簡単に例えると、

ハ虫類の脳、ホ乳類の脳、サルの脳、ヒトの脳の四層構造です。

ハ虫類の脳は、生存本能で、貪欲になります。

ホ乳類の脳は、さらに、種存本能で、貪欲になります。

サルの脳は、さらに、存在本能で、貪欲になります。

ヒトの脳は、さらに、達成欲求で、貪欲になります。

これらの欲望は満たされれば快楽、満たされなければ不快苦を受けます。

人は、環境に働きかけ、環境を自分に適応するように変えれる唯一の

生き物です。

人は、そのために色々な道具を使います。

そして時間も、その道具の一つです。

果実をその場で食べてしまうのでなく、土に埋め、時間をかけて養うことで、

木として育ち、より多くの果実を得ることが可能となります。

人は、その場の衝動的な快楽を捨て、その快楽を時間をかけて

成熟させることで、さらに大きな快楽を得ることを知りました。

待つことには、我慢(がまん)が必要です。

時間を操るには、秩序が必要です。

秩序は、さらに高度の秩序を求めます。

高度の秩序は、全体的で包括(ほうかつ)的です。

論理的で、システマチックで、バランスがとれ、シンプルなものを目指します。

それが、人の心の中から生まれる「志向気流」です。

快楽は、その成熟によって、爽快に変化します。

爽快については、第20章「幸福」で、くわしく論じました。

爽快は、「志向気流」がもたらす快感です。

志向気流は幸福を目指すとともに、幸福を引き寄せ、巻き込みます。

私たちは、日々の暮らしの中で、多くの困難に出会い、

不快や苦しみを受けます。

爽快など、めったに感じることもなく、そのあてもなさに頼りなく思うでしょう。

目先の快楽に、身もだえするかもしれません。

我慢して、その先に待っているのは、絶望かもしれません。

志向気流は、簡単に尻すぼみになってしまうでしょう。

それでも私たちは、志向気流を信じ、それを引き起こさなければなりません。

そしてそれを導くのは、私たちの中の、自己神です。