第14回 生きる喜び

細胞はエネルギーを得て、それを機能として発散(はっさん)します。

その発散が、環境からの阻害(そがい)を退(しりぞ)けます。

生命は、環境に解放されます。

刺激を感じることの出来る生物は、そこに解放感を感じます。

それが、生命感―生きる喜びとなります。

すなわち、生命神が与えた「生きる力」が、「生きる喜び」となって

発散されたのです。

人もまた、「生きる喜び」を感じます。

人の意識は、認識・記憶野―欲求野―感情野―意識野の回路から

出来ていると述べました。

「生きる喜び」は、それぞれの分野で感じることが出来ます。

認識・記憶野・・・五感で感じる喜び、ものごとを認識、記憶、回顧する喜び

欲求野・・・・・・・・本能による欲求が引き起こり、満たされる喜び

感情野・・・・・・・・全身の活性化、沈静化を感じる喜び

意識野・・・・・・・・ものごとへの対応、達成、創造の喜び

これらの喜びが、人を「生きる苦しみ」に立ち向かせ、生きさせるのです。

自己に対して、また環境に対して、秩序の形成の必要を述べてきました。

秩序とは、その全体構造が、

論理的である・・・因果の法則、確率に従っている。

システム的である・・・空間的または時間的に、順序が守られている。

バランスがとれている・・・全体の調和がとれ、安定している。

シンプルである・・・煩雑(はんざつ)さ、混乱がなく整理整頓されている。

ということであり、これらの秩序が、人間社会で、ある程度整っているならば、

人は、それほど多くの「生きる苦しみ」を受けなくてすむでしょう。

しかし、前章で述べたように、人は「業」、「宿業」に捉われて、

秩序形成の妨害をする、障害になる、または破壊を行います。

前回、人にとって、生きることは苦痛で、その中で喜びがぽつんぽつんと、

浮かび上がってくるようなものと述べましたが、そのわずかな「生きる喜び」で、

人は、「生きる苦しみ」に立ち向かっていかなければなりません。

それは、邪魔(じゃま)され壊(こわ)されても、また作り続ける姿勢です。

作るのは、自己・環境秩序です。

そしてその方法が、 【諦念】、【愚念】、【脱念】、【悟念】、

そして【信念】です。

「生きる目的」として、人は人生に、

過去への経験、成果を求める(豊かさ)

現在の快楽、喜びを求める(楽しさ)

将来に可能性、安定を求める(安定)

と述べました。

生きる限り、人は「幸せ」を求めなければなりません。

そして、それは自己・環境秩序を整えることです。

「備(そな)えあれば憂(うれ)いなし」のたとえどおりです。

生命神は、人に「生きる力」を与え、「生きる喜び」を与えました。

生命神は「自己・環境秩序」の形成を、指し示しています。

「千里の道も一歩から」のたとえどおり、今より一歩でも前進するように、

あせらず、気にせず、諦(あきら)めず、

そして穏(おだ)やかに、秩序の形成を目指します。

時にはムダに思え、また無秩序の大勢に押し流されそうになるでしょうが、

必ず、あなたに共鳴(きょうめい)してくれる人がいます。

そういう人との出会いは、秩序形成のネットワークを広げられるます。

そのような出会いは、高い意識の喜びとなります。

これもまた、生命神の導(みちび)きです。