第6回 成長欲求
意識は、整った秩序を得ることによって、そのレベルを高めます。
レベルの高い意識は、さらにより整った秩序を目指すようになります。
それが「成長欲求」です。
意識は、経験によって鍛(きた)えられ成長していきます。
鍛えられて、「自己秩序」がより確固(かっこ)としたものに
なっていくということです。
「自己秩序」はやがて、自分の周りの環境も変えようとします。
周りの環境の秩序も整えます。
環境の秩序が「自己秩序」をより確固としたものにするからです。
しかしそれが、自分にとってのみ都合がよいもの、
「自己中心」であっては、他者の持っている秩序を逆に乱してしまいます。
それは結局、環境の秩序を乱すことになります。
そしてやがて、「自己秩序」を脅かすようになります。
それは、本当の「秩序」ではないからです。
他の秩序を乱さないもの、
または他の秩序を成長に導くもの、
それが本当の「環境秩序」と言えます。
そのためには、環境の秩序形成に対してシステマチックに思考し、
行動しなければいけません。
環境を混乱させる:「嘘をつく」「約束を守らない」「形式にこだわる」
自己中心的である:「他人を利用する」「プライドが高い」
「自分の意見に固守する」
消極的である:「なまけもの」「臆病(おくびょう)」「屁理屈を言う」「否定的」
非難的である:「情け知らず」「不満屋」「完璧主義」
以上のような行動をとるものは、「自己秩序」の成長を望まない者です。
彼らは当然、「環境秩序」にも無頓着(むとんちゃく)です。
または環境の秩序を乱して、他人が苦しむさまを見て面白がります。
刹那(せつな)的な自己満足だけで生きている者たちです。
このような人々は多くいます。
誰もが多少はこういう心を持っているかも知れませんが、
その行為がまったく正しいと思っている人も多くいます。
しかし命をつかさどる生命神は、秩序を求めています。
そういう人たちが表面的に幸せに見えることがあっても、
本来、自然に逆らっているのです。
その不安定から、彼らはやがて生命の秩序バランスが乱れます。
乱れたまま調和をとろうとして、
生命維持構造、本能による行動構造、意識や精神構造などが
歪(ゆが)みます。
「自己秩序」の成長を目指すことは、自然の流れなのです。
「成長しよう」という思いがあれば、やがてこの歪みは直ります。
それが誰もが持つ、生命神の「導き、守り、癒(いや)す」力です。
高い意識は秩序の形成を目指しますが、
それは自然に従うということでもあります。
しかしそれは、保守的であるということではありません。
たとえばある地点からある地点へ行く道が数本あるとして、
そのもっとも効率よく進める道を行くのが、そのときの秩序です。
それは素直な心で自然に従えば、たどりつける道です。
しかしさらに効率よく進める道があるかも知れません。
その道には今、大きな岩があって道を塞(ふさ)いでいるかも知れません。
その岩をどけるには苦労がいります。
しかしどければ、より効率よい道-秩序-が現れます。
新たな秩序が構築されます。
もしかして、岩の向こうに道は続いていないかも知れません。
成長するということは、このような苦労やリスクが伴(ともな)うものなのです。
だけど高い意識は、よりよい効率の「自己秩序」「環境秩序」を求めます。
それが「成長欲求」です。
自己秩序および環境秩序の整備によって
人は、下のいくつかの苦しみを避け、また防ぎ、癒します。
疲労苦、不快苦、劣等苦、不満苦、貧乏苦
老苦、病苦、死苦、別離苦、孤独苦
そしてやがて人生に、「爽快(そうかい)」の風が吹きます。
これが、生命神の導きです。