第28回 心の確立

生命を守り、繋(つな)いでいこうとする大きな力があります。

それは、やがて進化を生み出してきた大きな力です。

それは、生命が生命であるための力です。

その力を導くものを、仮に、生命神と名付けました。

生命神は、38億年かかって、環境のなすがままだった生物を、

環境を自ら変えれる生物-ヒトにまで進化させました。

そして、ヒトは初めて自分の存在に気がついた生物です。

それは、環境に気づいたから、自分に気づいたのです。

すなわち、他に気づいたから、自分に気づき、

群れの中の自分に気づいたのです。

群れには、群れを維持(いじ)するルールがあります。

その時からヒトは、群れと自分との間に齟齬(そご)を感じ、

そこに多くの葛藤(かっとう)を生むようにもなりました。

ヒトは、環境をより大きく変えるために、

群れとして行動し、協力し合います。

生命神は、そんな群れの中で、新たな方向性を持ちました。

それは、自分の存在を群れの中で主張することと、

自分を守るために、群れの中に埋没(まいぼつ)することです。

「群れ、または単独で生きる」ことから、「群れの一員として生きる」ことへの

変化により、そこに社会という概念(がいねん)が生まれました。

生命神は、人それぞれの生命神、自己神として発展しました。

ヒトの意識は、認識・記憶野-欲求野-感情野-意識野からなる

意識回路というサイクルを、情報が流れることで生まれていると

述べてきました。

認識・記憶野による、直接的な快不快の刺激、

本能にもとづく欲求野からの欲望、

感情野が全身に送る、快楽追求、不快苦回避の信号、

欲求や行動に応じようと、策を練る意識野の整合性、

これらが、意識回路を巡(めぐ)ります。

そして、身体の制御を、生命神が自動で行っているように

その意識の制御も自動で行うのです。

生命神そして自己神は、自分の欲求と、

他者(群れ)との関わり合いの中で、バランスをとろうとします。

意識の中で起こる葛藤(かっとう)を和(やわ)らげ、

発生したストレスを解消(かいしょう)しようとします。

生命神は、意思を持っているわけではありません。

自然の流れに従っているだけです。

しかし水の流れが、その時々の状況に応じて、

いくつかの流路を作ってしまうように、

その制御の仕方が、自然の流れと言え、

絶対に正しいわけではありません。

意識回路をいくつかの情報が流れることによって、意識が生まれ、

生きていく上での、多くの問題が解決されていきます。

そしてその意識と、そのベースにある無意識の領域(りょういき)、

それらを含めた精神を大きく制御しているのが、自己神です。

たとえば、ある人が、子供のころからひどい待遇の中で育ってきたとします。

その人は受けてきた薄情(はくじょう)な仕打ちから、他人を信じれず、

他人は、自分にとってのただの道具だと思うようになりました。

生命神は、精神の葛藤をなくそうと働くため、

他人の気持ちなど考えない、自己中心的な考えを後押ししてしまいます。

人の意識、すなわち精神の大きな仕組みは、以上のようになっているのです。

精神は、いつも自分、自己の立場にあります。

しかし、精神が成熟すれば、自分を越えた思考

-すなわち他との共鳴によって得られた感動「情」によって、

「慈愛(じあい)」の観念を得るようになります。

それは、意識回路を廻(めぐ)ることによって生まれた、

陽だまりのような、「優しい」領域です。

この領域が生まれることによって、精神は余裕と潤(うるお)いを持ちます。

この領域が、「心」です。

「心」の未熟なものは、ねたみ、恨み、そしりの中に生きます。

「心」の存在に気づいたときが、「心」が確立したときです。

「心」は、生命神に魂を吹き込み、やがてそれを志向神と変えます。

志向神は、自己神のように、人の精神に合わせようとせず、

人を高意識へ導いていきます。