蛋白質溶液学(酵素の性質)
生命を生み出す反応の基本スケールは、0.1 mM、1秒あたり10個
生命を生み出す反応の基本スケールは、0.1 mM、1秒あたり10個
酵素の性質
酵素の研究は通常、希薄な緩衝液中に、多量の気質に少量の酵素を反応させる条件で行われてきた。これも当然で、酵素は触媒として繰り返し反応を進めることができるため、少量で十分に機能するという性質に基づいている。しかし、細胞内における酵素は、こうした触媒としての理想化された条件下ではなく、さまざまな分子が高濃度で共存する複雑な環境で機能している。極端なケースでは、基質よりも酵素の方が多いこともあるだろう。酵素は、むしろ触媒として働くには理想とはいえない条件に適応して進化してきたのである。すなわち、酵素の本来の性質を理解するには、従来とは異なる視点が必要かもしれない。
◆酵素とは
酵素とは、生体内で特定の化学反応を効率よく進めるための、天然に存在する生体触媒である。触媒とは、化学反応を速める物質であり、自らは反応の前後で変化しないという性質を持つ。触媒は反応の進行に必要なエネルギー(いわゆる活性化エネルギー)を低下させることで、より短時間で、あるいは穏やかな条件下で反応を進行させる。酵素は触媒であり、反応後には元の状態に戻るため繰り返し利用可能である。
酵素はタンパク質からなる触媒であり、種類によってはタンパク質だけでなく、補酵素や金属イオンなども使われる。酵素の最大の特徴の一つは、反応の基質に対する特異性が極めて高い点にある。これは多くの化学触媒には見られにくい性質である。例えば、酸化クロムや二酸化マンガンといった無機酸化剤による酸化反応は、芳香族アルコールから脂肪族アルコールまで幅広く酸化してしまい、精密な制御は難しい。一方、酵素は高い基質特異性がある。例えば、チロシナーゼはL-チロシンを基質としてドーパキノンへと酸化する酵素だが、ベンジルアルコールには反応しない。一方、たとえば、ベンジルアルコールデヒドロゲナーゼはベンジルアルコールを基質としてベンズアルデヒドへと酸化するが、L-チロシンには反応しない。他にも、例えば、制限酵素は数塩基の配列を厳密に認識して特定の場所を分解できるし、アルコール脱水素酵素は、特定の立体異性体のアルコールにしか反応せず、同じ構造でも光学異性体が異なると全く触媒されないこともある。このような特定の基質にだけ働く性質を「基質特異性」という。酵素は常温・中性pHといった生体にとって穏やかな条件下でも非常に高い触媒能を発揮し、時には無酵素反応に比べて数百万倍の速度で反応を進めることもある。
酵素は基質と一時的に結合して中間状態を形成し、効率よく生成物へと変換する。この過程は、鍵と鍵穴モデルや誘導適合モデルで説明される。酵素の立体構造がその機能と密接に結びついていることから、構造がわずかに変化するだけでも活性が失われることがある。そのため、酵素は温度やpH、変性剤に対して影響を受けやすい。
◆代謝とは
代謝とは、生体内で起こる一連の化学反応の総称であり、個々の反応は酵素によって触媒される。代謝は主に、エネルギーを産生する「異化」と、物質を合成する「同化」に大別される。たとえば、糖や脂質を分解してATPなどのエネルギーを得る過程は異化反応に、アミノ酸からタンパク質を合成する反応は同化反応に分類される。これらの反応はすべて、特定の酵素によって精密に制御されており、必要なタイミングと部位でのみ進行するようになっているのが、無機触媒などとは違った酵素触媒の特徴である。
異化反応は、糖、脂質、タンパク質などの高分子をより小さな分子に分解し、その過程でエネルギーを取り出す反応である。たとえば、グルコースを分解してATPを産生する解糖系やクエン酸回路は代表的な異化経路である。一方、同化反応は、取り込んだ小さな分子を利用して、細胞構成成分や新しい物質を合成する反応である。例えば、アミノ酸からタンパク質を作る反応や、ヌクレオチドからDNAを合成する反応が該当する。異化で得られたエネルギーは、同化に必要なエネルギーとして再利用され、これら両者は密接に連携して生命活動を支えている。
代謝反応の中心的なエネルギー通貨として機能するのがアデノシン三リン酸(ATP)である。ATPは、異化反応によって産生され、その高エネルギーリン酸結合を切断することでエネルギーを放出し、同化反応や筋収縮、能動輸送、神経伝達などに利用される。細胞内ではATPが絶えず合成・消費されており、ヒトでは1日に体重の数倍ものATPが合成されると言われる。ATPはまた、エネルギーの「一時的な蓄積と放出」という柔軟な性質を持ち、生体内のさまざまな酵素反応を駆動する原動力となっている。
◆平均的な酵素の姿
酵素の性質を理解するには、その活性を定量的に測定する必要がある。一般に、酵素と基質を一定条件下で反応させ、生成物の量を時間ごとに測定することで、反応速度(初速度)を求める。このとき、基質濃度を変化させたときの初速度の変化を解析することで、酵素の触媒効率や基質との親和性を表す重要なパラメータが得られる。代表的なものがVmax(最大反応速度)、KM(ミカエリス定数)、kcat(回転数)である。ミカエリス–メンテン式は、反応初速度を基質濃度の関数として示したものである。KMは、酵素が最大活性の半分の速度で反応するために必要な基質濃度を示し、酵素と基質の親和性の指標となる。一方、kcatは一つの酵素分子が単位時間あたりに変換できる基質分子の数であり、触媒効率を示す重要な指標である。
これらのパラメータは、実験データをミカエリス–メンテン式にフィッティングして求める。コンピュータソフトによるフィッティングができない時代には、初速度と基質濃度の逆数をとって直線でフィッティングするラインウィーバー–バークプロットのプロットが活用されていた。すなわち、1/v を縦軸、1/[S] を横軸にとると直線になり、プロットの切片や傾きからVmaxやKMを求めることができる。しかし、基質が低濃度の時の初速度がグラフで大きな値の位置にプロットされるため、直線を引いたとき誤差の影響が出やすいという欠点があるので注意が必要である。
ここで、酵素の反応効率を表す指標を整理しておきたい(1)。酵素の活性を表す重要な指標に触媒回転数(kcat)がある。kcatは酵素が飽和状態にあるとき、1分子の酵素が1秒あたりに変換する基質分子の数を表す定数である。酵素のkcatの平均値は約13 /秒である。効率が高い酵素として知られるカルボニックアンヒドラーゼやスーパーオキシドディスムターゼなどは、kcatが1万の桁になるものもある。
ミカエリス定数(KM)も酵素の重要な指標である。KMは酵素反応速度が最大速度の半分となるときの基質濃度として定義される。一般に、KMが小さいほど、基質との結合が強く、低濃度でも反応が進行しやすいと解釈される。ただし、KMは酵素と基質の親和性だけでなく、酵素-基質複合体から生成物への変換速度も反映した複合的な定数である。酵素の平均的なKMは約0.1 mMとされている。すなわち、基質濃度が0.1 mMあれば、酵素はフル活動するときに半分ほどの速度で反応を進めることができる。0.1 mMという値は、細胞内に存在する多くの代謝産物や低分子化合物の濃度の桁と一致しており、酵素反応が調節しやすい領域に位置している。
kcatとKMの比を取ったkcat / KMは、酵素の触媒効率を表す指標としてよく用いられる。酵素のkcat / KMの平均値は10の5乗 /M/秒が平均的な値である。酵素反応において、酵素と基質が衝突する速度が反応全体の最も遅いステップになる状態を「拡散律速」と呼ぶが、この拡散律速となる10の8乗 /M/秒に達している酵素も存在する。スーパーオキシドジスムターゼやカタラーゼ、アセチルコリンエステラーゼなどは拡散律速に達している代表的な酵素であり、反応そのものではなく、酵素と基質の出会いの速度がボトルネックとなるくらい効率的に反応を進める。この場合、酵素構造や基質濃度を変えても反応速度の向上にはつながらず、しばしば「酵素の最適化限界」とみなされる。kcat / KMが最大効率に近い値を示すための良好な目安として、kcatでは10から10,000 sec-1、KMは1μMから100μM程度である。
生体内にある酵素を比較してみると、解糖系の代謝酵素はkcatが高く、平均で79/秒であるが、アミノ酸や脂質の代謝酵素は18/秒である(1)。生物が成長や生殖に直接必要としない二次代謝に関する酵素群はkcatが2.5/秒である。kcat / KMで比較すると、解糖系の酵素は高いものが多く、平均値では解糖系酵素群とそれ以外の酵素群とで5倍の違いがある。
多くの酵素はKMが基質の細胞内濃度と近い値になるように進化してきた。KMがあまりに大きな値であれば、常に反応が進みにくく酵素の合成コストが必要になるし、逆に、KMが小さな値であれば常に最高効率を示すが、基質が少なくても常に反応が進んでしまうために代謝調整が難しくなるからである。
◆事例:酵素活性の補償
サバティエの法則(Sabatier's principle)は、触媒反応における「基質との結合の強さ」と「反応効率」との最適なバランスを示す原理である。1905年にフランスの化学者ポール・サバティエによって提唱された。この法則はもともと無機触媒の研究から導かれたが、酵素触媒にも定性的に適用できる原理として知られている。酵素反応におけるサバティエの法則を理解するには、まず酵素反応の基本的な動態に立ち返る必要がある。
酵素による触媒反応の効率を最大化するには、酵素と基質が適度な親和性で結合し(KMが小さすぎず大きすぎない)、かつ、生成物への変換が迅速に起こる(kcatが大きい)ことが重要である。基質との結合が弱すぎる(KMが大きい)と、酵素-基質複合体(ES複合体)が十分に形成されず、反応速度が低下する。一方で、結合が強すぎる(KMが極端に小さい)と、基質が酵素にとどまりすぎて、生成物への変換や遊離が遅れる可能性がある。したがって、反応効率が最大になるのは、結合の強さが「中程度」であるときであり、これはサバティエの法則と一致する。酵素の触媒効率を表す指標である kcat / KMは、基質との結合親和性と生成物への変換速度の両方を反映しており、このバランスのとれた点で最大となる。
セルラーゼの活性のKMとkcatの相関を調べた研究によると、変異体や基質を変えたとき、縦軸にln (kcat)を、横軸にln (KM)を図示すると直線に乗ることが明らかにされている(3)。すなわち、kcatが好ましくなればKMが悪くなり、逆にkcatが悪い場合にはKMが良くなるというトレードオフが成立する。
サバティエの法則と深く関係する概念として、Linear Free Energy Relationship(LFER)がある。LFERは、反応速度や平衡定数が、反応物と遷移状態の自由エネルギー差と線形に関係することを示す経験則であり、Hammett則やEvans–Polanyi関係などがその代表例である。このようなLFER的な関係が酵素反応にも当てはまるとすれば、酵素と基質の結合自由エネルギーが変化することで、遷移状態への到達しやすさ、すなわち活性化自由エネルギーも系統的に変化することになる。その結果として、酵素反応においても「火山型」のプロットが現れ、結合の強さが中程度のときにkcat / KMが最大となる。このように、サバティエの法則はLFERの一形態として理解することができ、両者は触媒作用の物理化学的な理解において補完的な関係にある。したがって、酵素の進化や設計においては、単に基質との結合を強めるのではなく、LFERの観点から「遷移状態を安定化しつつ、基質や生成物を適切なタイミングで放出できる結合力」を目指す必要がある。
◆事例:化学走性
ウレアーゼは尿素を分解する酵素であり、その反応中に酵素自体の拡散速度が上昇することが知られている(4)。この現象は一見直感に反するが、原因は比較的単純である。ウレアーゼの触媒反応は発熱反応であり、酵素の周囲に局所的な温度勾配が生じる。この熱勾配により、酵素が熱の振動を受けて一方向に移動する、いわば“自己駆動”的な拡散が起きるとされる(5)。つまり、酵素が基質を分解しながら、反応の進行方向とは逆に動いていくという特徴的な挙動を示す。こうした酵素レベルでの「化学走性(chemotaxis)」のような性質は、酵素の集合や空間的配置にも影響を与える可能性がある。
化学走性とは、化学物質の濃度勾配に応じて細胞や分子が方向性をもって移動する現象である。生物学の文脈では、細菌が栄養源に向かって泳いだり、免疫細胞が炎症部位に集まったりする行動が代表的な例である。一方で、化学走性は分子スケールでも観察されており、特に酵素などの触媒分子が基質濃度の高い領域に向かって移動する現象が報告されている。これは、濃度勾配に伴う拡散の非対称性や、触媒反応にともなうエネルギー変化によって駆動されると考えられている。
液-液相分離によって形成されるドロプレット内外では、分子の選択的な取り込みと濃度勾配が生じるため、ドロプレットを介した化学走性的挙動が発現する可能性がある。たとえば、基質濃度の勾配に応じて酵素や基質がドロプレット内部に濃縮される、あるいは酵素が基質の豊富な領域へと向かって移動するような現象が起こると考えられる。ドロプレットが単なる反応場であるだけでなく、動的な集積体として機能することを示す重要な視点である。
実際に、酵素の連続反応系において、化学走性がどのような影響を与えるかを調べた研究もある(6)。この研究では、連続反応に関与する複数の酵素が、基質の濃度勾配に応じて空間的に分布を変え、下流の酵素が上流の反応生成物に引き寄せられるように集合する現象が観察されている。これは、酵素同士が共有結合などの強い相互作用を持たなくても、ドロプレットや濃度勾配を介して動的に配置されうることを示している。
化学走性は酵素が単にその場で反応を行うだけでなく、周囲の環境に応答して空間的に再配置される性質をもつことを示唆している。相分離と化学走性の相互作用は、細胞内での酵素の局在や反応ネットワークの形成を理解するうえで、極めて重要な概念となりつつある。
参考文献
1. Bar-Even, A., Noor, E., Savir, Y., Liebermeister, W., Davidi, D., Tawfik, D. S., & Milo, R. (2011). The moderately efficient enzyme: evolutionary and physicochemical trends shaping enzyme parameters. Biochemistry, 50(21), 4402–4410.
2. Kari, J., Olsen, J. P., Jensen, K., Badino, S. F., Krogh, K. B., Borch, K., & Westh, P. (2018). Sabatier principle for interfacial (heterogeneous) enzyme catalysis. ACS Catalysis, 8(12), 11966-11972.
3. Kari, J., Molina, G. A., Schaller, K. S., Schiano-di-Cola, C., Christensen, S. J., Badino, S. F., ... & Westh, P. (2021). Physical constraints and functional plasticity of cellulases. Nature communications, 12(1), 3847.
4. Muddana HS, Sengupta S, Mallouk TE, Sen A, Butler PJ. Substrate catalysis enhances single-enzyme diffusion. J Am Chem Soc. 2010 Feb 24;132(7):2110-1.
5. Riedel C, Gabizon R, Wilson CA, Hamadani K, Tsekouras K, Marqusee S, Pressé S, Bustamante C. The heat released during catalytic turnover enhances the diffusion of an enzyme. Nature. 2015 Jan 8;517(7533):227-30.
6. X. Zhao, V. Yadav, M. M. Spiering, S. J. Benkovic, A. Sen, H. Palacci, H. Hess, M. K. Gilson and P. J. Butler, Nat. Chem., 2018, 10, 311–317