蛋白質溶液学(製剤の設計)
緩衝液ひとつとっても選ばれる理由がある
緩衝液ひとつとっても選ばれる理由がある
緩衝液の選択
バイオ医薬品の製剤はうまくいったレシピとして受け継がれていることが多いですが、その背後にはタンパク質の溶液の性質にもとづく設計原理があります。溶液のpH、緩衝剤のpKa、イオン強度、温度によるpHドリフト、金属イオンとの沈殿や錯体形成などが、溶解性、凝集、化学変性、粘性などに影響します。本ページでは、代表的な緩衝系を例に、なぜこういう組成になっているのかを整理します。実験条件を決める際のチェックリストとして使えるよう、数値の目安や注意点も併記していますので、参考にしてください。
◆緩衝液の緩衝作用
物質の緩衝作用は、その酸解離定数(pKa)の±1程度の範囲で最も強く働く。そのため、目的とするpHに近いpKaをもつ緩衝剤を選択するのが基本である。例えば、生理的条件(pH 7前後)では HEPES、MOPS、リン酸などが安定であり、酸性条件では クエン酸や MES、アルカリ性条件では Tris、CHES、CAPS などがよく用いられる。
・イオン強度
緩衝液は同じモル濃度でも、構成イオンの価数や数によりイオン強度が異なる。イオン強度 I は式1のように定義される。
式1
ここでciはイオンのモル濃度、ziは電荷数である。したがって、二価や三価イオンを含む緩衝液は、単価イオン主体の緩衝液よりも高いイオン強度を示す。例えば、50 mMのTrisやMES緩衝液ではイオン強度は40–50 mMだが、クエン酸やリン酸のように多価陰イオンを含む系では80–100 mM程度に達することがある。これは、緩衝液の導電性や静電的相互作用に影響する。
・pH範囲と温度依存性
緩衝液のpHは温度に依存して変動する。一般に、酸・塩基の解離は吸熱反応であるため、温度上昇により解離が進み、pHは低下する傾向を示す。ただし、発熱的に解離する系(代表例としてリン酸)は、逆にpHが上昇する。実験では、実際の測定温度でpHを調整するか、温度補正を行うことが望ましい。温度変化によってほとんどpHが変化しない緩衝剤としては、リン酸やクエン酸、MES、MOPSなどがあり、pKaの温度係数(ΔpKa/ΔT)が小さい。一方、Tris、ヒスチジン、酢酸などは温度変化に敏感である。特にTrisの温度係数は−0.028 pH / °C と、広く使われる緩衝液では最大であり、10 °C変化すると約0.3 pH単位変動する。
・金属イオンとの相互作用
リン酸やクエン酸、ホウ酸などは金属イオンと沈殿または錯体を形成しやすい。そのため、金属酵素やMg²⁺、Ca²⁺を利用する反応系では避けた方がよい。一方で、イミダゾールやヒスチジンなどを添加剤として使う場合、金属との配位結合能をもち、酵素の金属補因子活性にも影響を与える可能性がある。逆に、金属を除去したい場合には、クエン酸などのキレート性を利用できる。
◆抗体のための中性緩衝液の選択
・ヒスチジン緩衝液(His-HCl)
ヒスチジン緩衝液は、抗体医薬品、特に IgG タイプの抗体の最終製剤において最も広く採用されている緩衝系である。ヒスチジンの pKa(約 6.0)は、IgG が最も安定性を示す pH 5.0–6.5 の範囲と良好に重なっており、この領域で優れた緩衝能を発揮する。また、温度変化に伴う pH ドリフトが小さく、凍結融解や流通時の温度差が生じても製剤の液性が大きく変化しにくい点も利点である。典型的な使用濃度は 10–20 mM と低イオン強度を維持できるため、抗体の凝集や粘度上昇を抑えやすい。ただし、濃度が高すぎるとイオン強度の過剰上昇により凝集リスクが増し、皮下注製剤では浸透圧に影響するため注意が必要である。一方、濃度が低すぎると緩衝容量が不足し、pH ドリフトが起こりやすくなる。ヒスチジンは生体適合性に優れ、イミダゾール環が酸化防御に寄与する報告もあるが、主要な採用理由は緩衝性能と安全性である。
・トリス緩衝液(Tris-HCl)
トリス緩衝液は研究用途では広く普及しているものの、抗体医薬品の最終製剤にはほとんど採用されていない。最大の理由は、トリスの pH が温度に強く依存する点であり、pH 温度係数は約 −0.028 pH/°C と大きいため、冷蔵、輸送、凍結融解の過程で容易に 0.3–1.0 pH 程度の変動が生じる。この pH シフトは抗体の化学的不安定化(脱アミド、異性化)や凝集の誘発につながる。典型的な濃度は 10–20 mM。一方、低濃度では緩衝能が低下し、pH を保持できない。抗体製剤には不向きであるものの、pH 変動に比較的耐性のある核酸医薬品や酵素製剤では広く使用されている。
・リン酸緩衝液(PBS など)
リン酸緩衝液は、製造工程におけるクロマトグラフィー、限外濾過、透析濾過などの操作で広く用いられている。pH の温度依存性が小さく、工程条件の再現性を確保しやすい点が利点である。典型的な濃度は 5–20 mM。Ca²⁺ や Mg²⁺ と沈殿しやすい。最終製剤として採用される例はきわめて少なく、抗体製剤の開発初期の製剤として見られ、2000年代後半にはほぼ使われなくなった。濃度が高すぎる場合はコスモトロープおよび多価アニオンの両方の性質により、沈殿、凝集、溶解性の低下のリスクが増大してしまう。すなわち、薬事上の安全性というよりも、物理化学的な安定性の観点から最終製剤には適さない緩衝液である。
・Good’s buffer 系(HEPES, MES, MOPS, PIPES など)
Good’s buffer 系緩衝液は、生化学研究では理想的な緩衝特性(高い溶解性、温度依存性の小ささ、金属との弱い相互作用など)をもつため、細胞培養、in vitro 試験、安定化スクリーニングに広く使用されている。典型的な濃度は 10–50 mM で、HEPES は pH 6.8–8.2、MES は pH 5.5–6.7 など、緩衝剤は特定の pH 域に最適化されている。しかし、Good’s buffer はヒトへの投与歴がほとんどなく、安全性データが乏しいため、薬事上の理由から注射剤としての抗体医薬品にはほぼ使用されない。また、濃度が高すぎる場合は光照射によるラジカル形成(HEPES など)や金属イオンキレートによる酵素・抗体の影響があり、低すぎる場合は緩衝能不足による再現性低下が生じる。したがって、開発初期の試験系には有用であるものの、最終製剤への採用は実質的に困難である。
◆抗体のための酸性緩衝液の選択
・クエン酸緩衝液(Citrate)
クエン酸緩衝液は、pH 3.0–6.2 の弱酸性領域をカバーする緩衝系であり、低 pH でのウイルス不活化工程や、特定の抗体の安定化スクリーニングに用いられる。典型的な濃度は 5–20 mM で、三価カルボン酸構造に由来する金属キレート能を有し、Ca²⁺ や微量金属の除去に寄与する。しかし、このキレート作用は反面として、注射剤としての最終製剤ではタンパク質構造や金属酵素活性に影響を与える可能性がある。濃度が高すぎる場合は金属依存性の不安定化、pH 低下時の凝集促進が起こり、逆に濃度が低すぎると pH 5 付近での緩衝能が不足し、化学変性(脱アミドなど)が加速する。クエン酸は生体適合性が高く、製剤によっては採用例があるが、大多数の抗体医薬品ではヒスチジン緩衝液が優先される。
・酢酸緩衝液(Acetate)
酢酸緩衝液は、pH 3.5–5.5 の酸性域で有効な緩衝系で、古くからタンパク質製剤に使用されてきた。典型的濃度は 10–20 mM。酢酸イオンは比較的小さく、イオン強度による凝集促進作用が穏やかであるため、一部の抗体では安定化に有利に働くことがある。しかし、pH 温度依存性はヒスチジンよりやや大きく、凍結融解工程で pH ドリフトが生じる場合がある。また、濃度が高い場合は浸透圧上昇により皮下注製剤での注射痛が懸念され、濃度が低すぎると酸性域での化学変性(特にメチオニン酸化)の抑制が不十分になる。近年の抗体医薬では利用頻度が減少しつつあるが、特定の mAb では依然として有力な選択肢である。
・グリシン緩衝液(Gly-HCl / Gly-Na)
グリシン緩衝液は、pH 2.0–3.5 の酸性域をカバーする緩衝系で、主に Protein A からの酸性条件での抗体溶出や不活化プロセス後の中和工程など、製造工程で使用される。典型濃度は 10–50 mM。最終製剤として利用されることはほとんどないが、工程用途としては非常に安定しており、抗体の変性を最小限にしながら低 pH を精密に制御できる点が利点である。濃度が高すぎる場合は浸透圧上昇やタンパク質の部分変性を助長し、低すぎる場合はウイルス不活化の再現性が低下する。製剤そのものではなく、製造工程の安全性・再現性の確保に不可欠な緩衝液である。
◆抗体製剤に使われる成分
典型的には、10 mMヒスチジン、200 mMスクロース、0.05%ポリソルベートが使われる。ヒスチジンは、pH 5–6 付近での緩衝機能を担い、生体への安全性や、温度依存性が小さいことがあげられる。また、スクロースは、タンパク質の水和シェルの構造を保ち、タンパク質の水溶液中での構造安定化や、凍結や凍結乾燥での保護作用を持つ。0.01%–0.05%ポリソルベート20またはポリソルベート80は、空気と液体の界面や容器との界面でのタンパク質の吸着と変性、凝集核の形成を抑制する働きがある。
凍結乾燥をする場合には、スクロースの代わりにトレハロースが使われているケースがある。数百mM程度のトレハロースを添加しておくと、凍結乾燥時にガラス状マトリックスを形成し、水分子を補完して立体構造を固定することで乾燥品の長期保存安定性を高めることができる。凍結乾燥状態からの再溶解後も、トレハロースはタンパク質の構造安定化に寄与する。
ヒスチジンに酢酸を組み合わせることで、より酸性側での緩衝能を獲得できるよう工夫されている組成もある。酢酸が組み合わさることで、ヒスチジン単独よりも pH 調整の自由度が高く、製剤開発の過程で二成分の緩衝剤が採用されていると解釈できる。
典型的なヒスチジン・スクロース・ポリソルベート系に、メチオニンを添加した製剤用緩衝液もある。酸化ストレスに対して、添加したメチオニンが酸化されることで、抗体の持つメチオニン残基やトリプトファン残基の酸化を抑制する働きを狙っていると考えられる。
アルギニンを加えた処方は、高濃度の皮下投与 mAb 製剤に用いられることがある。アルギニンは凝集抑制および粘度低減に寄与する。特に 100 mg/mL を超える高濃度抗体製剤では、Arg の添加によって流動性を高めると同時に、シリンジ使用時の粘性や輸送時の界面での変性などを防ぐ働きが期待されている。
典型的な使用濃度
10-20 mM ヒスチジン:pH 5–6 付近での緩衝、および低い温度依存性
100-250 mM スクロース:水和シェ維持、凍結・乾燥ストレス耐性、浸透圧調整
0.01%-0.05% ポリソルベート:界面安定化
20-150 mM アルギニン(20–150 mM):高濃度 mAb の 粘度低減、凝集抑制
10 mM メチオニン:酸化ストレス耐性
https://www.jpharmsci.org/article/S0022-3549(23)00144-2/pdf
◆抗体製剤例
・ヒスチジン+スクロース+ポリソルベート系
Pembrolizumab(Keytruda)静注製剤は、25 mg/mL 抗体に対して L-ヒスチジン約 10 mM、スクロース約 0.2 M(70 mg/mL)、ポリソルベート80 0.2 mg/mL、pH 5.5である。最も典型的な抗体製剤用緩衝液。
https://www.accessdata.fda.gov/drugsatfda_docs/label/2016/125514s012lbl.pdf
Atezolizumab(Tecentriq)静注製剤は、ヒスチジン約 20 mM、スクロース約 0.12 M、ポリソルベート20 を含み、pH 5.8である。
https://www.accessdata.fda.gov/drugsatfda_docs/label/2019/761034s021lbl.pdf
Nivolumab SC(Opdivo Qvantig)の皮下投与用の原薬溶液では、ヒスチジン 20 mM、スクロース 250 mM、ポリソルベート80 0.05%(w/v)、pH 6.0である。
https://www.bms.com/assets/bms/ca/documents/productmonograph/OPDIVO-SC_EN_PM.pdf
・ヒスチジン+トレハロース+ポリソルベート系
Trastuzumab(Herceptin)の凍結乾燥製剤。440 mgのmAb、400mgのトレハロース、0.9 mgのヒスチジン塩酸塩、6.4 mgのヒスチジン、1.8 mgのポリソルベート20が含まれている。これを20 mLの溶液に溶かして使用するが、溶液中には58 mMトレハロース、2.3 mMヒスチジン、0.01%ポリソルベート20。ヒスチジンが比較的低濃度。
https://www.accessdata.fda.gov/drugsatfda_docs/label/2010/103792s5250lbl.pdf
・ヒスチジン+酢酸+スクロース+ポリソルベート系
Atezolizumab(Tecentriq)の静注製剤は、1200 mg/20 mL バイアルの組成で、20 mMのL-ヒスチジン、0.12 Mのスクロース、14 mMの無水酢酸、0.04 %ポリソルベート20、pH 5.8 である。
https://www.accessdata.fda.gov/drugsatfda_docs/label/2019/761034s021lbl.pdf
・ヒスチジン+スクロース+メチオニン+ポリソルベート系
Atezolizumab(Tecentriq SC)皮下注製剤は、20 mM ヒスチジン、240 mM スクロース、0.06% ポリソルベート、10 mM メチオニンを製剤剤として用いている。
https://assets.roche.com/f/173850/x/f755c679e7/tecentriq-sc_pm_cie.pdf
・ヒスチジン+スクロース+ポリソルベート+アルギニン系
Dupilumab (Dupixent)皮下注製剤(300 mg/2 mL)には、20 mM ヒスチジン、150 mM スクロース、25 mM アルギニン塩酸塩、0.2% ポリソルベート80 が含まれている。pH 5.9。
https://academic.oup.com/abt/article/6/4/265/7308788
◆Tris緩衝液を使ったバイオ医薬品の製剤例
中性から弱塩基性では Tris 緩衝液が最も扱いやすいが、Tris は pH の温度依存性が大きく、凍結・解凍や流通時の温度変化によって 0.3〜1 pH ユニット程度の変動が生じうる。また、等電点沈殿の起こりやすさや、タンパク質との化学修飾の可能性、抗体医薬品としての承認実績の乏しさから、モノクローナル抗体の最終製剤液としてTrisは採用されることはほとんどない。一方、mRNA製剤やペプチド製剤にいはTrisの使用例が見られる。Trisの濃度は10 mMから50 mMが見つかる。
・Comirnaty(ファイザー/BNT162b2)
有効成分:0.1 mg/mL mRNA
緩衝剤:10 mM Tris (pH 7.4)
賦形剤:300 mM scrose
投与形態:脂質ナノ粒子分散液、筋注用
https://www.health.govt.nz/system/files/2022-02/h202117877_response.pdf
・ELEVIDYS(delandistrogene moxeparvovec,DMD核酸製剤)
有効成分:AAVrh74ベクター
緩衝剤:20 mM Tris(pH 7.5)
添加剤:200 mM NaCl、1 mM MgCl₂ (イオン強度が高い)
界面活性剤:0.001% Poloxamer 188
バイアル容量:10 mL
・APIDRA®(インスリンアナログ製剤)
有効成分:インスリン グルリジン
緩衝剤:50 mM Tris (pH 7.3)(濃度がかなり高い)
電解質:5 mg/mL NaCl
防腐剤:3.15 mg/mL メタクレゾール
界面活性剤:0.01 mg/mL ポリソルベート20
https://www.accessdata.fda.gov/drugsatfda_docs/label/2007/021629s010lbl.pdf?utm_source=chatgpt.com
◆アデノウイルス製剤例
・Merck 系のA195緩衝液(WO2001 066137)原典の製剤
緩衝剤:5–10 mM Tris(pH 7.4–8.0)
塩:75 mM NaCl
浸透圧調整・凍結ストレス保護:5% (w/v) ≒ 0.15 M sucrose
カプシド安定化:1 mM MgCl₂
界面安定化:0.005–0.02% (w/v) polysorbate 80
キレート剤:100 µM EDTA
・Janssen 系 Histidine 製剤(WO2015/040234)
緩衝剤:15–25 mM Histidine(pH 6-7)
塩:20–200 mM NaCl
浸透圧調整・凍結ストレス保護:1–10% (w/v) trehalose
界面安定化:0.005–0.5% (w/v) polysorbate 80
キレート剤: 0.05–0.2 mM EDTA(ただしエタノールとは併用しない実施例もある)
(任意):0.1–1% (w/v) ethanol(代表例 0.4%)
https://patentimages.storage.googleapis.com/d2/d6/0c/371afd6e4c5d9a/WO2015040234A1.pdf
・Janssen 系 Histidine 製剤の実施例(Example 1, formulation D) 原典の製剤
20 mM Histidine (pH 6.6)
5% (w/v) Trehalose
75 mM NaCl
0.02% (w/v) Polysorbate-80
・ICVB-1042(腫瘍溶解性アデノウイルス)エタノールが含まれた例
緩衝剤:10 mM Tris + 10 mM histidine(pH 7.4)
塩:75 mM NaCl
浸透圧調整・凍結ストレス保護:5% (w/v) sucrose
界面安定化:0.02% polysorbate-80
界面安定化と凝集抑制:0.5% ethanol
カプシド安定化:1 mM MgCl₂
キレート剤:100 µM EDTA
https://www.nature.com/articles/s42003-024-06839-6?utm_source=chatgpt.com
・IFN-α2b 遺伝子治療薬 ADSTILADRIN(nadofaragene firadenovec)複雑な製剤例
緩衝剤:11.6 mM Tris
緩衝剤:9 mM phosphate
補助的緩衝能・キレート作用による安定化:0.14 mM citrate
浸透圧調整・凍結ストレス保護:50 mM sucrose
凍結ストレス保護・カプシド安定化:0.9 M glycerol
疎水相互作用の遮断・カプシド安定化:5.6 mM Hydroxypropyl-β-cyclodextrin
カプシド安定化:1.7 mM MgCl₂,
界面安定化:0.048% (w/v) polysorbate-80
細胞膜透過性向上:0.95 mg/mL Syn3
https://www.fda.gov/media/164029/download
◆アデノウイルス製剤の見方
抗体製剤は、基本的には単一のタンパク質分子を安定化するための標準的な製剤設計で十分であり、これまでに承認実績のある製剤組成がモデルとして踏襲される場合が多い。一方、アデノウイルス製剤は、DNA を内包した巨大なカプシド構造体であるため、多角的な視点からカプシド全体を物理的に保護する必要がある。
抗体は一般に pH6 付近で最も安定とされ、緩衝剤としてはヒスチジンが多用される。これに対し、アデノウイルスのカプシドは酸性側では六量体ヘキソン間の相互作用が弱まりやすく、中性から弱塩基性条件で安定である。このため、Tris 緩衝液などが用いられる例が多い。
マグネシウムイオンはカプシドおよびDNAの安定化や、粒子表面の静電相互作用の遮蔽を通じてウイルス粒子の物理的安定性に寄与すると考えられる。実際の製剤や精製工程でも添加される例が多い。マグネシウムイオンは核酸合成酵素の補因子であることから、間接的に増殖にも役立っている可能性がある。
抗体製剤と比較して、アデノウイルス製剤にはポリオールや糖質が高濃度で含まれている点も特徴である。これは凍結ストレス緩和やカプシドの物理的安定化に必須であるからだと考えられる。
マグネシウムイオンよりも濃度の低いキレート剤を共存させ、金属触媒による酸化反応を抑制する設計が採られている点も、アデノウイルス製剤に特有の特徴である。鉄イオンによる活性酸素の発生によって酸化することがウイルスの失活の要因となるため、EDTAを添加する製剤例が多い。ただし、マグネシウムイオンを添加する場合には、EDTAの濃度をそれより下げる必要がある点には留意が必要である。具体的には1 mM MgCl₂に対して0.1 mM EDTAが多い。
エタノールについては、0.5% (約85 mM)付近に安定化の至適値が報告されている例があるが、この濃度では誘電率低下による静電相互作用の変化は限定的である。WO2015/040234では、0.4%のエタノールで25˚Cで保存したときの力価低下が小さくなることが示されており、EDTAとエタノールの併用ではなく、EDTAは加えずエタノールのみを加えた製剤がアデノウイルス製剤としてふさわしいとしている。
アデノウイルスの長期低温保存ではメチオニンの添加が好効果を及ぼすケースがある。トリプトファンの併用でなお効果が高まるため、メチオニン添加の効果としては犠牲的抗酸化剤として機能するからだと推測できる。(下記文献)
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S002235491930735X
◆アデノウイルス製剤の成分比較の例
ニューカッスル病ウイルス由来のタンパク質をコードするアデノウイルスの1週間の保存による力価の比較。製剤設計直後の安定性は、L1はそれ以外より2桁ほど下がるため、界面活性剤が不可欠であることがわかる。L3は37˚Cで1週間後には力価が2桁下がるため、EDTAまたはエタノール、もしくは両者の混合が常温保存には好ましくない。L4は37˚Cで1週間後でも力価が低下しないが、L5は1桁低下するため、3%のソルビトールは好ましい効果を与える。37˚C保存でよいのはL4で、製剤作成直後も力価が低下せず、37˚Cで1週間後でも維持する。EDTAやエタノールが好ましくないか、または濃度の比較的高いポリソルベートが好ましい。
◆血清アルブミンの製剤例
カプリル酸ナトリウムとNアセチルトリプトファンを20 mMずつ添加しているケースが多い。これらはBSAの効果的な凝集抑制剤として機能する。
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/10862953/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbm/16/1/16_3/_article/-char/ja/
・献血アルブミン25%静注12.5 g/50 mL「タケダ」
濃度:アルブミン 25%(12.5 g / 50 mL)
添加剤(1バイアル50 mL中)
アセチルトリプトファン:250.97 mg
カプリル酸ナトリウム:169.75 mg
https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/iyakuDetail/ResultDataSetPDF/400256_6343410X5253_1_02
・赤十字アルブミン20%
濃度:アルブミン 20%(4 g / 20 mL)
添加剤(1バイアル20 mL中)
アセチルトリプトファンナトリウム 85.8mg
カプリル酸ナトリウム:53.2mg
https://www.jrc.or.jp/vcms_lf/iyakuhin_oshirase1201-1_120128.pdf
・ALBURX® 25(Albumin (Human) 25% solution, CSL Behring)
濃度:アルブミン 25%
組成(溶液 1 L あたり)
Human albumin:250 g
Sodium N-acetyltryptophanate:0.02 M
Sodium caprylate:0.02 M
https://labeling.cslbehring.com/pi/us/alburx25/en/alburx25-prescribing-information.pdf
◆製剤に含まれる添加剤の特徴
◆ポリソルベート
ポリソルベートは、脂肪酸とソルビタン、さらにエチレンオキシド鎖からなる非イオン性界面活性剤の総称であり、水と油のように本来混ざりにくい成分をなじませ、気液界面や固液界面を安定化するために広く用いられる。医薬品、とくに抗体製剤やタンパク質製剤では、容器表面や気泡表面へのタンパク質の吸着を抑え、振とうや輸送などで生じる界面ストレス由来の変性・凝集・粒子形成を防ぐ目的で添加されることが多い。
米国承認の高濃度抗体製剤46品目の集計では、ポリソルベート20(PS20)が20製品、ポリソルベート80(PS80)が10製品であり、PS80 が主流であった(1)。実例として、Cosentyx、Nucala、Repatha などは PS80 を採用し、Xolair や Siliq は PS20 を採用している。したがって実務上は、PS20 と PS80 はどちらも標準的な界面活性剤であるが、高濃度抗体製剤では PS80 がより汎用的に選ばれていると考えてよいだろう(1)。
一方、化学構造の違いとしては、PS20 が主としてモノラウレート、PS80 が主としてモノオレエートを含む点が重要である(2)。この違いは疎水性やミセル形成挙動の差につながり、PS80 の方が一般に疎水性脂肪酸鎖を持つ界面活性剤として位置づけられる(2)。そのため、抗体ごとの表面性状や界面への集まりやすさに応じて、PS20 より PS80 が適する場合があると考えられる。
PS20 と PS80 はいずれも加水分解と酸化を受けうるが、PS80 は不飽和のオレイン酸由来成分を含むため、しばしば酸化の議論で中心に置かれる(2–4)。他方で、PS20 も安定という意味ではなく、両者とも分解により遊離脂肪酸や過酸化物を生じ、粒子形成や製剤品質低下につながりうる。PS20 と PS80 は機能的には似ているが、採用実績の多いPS80 が主に選ばれやすいという違いであると考えてよい。
参考文献
1. Ghosh, I.; Gutka, H.; Krause, M. E.; Clemens, R.; Kashi, R. S. A Systematic Review of Commercial High Concentration Antibody Drug Products Approved in the US: Formulation Composition, Dosage Form Design and Primary Packaging Considerations. mAbs 2023, 15 (1), 2205540.
2. Kerwin, B. A. Polysorbates 20 and 80 Used in the Formulation of Protein Biotherapeutics: Structure and Degradation Pathways. J. Pharm. Sci. 2008, 97 (8), 2924–2935.
3. Kishore, R. S. K.; Kiese, S.; Fischer, S.; Pappenberger, A.; Grauschopf, U.; Mahler, H.-C. The Degradation of Polysorbates 20 and 80 and Its Potential Impact on the Stability of Biotherapeutics. Pharm. Res. 2011, 28 (5), 1194–1210.
4. Jones, M. T.; Mahler, H.-C.; Yadav, S.; Bindra, D.; Corvari, V.; Fesinmeyer, R. M.; Gupta, K.; Harmon, A. M.; Hinds, K. D.; Koulov, A.; Liu, W.; Maloney, K.; Wang, J.; Yeh, P. Y.; Singh, S. K. Considerations for the Use of Polysorbates in Biopharmaceuticals. Pharm. Res. 2018, 35 (8), 148.
◆スクロース・トレハロース・ソルビトール・マンニトール
抗体製剤には糖類やポリオールが比較的高濃度(2%から10%程度)含まれているものが多い。糖類は抗体製剤において等張化剤としてだけではなく、選択的排除(preferential exclusion)の効果により天然構造を安定化させる添加剤として活用される(1)。多く使われる糖類はスクロースやトレハロースの非還元の二糖類が多い。また、ソルビトールやマンニトールも同様に、天然構造の安定化のために添加される。なお、還元末端を持つマルトースや、またグルコースやフルクトースなどの単糖類は容易に還元され、褐変化などの化学変化が生じやすいためである。
市販の高濃度抗体製剤での採用状況には明確な偏りがある。Ghoshらの総説が集計した46製品では、スクロースが18製品で最多、ついでトレハロースが5製品、ソルビトールが4製品、マンニトールが2製品である(2)。一方、17製品は糖類・ポリオールを含まない。糖類やポリオールをタンパク質の天然構造が安定化するほど高濃度加えると溶液の増加するため、製剤の抗体の立体構造が安定なのであれば添加しない方がよい。また、製造や保存の工程で凍結が含まれる場合、トレハロースやソルビトール、マンニトールは結晶化しうるため、タンパク質の立体構造を壊してしまうリスクがある。スクロースは凍結中も非晶質で残りやすいため、リスクはやや少ない(3)。
凍結や凍結乾燥の工程を含む場合には、スクロースやトレハロースが広く用いられる。これらの抗体製剤での性質はかなり類似しているが、効果がわずかに異なる。まず、凍結工程では、トレハロースはスクロースより結晶になりやすい傾向があり、スクロースは非晶質になりやすい性質がある(4)。そのため、凍結状態のタンパク質の安定化には、非晶質になるスクロースの方が好ましい。しかし、トレハロースは乾燥後により良質なガラス相を作りやすく、固体として保存するさいの安定性から考えるとトレハロースの方が好ましい。最近の市場解析では、凍結乾燥の抗体製剤ではスクロースが優勢であり、20製品中15製品で用いられている(5)。
参考文献
1. Arakawa, T.; Timasheff, S. N. Stabilization of Protein Structure by Sugars. Biochemistry 1982, 21 (25), 6536–6544.
2. Ghosh, I.; Gutka, H.; Krause, M. E.; Clemens, R.; Kashi, R. S. A Systematic Review of Commercial High Concentration Antibody Drug Products Approved in the US: Formulation Composition, Dosage Form Design and Primary Packaging Considerations. mAbs 2023, 15 (1), 2205540.
3. Li, J., Wang, H., Wang, L., Yu, D., & Zhang, X. (2024). Stabilization effects of saccharides in protein formulations: A review of sucrose, trehalose, cyclodextrins and dextrans. European journal of pharmaceutical sciences : official journal of the European Federation for Pharmaceutical Sciences, 192, 106625.
4. Connolly, B. D.; Le, L.; Patapoff, T. W.; Cromwell, M. E.; Moore, J. M.; Lam, P.; Saad, O. M.; Pikal, M. J.; Carpenter, J. F. Protein Aggregation in Frozen Trehalose Formulations: Effects of Composition, Cooling Rate, and Storage Temperature. J. Pharm. Sci. 2015, 104 (12), 4170–4184.
5. Peng, Y.; et al. Monoclonal Antibody Formulations: A Quantitative Analysis of Marketed Products and Patents. mAbs 2025. DOI: 10.1080/19420862.2025.2580696.
◆製剤に含まれるアミノ酸
総説で整理されている46製品の製剤を見てみると(1)、9製品ではアミノ酸は用いられていないが、それ以外の製品には何らかのアミノ酸が含まれている。
最も多く利用されているのはヒスチジンであり、全体の約7割を占める。ヒスチジンの主な役割は緩衝剤としての機能である。モノクローナル抗体は弱塩基性側に等電点をもつものが多く、弱酸性側の pH 6 付近で緩衝能を示すヒスチジンが選ばれやすい。なお、製剤組成にはしばしばヒスチジンとヒスチジン塩酸塩が個別に記載されているが、これはヒスチジンを添加した後に塩酸でpHを調整するよりも、ヒスチジンとヒスチジン塩酸塩をそれぞれ所定量で配合する方が、調製上扱いやすいためである。アミノ酸の中では、アスパラギン酸が用いられている例も2製品あるが、これはヒスチジンとアスパラギン酸の組み合わせでpH調整を行っているためであり、アスパラギン酸自体に特別な機能を期待しているわけではない。
メチオニンは8製品に含まれている。添加剤としてのメチオニンには、抗体分子中のメチオニン残基より先に酸化されることで、犠牲的な抗酸化剤として働く役割が期待されている。アルギニンおよびアルギニン塩酸塩は9製品に含まれており、アルギニンには高濃度タンパク質製剤の粘度を低下させる作用がある。さらに、グリシンやプロリンには、タンパク質構造の安定化や溶液の等張化に寄与する役割が期待されていると考えられる。
アミノ酸の粘度低下剤としての活用は、アルギニンが最も多い。250 mg/mLのガンマグロブリンや血清アルブミンなどを調べたところ、アルギニン塩酸塩を添加すると粘度を下げる一方、リジン塩酸塩や塩には効果が見られないこともあった(2,3)。つまり、アルギニンには固有の粘度低下の働きがあると考えてよいまた、プロリンも、グリシンやトレハロースと比較すると、225 mg/mL の mAb に対して粘度が低下している(4)。リシン塩酸塩は塩化ナトリウムと同様に、静電反発が主な粘度の原因になるケースでは粘度低下の効果が見られる可能性があるため、血清アルブミンには効果が見られても、抗体には効果が見られない可能性が高い(5)。
46製品の製剤では、複数のアミノ酸が組み合わせて用いられる場合も多い。9製品では1種類のみが用いられているが、15製品では2種類、さらに4製品では4種類ものアミノ酸が併用されている。基本的には、ヒスチジンとヒスチジン塩酸塩の組み合わせが多く、これにメチオニンやアルギニン塩酸塩などが加えられる構成となっている。なかでも Aduhelm、Evkeeza、Actemra では、糖やNaClを用いず、複数のアミノ酸と界面活性剤のみで製剤を設計しているのが興味深い。
参考文献
1. Ghosh, I.; Gutka, H.; Krause, M. E.; Clemens, R.; Kashi, R. S. A Systematic Review of Commercial High Concentration Antibody Drug Products Approved in the US: Formulation Composition, Dosage Form Design and Primary Packaging Considerations. mAbs 2023, 15 (1), 2205540.
2. Inoue, N.; Takai, E.; Arakawa, T.; Shiraki, K. Specific Decrease in Solution Viscosity of Antibodies by Arginine for Therapeutic Formulations. Mol. Pharmaceutics 2014, 11 (6), 1889–1896.
3. Inoue, N.; Takai, E.; Arakawa, T.; Shiraki, K. Arginine and Lysine Reduce the High Viscosity of Serum Albumin Solutions for Pharmaceutical Injection. J. Biosci. Bioeng. 2014, 117 (5), 539–543.
4. Hung, J. J.; Dear, B. J.; Dinin, A. K.; Borwankar, A. U.; Mehta, S. K.; Truskett, T. T.; Johnston, K. P. Improving Viscosity and Stability of a Highly Concentrated Monoclonal Antibody Solution with Concentrated Proline. Pharm. Res. 2018, 35 (7), 133.
5. Hong, T.; Iwashita, K.; Shiraki, K. Viscosity Control of Protein Solution by Small Solutes: A Review. Curr. Protein Pept. Sci. 2018, 19 (8), 746–758.
・Aduhelm(aducanumab-avwa)
抗体濃度:100 mg/mL。単回投与バイアルとして 170 mg/1.7 mL、300 mg/3 mL
添加剤:
L-arginine hydrochloride 31.60 mg/mL
L-histidine 0.60 mg/mL
L-histidine hydrochloride monohydrate 3.39 mg/mL
L-methionine 1.49 mg/mL
polysorbate 80 0.50 mg/mL
pH は約 5.5。
https://www.accessdata.fda.gov/drugsatfda_docs/label/2023/761178s007lbl.pdf
・Evkeeza(evinacumab-dgnb)
抗体濃度:150 mg/mL。バイアルとして 345 mg/2.3 mL、1,200 mg/8 mL
添加剤:
L-arginine hydrochloride 14.8 mg/mL
L-histidine 0.74 mg/mL
L-histidine monohydrochloride monohydrate 1.1 mg/mL
L-proline 30 mg/mL
polysorbate 80 1 mg/mL
pH は 6。
https://www.regeneron.com/downloads/evkeeza_pi.pdf
・Actemra(tocilizumab) intravenous infusion
抗体濃度:20 mg/mL。単回投与バイアルとして 80 mg/4 mL、200 mg/10 mL、400 mg/20 mL
添加剤:
phosphate buffer(disodium phosphate dodecahydrate / sodium dihydrogen phosphate dihydrate, 15 mmol/L phosphate buffer)polysorbate 80 0.5 mg/mL
sucrose 50 mg/mL
https://www.accessdata.fda.gov/drugsatfda_docs/label/2024/125276s144%2C125472s056lbl.pdf
・Actemra(tocilizumab) subcutaneous injection
抗体濃度:162 mg/0.9 mL(= 180 mg/mL)
添加剤:
L-arginine hydrochloride 19 mg/0.9 mL
L-histidine 1.52 mg/0.9 mL
L-histidine hydrochloride monohydrate 1.74 mg/0.9 mL
L-methionine 4.03 mg/0.9 mL
polysorbate 80 0.18 mg/0.9 mL
https://www.accessdata.fda.gov/drugsatfda_docs/label/2024/125276s144%2C125472s056lbl.pdf