蛋白質溶液学(はじめに)
基本用語の定義・随時更新
基本用語の定義・随時更新
用語の定義
タンパク質の溶液に関する用語の定義を整理したページです。それぞれの用語に関して、歴史的背景から、近年の研究に基づく解釈も併記しています。あわせて、タンパク質溶液の現象の理解に直結する具体的な特徴も整理しました。研究室に配属されたばかりの学生から、論文執筆や製剤設計に携わる研究者まで、同じ言葉を同じ意味で使えるよう、共通の定義として参照できることを目指しています。
各項目は一目で参照できる程度の量にまとめていますが、必要に応じて一次情報にたどれるよう、参考文献もつけています。さらに、上部メニューからは、より詳細に記した関連ページへも横断できる構成にしました。すべての項目は随時推敲し、増やしていきます。
◆ホフマイスター系列
ホフマイスター系列(Hofmeister series)という名称は、生化学者 Franz Hofmeister(1850–1922)の名に由来する。1888年、彼は血清や膠などのタンパク質溶液にさまざまな塩を添加し、そのときの沈殿や溶解の程度がイオン種によって系統的に異なることを報告した(1)。この経験的な順序関係が、のちに「ホフマイスター系列」と呼ばれるようになった。
この系列は、イオンをコスモトロープ(構造形成的)からカオトロープ(構造破壊的)へと並べたものであり、タンパク質に対する塩析や塩溶の強さを示す経験則として用いられてきた。たとえば、硫酸イオンやフッ化物イオンは強いコスモトロープで、タンパク質を沈殿させやすくする一方、チオシアン酸イオンやヨウ化物イオンなどはタンパク質の可溶化を促進する傾向を示す。
近年の研究では、当初の「バルク水の構造を作る/壊す」という説明は不十分であることが明らかになっている。現在では、系列の起源は主として第一水和殻や界面における特異的なイオン相互作用、さらにはイオンの直接結合や極性表面への吸着などによって説明されている(2,3)。これらの要因が、タンパク質やポリマー、コロイドなどの分散や沈殿の現象や、界面張力などの物理的現象に特異イオン効果(specific ion effects)として現れる。
また、ホフマイスター系列は単一の普遍的順序ではなく、溶質の濃度や分子表面の性質、溶液のpHなどに応じて逆転する現象も知られている(4)。例えば、コスモトロープアニオンは電荷密度が高いため、正電荷を持つ表面に静電的に吸着しやすく、これが逆にカオトロープ的な性質として現れることがある(5)。そのため、ホフマイスター系列は単なる経験則にとどまらず、水中におけるイオン–分子間相互作用を理解するための概念的枠組みへと発展している(6)。
タンパク質科学においても、この系列は溶解度やフォールディング、立体構造の安定性、液-液相分離、凝集、結晶化などに体系的な影響を与える。いわゆる硫安沈殿として知られる硫酸アンモニウムによる塩析精製は、ホフマイスター効果の古典的かつ実用的な例である。
参考文献
1. Hofmeister, F. Zur Lehre von der Wirkung der Salze. Arch. Exp. Pathol. Pharmakol. 1888, 24, 247–260.
2. Collins, K. D. Charge density-dependent strength of hydration and biological structure. Biophys. J. 1997, 72, 65–76.
3. Zhang, Y.; Cremer, P. S. Interactions between macromolecules and ions: the Hofmeister series. Curr. Opin. Chem. Biol. 2006, 10, 658–663.
4. Kunz, W.; Henle, J.; Ninham, B. W. ‘Zur Lehre von der Wirkung der Salze’: Franz Hofmeister’s historical papers. Curr. Opin. Colloid Interface Sci. 2004, 9, 19–37.
5. Peula-García, J. M.; Ortega-Vinuesa, J. L.; Bastos-González, D. Inversion of Hofmeister Series by Changing the Surface of Colloidal Particles from Hydrophobic to Hydrophilic. J. Phys. Chem. C 2010, 114, 11133–11139.
6. Gregory, K. P.; Elliott, G. R.; Robertson, H.; Kumar, A.; Wanless, E. J.; Webber, G. B.; Craig, V. S. J.; Andersson, G. G.; Page, A. J. Understanding specific ion effects and the Hofmeister series. Phys. Chem. Chem. Phys. 2022, 24, 12682–12718.
◆コスモトロープ
コスモトロープ(kosmotrope)という語は、ギリシャ語の kosmos(秩序) と tropos(向き/変化) に由来し、秩序を作るものという意味を持つ。もともとこの語は、タンパク質やコロイドの溶液中でイオンがどのように水構造や分子相互作用を変化させるかを説明するために導入された。現代的な定義は、水和が強く、高電荷密度をもつイオン群を指すものであり、特に Collins(1997) によって体系化された(1)。
コスモトロープと対をなす概念がカオトロープ(chaotrope)である。この対概念はもともとホフマイスター系列の文脈で生まれたが、Collins によりイオンの電荷密度という物理的尺度に基づいて整理され、以後の生体溶液科学で標準用語となった。具体的には、コスモトロープとは、小さく高い電子密度をもつイオンであり、水との結合が強く、水の秩序形成的な特徴があるものをいう。
従来は、コスモトロープがバルク水の構造を強化すると単純に説明されてきたが、現在ではそれは過度に一般化されたモデルとみなされている。近年の分光学的な計測やシミュレーションによる分析では、効果の本質はむしろ第一水和殻や界面における局所的で特異的な相互作用にあり、イオンが水構造全体を秩序づけるのではないことが示されている(2,3)。したがって、コスモトロープとは、原義どおりの水を秩序づける働きではなく、水との強い結合を通して溶質や界面から排除されるイオン群であると理解されている(選択的排除を参照)。
生体分子との関係では、コスモトロープは一般にタンパク質の塩析を促進し、疎水効果を強める方向に働く。これは、コスモトロープが水分子との強い相互作用を優先するため、結果としてタンパク質分子間の会合を促すためである。濃度やpHによっては、この効果が逆転しうることも知られているが、通常は熱安定性を高める方向に作用することが多い。
参考文献
1. Collins, K. D. Charge density-dependent strength of hydration and biological structure. Biophys. J. 1997, 72, 65–76.
2. Zhang, Y.; Cremer, P. S. Interactions between macromolecules and ions: the Hofmeister series. Curr. Opin. Chem. Biol. 2006, 10, 658–663.
3. Gregory, K. P.; Elliott, G. R.; Robertson, H.; Kumar, A.; Wanless, E. J.; Webber, G. B.; Craig, V. S. J.; Andersson, G. G.; Page, A. J. Understanding specific ion effects and the Hofmeister series. Phys. Chem. Chem. Phys. 2022, 24, 12682–12718.
◆カオトロープ
カオトロープ(chaotrope)という語は、ギリシャ語の chaos(混沌) と tropos(向き/変化) に由来し、秩序を乱すものという意味をもつ。ホフマイスター系列の研究の中で、タンパク質やコロイド溶液の挙動がイオン種によって異なることが明らかになった際、水の秩序形成的なコスモトロープに対して、構造を乱す傾向のあるイオンを総称するためにこの語が導入された。1970年代以降、カオトロピック剤という用語は、核酸やタンパク質を変性させる試薬を指す実験用語としても広く定着した(1)。
カオトロープの現代的な定義は、サイズが大きく、電荷密度が低く、水和力の弱いイオンや溶質を指す。これらは水分子との結合が弱く、水の水素結合ネットワークを部分的に乱す傾向を示す。典型的な例として、陰イオンではヨウ化物イオンやチオシアン酸イオン、陽イオンではセシウムイオンなどが挙げられる。また、タンパク質の変性剤として知られる塩酸グアニジンや尿素も、カオトロープ的作用を示す代表的な分子である。カオトロープは、タンパク質の疎水面やペプチド主鎖に弱く吸着し、折りたたみ平衡を変性側へシフトさせる。
かつては、カオトロープが水の構造を壊す性質を持つと単純に理解されていた。しかし近年の分光学的およびシミュレーション研究によって、そのようなバルク水の大規模な構造破壊を主たる機構とする説明は十分ではないことが示されている(2-4)。現在では、カオトロープの本質はむしろ、溶質・分子界面(例えばタンパク質表面やナノ粒子界面)への特異的な吸着や近接、および第一水和殻やそのダイナミクスが変化することにあると考えられている。すなわち、カオトロープは界面近傍の水和構造を変化させることで、生体分子の構造安定性や会合状態を制御する。
参考文献
1. Baldwin, R. L. How Hofmeister ion interactions affect protein stability. Biophys. J. 1996, 71, 2056–2063.
2. Zhang, Y.; Cremer, P. S. Interactions between macromolecules and ions: the Hofmeister series. Curr. Opin. Chem. Biol. 2006, 10, 658–663.
3. Gregory, K. P.; Elliott, G. R.; Robertson, H.; Kumar, A.; Wanless, E. J.; Webber, G. B.; Craig, V. S. J.; Andersson, G. G.; Page, A. J. Understanding specific ion effects and the Hofmeister series. Phys. Chem. Chem. Phys. 2022, 24, 12682–12718.
4. Assaf, K. I.; Nau, W. M. The chaotropic effect as a driving force for supramolecular host–guest chemistry. Angew. Chem., Int. Ed. 2018, 57, 13968–13981.
◆ハイドロトロープ
ハイドロトロープ(hydrotrope)という語は、ギリシャ語の hydro(水) と tropos(向き/変化) に由来し、直訳すれば「水への親和的な変化をもたらすもの」という意味になる。この概念は、ドイツの生化学者 Carl Neuberg(1877-1956) が 1916 年に発表した論文において初めて導入された(1, 2)。Neubergは、安息香酸塩などの芳香族有機酸が、界面活性剤を用いなくとも疎水性化合物の溶解度を著しく増大させる現象を報告し、この現象をハイドロトロピー(hydrotropy)と名付けた。
ハイドロトロープとは、臨界ミセル濃度を持たず、比較的高濃度で作用する小分子溶質である点で、界面活性剤とは区別される。典型的な化合物には、ナトリウム安息香酸塩や、トルエンスルホン酸塩、クレゾール酸塩 どがあり、これらは界面活性剤のような明確なミセル構造は形成せず、低極性化合物の水への溶解を促進する。
20世紀後半には、ハイドロトロープが産業的に応用され、医薬や洗浄剤、化粧品などの可溶化助剤として広く利用された。さらに21世紀に入り、生体分子の細胞内環境の研究において、ハイドロトロープ概念が再び注目を集める契機となったのが、Patel らによる報告である(3)。Patel らは、細胞質内に数mMも存在している ATP が、タンパク質の凝集を防ぎ、液-液相分離を抑制する作用を示すことを報告し、ATP を生体ハイドロトロープ(biological hydrotrope)と位置づけた。この報告は、ハイドロトロープ概念を単なる有機化学的現象から、細胞レベルでの分子集積制御の原理へと拡張するきっかけとなった。
現在では、ハイドロトロープの作用は単純な溶解促進ではなく、分子間の弱い非共有結合を調節する分子として理解されている。生体分子との関係では、ハイドロトロープはタンパク質や疎水性分子の凝集抑制・可溶化に寄与する。ATPの例に限らず、アミノ酸誘導体や塩基性アミンなども、同様の可溶化効果を示すことが報告されている(4)。特に、アルギニンはタンパク質構造を不安定にせず凝集を抑制する性質があるため(5)、カオトロープではなくハイドロトロープの性質を持つと考えてよい。アルギニンはそのグアニジニウム基が芳香族環や疎水性残基にπ–カチオン相互作用を形成することで、疎水面への吸着や凝集体形成を抑制する(6)。この作用により、アルギニンは多くのタンパク質において可溶化・変性防止・リフォールディング促進を示すことが知られている。
参考文献
1. Neuberg, C. Hydrotropic Appearances. Biochem. Z. 1916, 76, 107–176.
2. Mehringer, J.; Kunz, W. Carl Neuberg’s Hydrotropic Appearances (1916). Adv. Colloid Interface Sci. 2021, 294, 102476.
3. Patel, A.; Malinovska, L.; Saha, S.; Wang, J.; Alberti, S.; Krishnan, Y.; Hyman, A. A. ATP as a Biological Hydrotrope. Science 2017, 356, 753–756.
4. Shiraki, K.; Tomita, S.; Inoue, N. Small Amine Molecules: Solvent Design toward Facile Improvement of Protein Stability against Aggregation and Inactivation. Curr. Pharm. Biotechnol. 2016, 17, 116–125.
5. Shiraki, K.; Kudou, M.; Fujiwara, S.; Imanaka, T.; Takagi, M. Biophysical Effect of Amino Acids on the Prevention of Protein Aggregation. J. Biochem. 2002, 132, 591–595.
6. Hirano, A.; Kameda, T.; Arakawa, T.; Shiraki, K. Arginine-Assisted Solubilization System for Drug Substances: Solubility Experiment and Simulation. J. Phys. Chem. B 2010, 114, 13455–13462.
◆オスモライト
オスモライト(osmolyte)は osmosis(浸透)と -lyte(溶質)に由来し、細胞が高塩濃度・乾燥・温度・圧力などの環境ストレスにさらされた際に、細胞容積と生体高分子の機能を維持するために蓄積する低分子化合物を指す(1)。代表的なオスモライトには、プロリン、グリシンベタイン、トリメチルアミン-N-オキシド(TMAO)、糖類、ポリオールなどがあり、細胞内で数百ミリモル濃度に達しても代謝や酵素反応を阻害しないことから、適合溶質(compatible solute)とも呼ばれる。
オスモライトの安定化機構は、Timasheff による選択的排除(preferential exclusion)理論により説明される(2)。安定化オスモライトはタンパク質の水和殻から排除され、水和水の化学ポテンシャルを変化させることで、折り畳み構造を熱力学的に有利に保つ。一方、尿素やグアニジニウム塩などのカオトロープは、タンパク質主鎖や側鎖と直接相互作用して変性を促進する(3,4)。尿素がオスモライトと補償関係を示すことは古くから知られ、オスモライト間の代表的な分子相互作用の一例である。
哺乳類の腎髄質では尿素が高濃度で蓄積し、タンパク質の変性を誘発する可能性がある。そのため、腎髄質細胞内にはグリシンベタイン、ミオイノシトール、ソルビトール、グリセロホスホリルコリンなどの有機浸透圧調節溶質が高濃度で共存し、尿素の変性効果を相殺している(5)。また、尿素濃度が特に高い組織では、メチルアミン類溶質の濃度も上昇する傾向が報告されており(6)、これらの溶質群が相互作用して安定な浸透保護環境を形成していると考えられている。
近年では、尿素とオスモライトの混合状態が天然深共晶溶媒(natural deep eutectic solvent, NADES)的な特性を併せ持つ可能性が注目されている。たとえば、リゾチームを用いた研究では、TMAO、ベタイン、サルコシンなどのコスモトロープをグリセロールまたは尿素と組み合わせたオスモライト系DESが、熱ショックや凍結融解サイクルでも酵素活性を保持した(7)。また、ウサギ腎臓細胞に由来するNADESが乳酸酸化酵素の耐熱化にも有効であることが示されている(8)。さらに、多成分オスモライト混合系が高い再現性で深共晶系を形成しうることが報告されており(9)、細胞内には変性剤と適合溶質の相互作用による新たな溶媒系ができている可能性がある。
参考文献
1. Yancey, P. H.; Clark, M. E.; Hand, S. C.; Bowlus, R. D.; Somero, G. N. Living with water stress: evolution of osmolyte systems. Science 1982, 217, 1214–1222.
2. Timasheff, S. N. Protein–solvent preferential interactions, protein hydration, and the modulation of biochemical reactions by solvent components. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. 2002, 99, 9721–9726.
3. Yancey, P. H. Organic osmolytes as compatible, metabolic, and counteracting cytoprotectants in high osmolarity and other stresses. J. Exp. Biol. 2005, 208, 2819–2830.
4. Rösgen, J.; Pettitt, B. M.; Bolen, D. W. An analysis of the molecular basis of osmolyte effects on protein stability. Protein Sci. 2007, 16, 733–743.
5. Sizeland, P. C.; Chambers, S. T.; Lever, M.; Bason, L. M.; Robson, R. A. Organic Osmolytes in Human and Other Mammalian Kidneys. Kidney Int. 1993, 43 (2), 448–453.
6. Occurring Osmolytes Modulate the Nanomechanical Properties of Polycystic Kidney Disease Domains. J. Biol. Chem. 2010, 285 (49), 38438–38443.
7. Damjanović, A.; Logarušić, M.; Tumir, L.–M.; Andreou, T.; Cvjetko Bubalo, M.; Radojčić Redovniković, I. Enhancing protein stability under stress: osmolyte-based deep eutectic solvents as a biocompatible and robust stabilizing medium for lysozyme under heat and cold shock. Phys. Chem. Chem. Phys. 2024, 26, 21040–21051.
8. Kono et al., Thermal stabilization of L-lactate oxidase in natural deep eutectic solvents mimicking in a living cell. In preparation
9. Cvjetko Bubalo, M.; Andreou, T.; Panić, M.; Radović, M.; Radošević, K.; Radojčić Redovniković, I. Natural multi-osmolyte cocktails form deep eutectic systems of unprecedented complexity: discovery, affordances and perspectives. Green Chem. 2023, 25, 3398–3417.
◆適合溶質
適合溶質(compatible solute)とは、細胞の代謝や酵素活性を阻害することなく、細胞内に高濃度で蓄積可能な小分子溶質を指す。語源としては、compatible(両立可能な)および solute(溶質)に由来し、本用語は「細胞機能と矛盾せずに、高浸透圧・高塩などのストレス環境に適応可能な溶質」を意味する。
この用語は、Brownらによる1972年の酵母を対象とした論文の本文中ではじめて用語が提示された(1)。Brownらはその後、海洋性および好塩性の単細胞緑藻Dunaliellaにおいて、グリセロールを蓄積することで、代謝酵素に悪影響を及ぼさず細胞に塩ストレス適応を付与する機構として適合溶質の概念を明示した(2)。それ以降、あらゆる生物において同様の溶質が多数確認され、特にタンパク質等の生理的安定性維持という観点が重視されている(3)。
代表的な適合溶質はほぼオスモライトと重なり、プロリン、グリシン、メベタイン、エクトイン、カルニチン、トレハロース、ソルビトール、グリセロールなどがある。これらの化合物は、細胞が高塩・乾燥・低温などのストレスにさらされたとき、外部環境に応じて合成または輸送によって蓄積される。たとえば、高塩耐性菌では、内部塩濃度を高める代わりに、エクトインやグリシンベタインを大量に蓄積することで、タンパク質構造や酵素反応を維持している(4)。
適合溶質の物理化学的作用は、選択的排除に基づくオスモライトの原理と共通しており、タンパク質表面から溶質が排除されることでタンパク質の周りの水和殻が安定化し、フォールディング構造が自由エネルギー的に有利になる。さらに、多くの適合溶質は生体膜の安定化作用もあり、極限環境生物では生体膜の相転移防止にも寄与している(5)。適合溶質は、単にストレス耐性の代謝産物ではなく、進化的に保存された生体防御メカニズムとして理解できる。
参考文献
1. Brown, A. D.; Simpson, J. R. Water relations of sugar-tolerant yeasts: the role of intracellular polyols. J. Gen. Microbiol. 1972, 72, 589–591.
2. Borowitzka, L. J., & Brown, A. D. The salt relations of marine and halophilic species of the unicellular green alga, Dunaliella. The role of glycerol as a compatible solute. Archiv fur Mikrobiologie. 1974, 96(1), 37–52.
3. Roberts, M. F. Organic compatible solutes of halotolerant and halophilic microorganisms. Saline Systems 2005, 1, 5.
4. Gunde-Cimerman, N.; Plemenitaš, A.; Oren, A. Strategies of adaptation of microorganisms of the three domains of life to high salt concentrations. FEMS Microbiol. Rev. 2018, 42, 353–375.
5. Empadinhas, N.; da Costa, M. S. Diversity, biosynthesis and fate of compatible solutes in microorganisms. Res. Microbiol. 2008, 159, 267–278.
◆変性剤
変性剤(denaturant)とは、タンパク質や核酸などの高次構造を解きほぐす(denature)作用をもつ化学的または物理的因子を指す。語源はラテン語 de-(取り除く)+natura(本性)に由来し、「本来の性質を奪うもの」という意味をもつ。変性剤として尿素や塩酸グアニジンが代表例である。これらはいずれも強いカオトロープ性をもち、タンパク質の疎水コアやペプチド主鎖に強く結合することにより、立体構造を不安定化させる。尿素は主として主鎖アミドとの水素結合形成、塩酸グアニジンは静電的およびπ–カチオン相互作用を介して作用する。
タンパク質変性は、Hsien Wu(1893-1959)の研究が理論的起点とされる(1)。Wu は変性を不可逆な崩壊ではなく、可逆的な構造転移として捉えた点で画期的であり、のちの熱力学的解析の礎となった(2)。その後、1940年代から1960年代にかけて、尿素や塩酸グアニジニウムなどの化学的変性剤が系統的に用いられるようになった。
Charles Tanford(1921-2009)は、1968年に尿素やグアニジニウム塩による変性実験から、変性剤濃度に対するタンパク質のネイティブ構造の自由エネルギー変化(ΔG)がほぼ直線的に関係することを示し、化学変性の熱力学的解析の基礎を築いた(3)。この経験的関係はのちに C. Nick Pace らによって二状態転移を仮定した線形展開モデルとして定式化され、ΔG = ΔG°(H₂O) – m[denaturant] の形で表現されるようになった(4)。m値は主に溶媒露出表面積の変化に比例することが知られている(5)。つまり、m値はタンパク質の折りたたみに伴う表面積スケールを表す指標ともいえる。
さらに、Christian B. Anfinsen(1916-1995)は、酵素リボヌクレアーゼの変性・再構成実験を通して、アミノ酸配列のみがそのタンパク質の生物活性構造を決定するという熱力学仮説 を提唱し、1972年にノーベル化学賞を受賞した(6)。彼の業績は、折りたたみ可能なポリペプチド鎖がその配列情報に基づいて自発的に適切な構造へ移行しうることを示し、可逆的変性・再結合実験の枠組みにも強く影響を与えている(7)。したがって、化学変性実験による ΔG や m値という指標は、タンパク質の安定性や折り畳みプロセスを定量的に捉える手段として、Anfinsen の示した配列→構造という原理の下で意味づけられている。
参考文献
1. Wu, H. Studies on denaturation of proteins. XIII. A theory of denaturation. Chin. J. Physiol. 1931, 5, 321–344.
2. Anson, M. L.; Mirsky, A. E. Protein coagulation and its reversibility. J. Gen. Physiol. 1934, 17, 393–408.
3. Tanford, C. Protein denaturation. Adv. Protein Chem. 1968, 23, 121–282.
4. Pace, C. N. Determination and analysis of urea and guanidine hydrochloride denaturation curves. Methods Enzymol. 1986, 131, 266–280.
5. Myers, J. K.; Pace, C. N.; Scholtz, J. M. Denaturant m values and heat capacity changes: relation to changes in accessible surface areas of protein unfolding. Protein Sci. 1995, 4, 2138–2148.
6. Anfinsen, C. B. Principles that Govern the Folding of Protein Chains. Science 1973, 181, 223–230.
7. Anfinsen, C. B.; Haber, E.; Sela, M.; White, F. H. The Kinetics of Formation of Native Ribonuclease during Oxidation of the Reduced Polypeptide Chain. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. 1961, 47, 1309–1314.
◆イオン液体
イオン液体(ionic liquids)は、室温付近で液体となる塩であり、一般に有機カチオンと弱配位性アニオンから構成される。この溶媒群は、蒸気圧がほぼゼロで揮発しにくく、酸化・還元に対して安定なため広い電位窓(electrochemical window)を有する。また、カチオンおよびアニオンの組み合わせにより化学構造や物性を自在に設計できることから、デザイン可能な溶媒として、合成化学、触媒化学、材料化学など多様な分野で広く利用されてきた(1) 最近では、生体分子、特にタンパク質の溶解性・安定性・活性を制御するグリーンケミストリーとしての位置付けが拡大している(2)。イオン液体がタンパク質に与える影響は、濃度、pH、イオン種(特にアニオン)、水分率などに強く依存し、安定化効果を示すこともあれば変性をもたらすこともある。そのため、イオン液体は単なる有機共溶媒ではなく、水和構造・界面相互作用・特異イオン効果を介してタンパク質–溶媒–水系を再構成するものであることが示されている(3)。
生体適合性のあるイオン液体としては、コリニウムやアミノ酸アニオンを利用した系が特に注目されている。こうした系では、(i) アニオンの親水性/コスモトロープ性がタンパク質安定化に有利、(ii) 適切な濃度ウィンドウが存在、(iii) 蛋白質の表面電荷・露出疎水面に応じた応答のタンパク質の種類依存性が観察されている(4). 例えば、コリニウム系イオン液体がプロテイナーゼ K の熱安定性を顕著に向上させたものの、その活性が若干低下したという報告もあり、安定化と活性のトレードオフがあることも明らかになっている(5)。
応用展開としては、イオン液体は(i) バイオ医薬品製剤の長期安定化、(ii) 酵素触媒の熱・有機耐性付与、(iii) 核酸・膜タンパク質の溶液取り扱いといった領域で実績を出している。最近では、タンパク質との関連について、イオン液体がタンパク質を溶解・抽出・安定化・精製するために必要な特性を、過去から現在、将来展望まで網羅的に評価した総説が報告されている(6)。また、製剤応用の観点からは、イオン液体が薬物合成、薬物分析、溶解性改善、結晶工学、薬物キャリア、タンパク質安定化、抗菌活性など多岐にわたる用途を持つことが示されている(7)。しかし、イオン液体はタンパク質構造を変性させる場合があることに加え、高粘度や毒性の課題が依然として残されており、イオン液体の進化系として深共晶溶媒(deep eutectic solvents, DES)の開発が期待されている。
参考文献
1. Welton, T. Room-Temperature Ionic Liquids. Solvents for Synthesis and Catalysis. Chem. Rev. 1999, 99 (8), 2071–2084.
2. Rogers, R. D.; Seddon, K. R. Ionic Liquids—Solvents of the Future? Science 2003, 302 (5646), 792–793.
3. Hallett, J. P.; Welton, T. Room-Temperature Ionic Liquids: Solvents for Synthesis and Catalysis. Chem. Rev. 2011, 111 (5), 3508–3576.
4. Reslan, M.; Kayser, V. Ionic Liquids as Biocompatible Stabilizers of Proteins. Biophys. Rev. 2018, 10, 781–793.
5. Li, R.; et al. Enhancement of Thermal Stability of Proteinase K by Cholinium-Based Ionic Liquids. Phys. Chem. Chem. Phys. 2022, 24, 2800–2809.
6. Do Ionic Liquids Exhibit the Required Characteristics to Dissolve, Extract, Stabilize, and Purify Proteins? Past–Present–Future Assessment. Chem. Rev. 2024, 124 (6), 3037–3084.
7. Zhuo, Y.; Cheng, H.-L.; Zhao, Y.-G.; Cui, H.-R. Ionic Liquids in Pharmaceutical and Biomedical Applications. Pharmaceutics 2024, 16 (1), 151.
◆深共晶溶媒
深共晶溶媒(deep eutectic solvents, DES)は、水素結合アクセプター(典型的には第四級アンモニウム塩)と、水素結合ドナー(尿素、有機酸、多価アルコールなど)の混合によって得られる低融点液体であり、強い水素結合ネットワークによって著しい融点降下を示す。代表的な例として、塩化コリンと尿素の混合物が挙げられる。この系は Abbott らにより初めて報告され(1)、さらに塩化コリンとカルボン酸を組み合わせることで、室温で液体化する多用途溶媒として発展した(2)。以後、天然由来成分のみで構成される天然深共晶溶媒(natural DES, NADES)という概念が提唱され、細胞代謝や生理環境に近い液体として注目を集めている(3,4)。
DESはイオン液体としばしば比較されるが、両者は本質的に異なる。イオン液体がイオンのみから構成されるのに対し、DESは中性分子間の強固な水素結合ネットワークによって形成される擬似イオン性液体である。DESの物性は、水素結合アクセプターとドナーの種類・モル比・含水量により大きく変化し、粘度、極性、導電率などを広範に制御できる(5)。
DESの利点として、低揮発性、難燃性、生体適合性、および水や有機溶媒とは異なる特異な溶質溶解性が挙げられる。DESは水素結合ネットワークにより、親水性および疎水性の両種化合物を可溶化できることがあり、界面活性剤や脂肪酸エステルを構成成分とするDESは、従来の溶媒では溶けにくい医薬品有効成分(active pharmaceutical ingredients, APIs)の溶解促進に有効であることが報告されている(6)。
DESの製造法は極めて簡便で、通常は構成成分を所定のモル比で混合し、60–80 °C 程度に加熱・撹拌するだけで均一液体が得られる。ただし、DESを形成させたあと水にDESを溶解したあともDESの構造が残されるのか、単なる成分の混合物とどのように異なるのかについては研究がほとんど進められていない。DESの作成過程で生じる副産物によってむしろ酵素活性が増加するケースもあり、DESの製造法にも指針が必要となっている(7)。
1. Abbott, A. P.; Capper, G.; Davies, D. L.; Rasheed, R. K.; Tambyrajah, V. Novel Solvent Properties of Choline Chloride/Urea Mixtures. Chem. Commun. 2003, 2003 (1), 70–71.
2. Abbott, A. P.; Boothby, D.; Capper, G.; Davies, D. L.; Rasheed, R. K. Deep Eutectic Solvents Formed between Choline Chloride and Carboxylic Acids: Versatile Alternatives to Ionic Liquids. J. Am. Chem. Soc. 2004, 126 (29), 9142–9147.
3. Choi, Y. H.; van Spronsen, J.; Dai, Y.; Verberne, M.; Hollmann, F.; Arends, I. W. C. E.; Witkamp, G.-J.; Verpoorte, R. Are Natural Deep Eutectic Solvents the Missing Link in Understanding Cellular Metabolism and Physiology? Plant Physiol. 2011, 156 (4), 1701–1705.
4. Dai, Y.; van Spronsen, J.; Witkamp, G.-J.; Verpoorte, R.; Choi, Y. H. Natural Deep Eutectic Solvents as New Potential Media for Green Technology. Anal. Chim. Acta 2013, 766, 61–68.
5. Abranches, D. O.; Coutinho, J. A. P. Everything You Wanted to Know about Deep Eutectic Solvents but Were Afraid to Be Told. Annu. Rev. Chem. Biomol. Eng. 2023, 14, 141-163.
6. Yadav, N.; Venkatesu, P. Current Understanding and Insights towards Protein Stabilization and Activation in Deep Eutectic Solvents as Sustainable Solvent Media. Phys. Chem. Chem. Phys. 2022, 24, 16651–16669.
7. Koseki et al., Preparation-Dependent Effects of Glycerol-Based Deep Eutectic Solvents on Laccase Catalysis. in preparation.
◆天然深共晶溶媒
天然深共晶溶媒(Natural Deep Eutectic Solvents; NADES)は、深共晶溶媒(DES)の一種であり、すべての構成成分が生体由来の小分子(例:アミノ酸、有機酸、糖、多価アルコール、ベタインなど)から構成される深共晶溶媒を指す(1,2)。その特徴は、成分間の強い水素結合ネットワークによって融点が大きく低下し、室温またはそれ以下で液体となる点にある。この概念は、Choiらによって2011年に初めて提唱され、「細胞内環境に存在する多成分低分子群が、深共晶状態で液体的マトリクスを形成している可能性」を指摘したことで注目が集まった(1)。
NADESの組成は多様であり、典型的には糖類・有機酸・アミノ酸などからなる。これらの混合によって、水素結合ネットワークが構築され、従来のイオン液体・合成DESに比べて比較的低毒性・高生体適合性・高分解性を目指した設計がなされてきている(2)。生物学的観点では、細胞内代謝小分子が高濃度共存することで、局所的に液体的マトリクスを形成している可能性が提唱されており、この仮説は乾燥耐性植物や極限環境微生物の代謝保護機構とも整合的である。
ハチミツは主としてグルコース、フルクトース、スクロースおよび水から構成され、これら糖類間に強い水素結合ネットワークを形成しており、天然深共晶溶媒と共通する低融点・高粘度・低水活性といった物性を示すことが報告されている(4)。ハチミツを模倣した糖類系NADESを用いたポリフェノール抽出系では、ハチミツと類似した抗酸化活性の相加・相乗効果が観察され、分子間相互作用および機能的性質の両面で高い類似性を示す(5)。さらに、植物成分の抽出・安定化におけるハチミツや糖類NADESの役割を比較した総説でも、両者が自然界に存在する生体由来の深共晶混合物として位置づけられている(6)。
参考文献
1. Choi, Y. H.; van Spronsen, J.; Dai, Y.; Verberne, M.; Hollmann, F.; Arends, I. W. C. E.; Witkamp, G.-J.; Verpoorte, R. Are Natural Deep Eutectic Solvents the Missing Link in Understanding Cellular Metabolism and Physiology? Plant Physiol. 2011, 156 (4), 1701–1705.
2. Dai, Y.; van Spronsen, J.; Witkamp, G.-J.; Verpoorte, R.; Choi, Y. H. Natural Deep Eutectic Solvents as New Potential Media for Green Technology. Anal. Chim. Acta 2013, 766, 61–68.
3. Sizeland, P. C., Chambers, S. T., Lever, M., Bason, L. M., & Robson, R. A. Organic osmolytes in human and other mammalian kidneys. Kidney international. 1993, 43(2), 448–453.
4. Dai, Y.; Jin, R.; Verpoorte, R.; Lam, W.; Cheng, Y.-C.; Xiao, Y.; Xu, J.; Zhang, L.; Qin, X.-M.; Chen, S. Natural Deep Eutectic Characteristics of Honey Improve the Bioactivity and Safety of Traditional Medicines. J. Ethnopharmacol. 2020, 250, 112460.
5. Dimitriu, L.; Constantinescu-Aruxandei, D.; Preda, D.; Nichițean, A.-L.; Nicolae, C.-A.; Faraon, V. A.; Ghiurea, M.; Ganciarov, M.; Băbeanu, N. E.; Oancea, F. Honey and Its Biomimetic Deep Eutectic Solvent Modulate the Antioxidant Activity of Polyphenols. Antioxidants 2022, 11 (11), 2194.
6. Hikmawanti, N. P. E.; Ramadon, D.; Jantan, I.; Mun’im, A. Natural Deep Eutectic Solvents (NADES): Phytochemical Extraction Performance Enhancer for Pharmaceutical and Nutraceutical Product Development. Plants 2021, 10 (10), 2091.
◆水
第一水和殻(hydration shell)とは、タンパク質や他の生体高分子が溶液中に存在する際、その表面を直接取り囲む水分子の層のことをいう。これは、分子表面からおよそ 3–5 Å の範囲に存在する水分子群であり、電荷・極性・疎水性などの局所的化学環境に応じて、特異的な配向や水素結合ネットワークを形成する。この層の水分子は、バルク水に比べて回転や並進の緩和時間が遅く、分子運動が拘束されている(1)。近年の赤外分光や、NMR緩和、分子動力学シミュレーションによる研究から、第一水和殻はフェムト秒からピコ秒の時間スケールで絶えず交換や再配向を繰り返す動的ネットワークであることが示されている(2)。この水和層は、タンパク質の立体構造安定化やフォールディング過程において重要な役割を担い、タンパク質の表面性質を媒介して、溶液全体の熱力学的挙動を決定する。
結合水(bound water)とは、タンパク質の構造内部や表面近傍で、比較的長時間その位置に留まり、分子と強く相互作用している水分子を指す。これらの水は、主に水素結合や静電的相互作用によってアミノ酸残基やリガンド、金属イオンなどに固定されており、結晶構造中にしばしば構造水として観測される(3)。結合水は通常の溶媒水よりも回転や拡散が著しく遅く、エネルギー的にも安定であり、タンパク質の立体構造の保持や分子の認識過程に重要な役割を果たす。近年の分子動力学計算やX線結晶構造解析では、結合水がタンパク質内部の水素結合ネットワークを媒介する非共有結合要素として再評価されている(4)。
バルク水(bulk water)とは、溶質や界面から十分に離れ、分子間相互作用においてほぼ純水と同等の統計的性質を示す水分子群を指す。溶液中の大部分を占めるバルク水は、第一水和殻や結合水とは異なり、溶質の電場・疎水面・分極などの影響をほとんど受けない。この領域の水分子は平均的な水素結合数(約3.4)を持ち、数ピコ秒のスケールで自由に回転・拡散している。バルク水はタンパク質溶液系の“基準状態”として、溶質による水構造の変調を議論する際のリファレンスとなる(5)。一方で、近年の研究では高濃度塩や極性共溶媒の存在下でバルク水の誘電率・緩和時間が変化することが示されており、必ずしも純水的挙動を保つとは限らない(7)。そのため、タンパク質溶液を理解する上では、バルク水・水和水・結合水の三者の動的平衡を統一的に考える必要がある。
疎水性溶質が水中に存在する際、その周囲の水分子が秩序化するという考え方は、1950年代に Frank と Evans によって提案されたアイスバーグモデル(iceberg model)に端を発する(7)。このモデルでは、疎水性分子の存在が周囲の水分子の回転・配向自由度を低下させ、結果として氷様の局所的秩序構造を形成すると考えられた。このとき、水分子間の水素結合ネットワークは溶質の非極性表面を避けるように再配向し、その周囲に氷山(iceberg)のような低エントロピーの水構造領域が生じるとされた。このエントロピー損失が、疎水効果における自由エネルギー増大(ΔG > 0)の主要因であるという仮説である(8)。しかし、その後の研究により、この単純なアイスバーグモデルは再考を迫られた。近年では、疎水性溶質の周囲では水分子の水素結合数はほとんど減少せず、配向の自由度が制限されるだけであることが示されている(9)。
参考文献
1. Laage, D.; Hynes, J. T. Water Dynamics in Protein Hydration Shells: The Molecular Origins of the Dynamical Perturbation. J. Phys. Chem. B 2012, 116, 6263–6272.
2. Maurer, M.; Wolf, M.; Hache, D.; Böckmann, R. A. Water in Protein Hydration and Ligand Recognition. J. Mol. Recognit. 2019, 32 (4), e2810.
3. Chen, X.; Isnard, M.; Yaacob, L.; Ducruix, A. Hydration Water and Bulk Water in Proteins Have Distinct Tetrahedral Networks. Biophys. J. 2008, 95, 3974–3984.
4. Halle, B. Protein Hydration Dynamics in Solution: A Critical Survey. Philos. Trans. R. Soc. Lond. B Biol. Sci. 2004, 359, 1207–1223.
5. Laage, D.; Hynes, J. T. Water Dynamics in Protein Hydration Shells: The Molecular Origins of the Dynamical Perturbation. J. Phys. Chem. B 2012, 116, 6263–6272.
6. Chaplin, M. Water Structure and Science. Biochem. Soc. Trans. 2006, 34, 1043–1048.
7. Frank, H. S.; Evans, M. W. Free Volume and Entropy in Condensed Systems. III. Entropy in Binary Liquid Mixtures; Partial Molal Entropy in Dilute Solutions; Structure and Thermodynamics in Aqueous Electrolytes. J. Chem. Phys. 1945, 13, 507–532.
8. Kauzmann, W. Some Factors in the Interpretation of Protein Denaturation. Adv. Protein Chem. 1959, 14, 1–63.
9. Chandler, D. Interfaces and the Driving Force of Hydrophobic Assembly. Nature 2005, 437, 640–647.
◆疎水性相互作用と水分子
生体分子の構造安定化や自己組織化の基盤には、疎水性相互作用(hydrophobic interaction)と呼ばれる現象がある。これは、非極性分子あるいは分子の疎水性部分が水中で互いに凝集する傾向を示すものであり、直接的な引力ではなく、水という溶媒の性質によって生じる間接的な自由エネルギー効果である。すなわち、疎水面近傍では水分子の配向や水素結合が制約を受け、局所的な秩序化(つまり構造エントロピーの減少)が起こる。このエントロピー損失を最小化するために、疎水面が互いに接近し、水との接触面積を減少させる方向へ反応が進む。これが疎水効果(hydrophobic effect)の概要である。
この考え方は、1945年に Frank と Evans によってアイスバーグモデルとして定式化されたことにはじまる(1)。彼らは、非極性溶質の周囲で水分子が氷様に秩序化し、低エントロピーの構造を形成すると仮定した。1959年、Kauzmann はこの概念をタンパク質の安定化機構に適用し、変性状態では疎水性残基が水と接して秩序化した水構造が生じるが、フォールディングによりそれが解放されることでエントロピーが回復し、自由エネルギーが低下すると説明した(2)。この「水の秩序化とその解放」による駆動力の概念は、以後の生物物理化学の中心的理論となった。
その後の熱力学的研究により、疎水性相互作用は単純なエントロピー効果だけでなく、エンタルピー変化(ΔH)も関与することが明らかになった。疎水性小分子の溶質(例えばメタン)の溶媒和では ΔH が正となるが、タンパク質やミセルなど大きな疎水表面の形成では ΔH が負になることが多く、疎水効果の寄与はスケール依存的である(3)。つまり、小スケールでは水分子の秩序化に起因するエントロピー駆動が支配的であり、大スケールでは疎水界面の脱水過程や水–水水素結合の再編に伴うエンタルピー利得が支配的となる。
分子動力学シミュレーションや超高速分光の進展により、疎水面近傍の水分子は氷のように固定的な構造をとるわけではなく、水素結合数はほぼ保たれたまま、配向自由度が制限される(4)。したがって、氷のような殻がタンパク質の周りに形成されるという古典的アイスバーグ仮説は定性的な説明として有用ではあるが、実際には動的秩序化に基づく自由エネルギー効果として再解釈されている。Chandlerはこの現象を「水–疎水界面における相転移的挙動」と捉え、水の自己組織的再構築こそが疎水性会合を駆動する熱力学的基盤であると論じた(5)。
タンパク質のフォールディングは、まさにこの疎水効果の集約的現象である。変性状態では疎水性残基が水中に露出し、周囲の水分子が秩序化してエントロピーを失う。フォールディングが進行し疎水コアが形成されると、その秩序化水が解放されてエントロピーが増加し、全体の自由エネルギー(ΔG)が減少する。したがって、フォールディングの駆動力は、エンタルピーで説明できるようなタンパク質内部のエネルギー安定化だけでなく、水のエントロピー回復という溶媒主導の要素を大きく含む。そのため、水構造に影響をおよぼすコスモトロープやカオトロープなどの添加剤によってタンパク質の安定性も影響を受ける。
参考文献
1. Frank, H. S.; Evans, M. W. Free Volume and Entropy in Condensed Systems. III. Entropy in Binary Liquid Mixtures; Partial Molal Entropy in Dilute Solutions; Structure and Thermodynamics in Aqueous Electrolytes.
2. Kauzmann, W. Some Factors in the Interpretation of Protein Denaturation. Adv. Protein Chem. 1959, 14, 1–63.
3. Tanford, C. The Hydrophobic Effect: Formation of Micelles and Biological Membranes; Wiley: New York, 1973.
4. Rossky, P. J.; Lum, K. Hydrophobicity, Hydration, and Water Structure. J. Phys. Chem. B 1999, 103, 4570–4577.
5. Chandler, D. Interfaces and the Driving Force of Hydrophobic Assembly. Nature 2005, 437, 640–647.
◆二状態モデル
二状態モデル(Two-State Model)とは、タンパク質のフォールディングや変性を、ネイティブ状態と変性状態の2つの状態のみで記述する単純化モデルである。このモデルでは、全体の分子集団が完全に折りたたまれた構造と完全に展開した構造との間で可逆的平衡を保ち、中間状態を明示的に考慮しないという仮定を置く。
二状態モデルの概念は、1930年代の Hsien Wu(1931) による「変性は可逆的な平衡過程である」という提案に始まる(1)。その後、Anson & Mirsky(1934) がリゾチームなどの再構成可能なタンパク質を用いて、構造変化が可逆であることを実験的に示し「N–Dの二状態平衡」という考え方を具体化した(2)。1950〜60年代には、Lumry & Eyring(1954) がタンパク質変性を速度論的にも可逆平衡反応として扱う理論を構築し(3)、さらに Tanford(1968) が化学変性剤による平衡解析にこのモデルを適用した(4)。1970年代以降、Privalov(1979) による DSC(示差走査熱量測定)解析が登場し、熱変性過程がほぼ完全な二状態転移として振る舞うタンパク質が多数確認されたことで、二状態モデルは熱力学的標準モデルとして確立した(5)。
二状態転移では、部分的な構造変化が存在せず、全分子が一斉に転移する。実際には、局所的な中間構造は存在しうるが、観測的に分離できない場合、実効的に二状態とみなされる。このような構造変化を協同性(cooporativity)という。多くの小型単量体タンパク質は二状態的に変性するが、大型多ドメインタンパク質や会合型タンパク質では、部分的変性状態(molten globule)や中間状態が存在し、多状態モデルが必要となる。
参考文献
1. Wu, H. Studies on denaturation of proteins. XIII. A theory of denaturation. Chin. J. Physiol. 1931, 5, 321–344.
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◆モルテン・グロビュールモデル
モルテン・グロビュール(molten globule)状態は、タンパク質のフォールディング過程における代表的な中間状態として知られている。この概念は、1978年に大串と和田によって、ウマ血清アルブミンを用いた研究において初めて実験的に明確に提示された(1)。彼らは、酸性条件下でネイティブ構造が失われた状態でも、αヘリックス構造がかなり保持され、疎水性コアを部分的に形成しているが、側鎖の密なパッキングが欠如している状態を観測し、この状態をモルテン・グロビュールと名付けた。
モルテン・グロビュール(MG)は、完全に変性したU(unfolded)状態と、三次構造が確立したN(native)状態の中間に位置し、“U → MG → N” の三状態モデルで表される(2)。モルテン・グロビュール状態では、二次構造の形成が進んでいる一方、側鎖の秩序性は低く、分子内に動的柔軟性が残っている。溶媒アクセス可能表面積(ASA)はネイティブ状態より大きく、部分的に露出した疎水面が溶媒分子と相互作用することも特徴である(3)。
この状態はフォールディング中間体としてのみならず、タンパク質の構造安定化・ミスフォールディング・凝集・アミロイド形成の理解にも重要な役割を果たしている。特にシャペロンとの相互作用研究では、モルテン・グロビュール状態がシャペロンの認識対象となることが知られており、構造生物学的にも生物物理学的にも注目されている。今日では、このモデルはフォールディング研究における基盤概念の一つとして確立している。
参考文献
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◆ファネルモデル
タンパク質フォールディングは、まず単純な二状態転移モデルで記述され、研究が深まった。しかし、多くの天然タンパク質では、二状態転移では説明できない中間体的状態が観測されることもあった。こうした個々の現象を包括的に説明する理論的枠組みとして提案されたのが、ファネルモデル(funnel model)、すなわちエネルギーランドスケープモデル(energy landscape model)である。
Onuchic と Wolynes ら(1997)は、フォールディングを多次元エネルギー地形上の確率的過程として表現した(1)。アンフォールド状態では無数の構造が存在でき、その中を揺らぎながら安定な構造を探索するが、全体として低エネルギー方向へ傾斜した漏斗(funnel)のような地形に導かれ、最終的に一つの安定なネイティブ構造に収束する。これにより、Cyrus Levinthal が指摘した「構造空間が天文学的に広大であるにもかかわらず、タンパク質が短時間で折りたたまれるのはなぜか」というLevinthalのパラドックスを自然に解決できる(2)。
ファネルモデルでは、モルテン・グロビュールや局所的なサブドメイン形成は、エネルギー地形上の谷に位置づけられる(3)。フォールディング経路は一意ではなく、複数の経路が同時に進行しうるが、すべての経路は最終的にファネルの底、すなわち天然構造へと向かう。フォールディング速度の分布や中間体の存在は、地形の傾斜や障壁の形に対応し、ミスフォールディングやアミロイド化などの異常経路は、地形上の局所的極小(kinetic trap)として理解される。
今日では、ファネルモデルは「フォールディングとはエネルギー地形の形状を分子が動的に探索していく過程である」という考え方として定着している(4)。二状態転移の協同性、モルテン・グロビュールの存在、そして階層的形成過程はいずれも、このエネルギーランドスケープの局所的特徴として統一的に理解されるようになった(5)。
フォールディングは、一本のポリペプチド鎖が膨大な数の立体構造をとりうる中で、自由エネルギーが最小となる構造へ自発的に収束する過程である。これは集合知の理論にたとえられる。つまり、個々のアミノ酸残基の相互作用は局所的で偶然的なゆらぎを含むが、それら多数の微小な力の「平均的な結果」として、全体として最も安定な構造が選び出されるのである。
参考文献
1. Onuchic, J. N.; Luthey-Schulten, Z.; Wolynes, P. G. Theory of Protein Folding: The Energy Landscape Perspective. Annu. Rev. Phys. Chem. 1997, 48, 545–600. https://doi.org/10.1146/annurev.physchem.48.1.545
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◆液–液相分離
液–液相分離(Liquid–Liquid Phase Separation, LLPS)とは、タンパク質や核酸などの生体高分子が、均一な溶液状態から濃縮相(dense phase)と希薄相(dilute phase)の二つの液体相に分離する現象を指す。熱力学的には、濃度と温度を軸とした相図上で二相共存領域(binodal)とその内部の不安定領域(spinodal)として表される。この現象は、疎水性相互作用、静電相互作用、π–πおよびカチオン–π相互作用などの弱い多価相互作用(multivalent interaction)によって駆動される。
細胞内では、このような相分離が膜をもたないオルガネラ(membraneless organelles)の形成原理として機能し、転写や翻訳、シグナル伝達、ストレス応答などの局所反応場を制御している。LLPS の概念を細胞レベルで初めて実証したのは Brangwynne らによる報告である (1)。彼らは線虫 C. elegans の胚で観察される P granule が、温度依存的に溶解と凝縮を繰り返す液滴として振る舞うことを示し、細胞質内構造の可逆的形成が液–液相転移によって説明できることを明らかにした。この研究は、生体内の空間組織化を熱力学的原理に基づいて理解するという新しいパラダイムを提示した。さまざまな細胞現象が LLPS の枠組みで再解釈されるようになっている (2)。
病態生物学の観点からも、LLPS が疾患発症メカニズムに関与することを示す証拠が蓄積している。変異型 FUS タンパク質は、液滴形成後に液–固転移を経て凝集体やフィブリル化を引き起こし、ALS(筋萎縮性側索硬化症)に関連する細胞内沈着および神経毒性を誘発することが報告されている (3)。さらに、低分子薬が核内コンデンセートへの取り込み方により分配され、薬効や標的アクセスが変化することが示されており (4)、創薬においても相分離という新しい視点が求められている。LLPS の理解は、タンパク質の機能発現を「いつ・どこで・どのように」制御するかを定量的に説明する新たな枠組みを提供している。
参考文献
1. Brangwynne, C. P.; Eckmann, C. R.; Courson, D. S.; Rybarska, A.; Hoege, C.; Gharakhani, J.; Jülicher, F.; Hyman, A. A. Germline P Granules Are Liquid Droplets That Localize by Controlled Dissolution/Condensation. Science 2009, 324, 1729–1732.
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◆タンパク質の相図
タンパク質の相図(phase diagram)とは、温度、濃度、pH、塩濃度、圧力、クラウディング(macromolecular crowding)などの条件変化に応じて、タンパク質がどのような物理的状態をとるかを体系的に示したものである。熱力学的には、自由エネルギー最小化の観点から相平衡が定義され、二相共存領域(binodal)、臨界点(critical point)、スピノダル領域(spinodal)などによって相転移の境界が表される。この枠組みを用いることで、タンパク質の液–液相分離(LLPS)、凝集、線維化など、複雑な集合現象を統一的に理解できる(1)。
近年、タンパク質の相図は、生体分子の相転移挙動を可視化し、細胞内外の構造変化を定量的に評価するための有効な手法として注目されている。In vitro と in cell の条件を比較した研究では、細胞内環境の違いが自由エネルギー地形および転移点を変化させることが示されている(2)。また、アミノ酸配列中の芳香族残基や荷電残基の分布パターンが、液–液相分離の臨界温度や転移境界を決定づける要因となることが、粗視化シミュレーションによって明らかにされた(3)。さらに、温度・圧力・クラウディングを変数とする三次元相図の解析により、クラウディングの増加が臨界点を低温側へシフトさせることが確認されている(4)。これらの知見は、タンパク質が多様な環境因子のもとでどのように構造や集合状態を変化させるかを、相図という統一的な枠組みで説明できることを示している。
最近では、タンパク質相図の解析が単一成分系から多成分系へと拡張され、異種分子間の相互作用や界面構造の寄与が重要視されている。異なるタンパク質から構成される凝縮体では、液滴内部の内的相互作用と、界面での分子吸着や再配向に起因する界面効果が、相挙動を協奏的に制御することが示されている(5)。また、ポリ(L-リシン)/ATP 系における液–液相分離の実験的解析では、組成や濃度に応じて相境界が系統的に変化することが明らかとなり、得られた相図に基づく設計指針(diagram-based strategy)が提案されている(6)。これらの成果は、タンパク質相図を単なる平衡図としてではなく、分子設計・材料開発・生体系制御のための設計図として活用できることを示している。
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6. Nobeyama, T.; Furuki, T.; Shiraki, K. Phase-Diagram Observation of Liquid–Liquid Phase Separation in the Poly(L-lysine)/ATP System and a Proposal for Diagram-Based Application Strategy. Langmuir 2023, 39 (48), 17043–17049.
◆アモルファス凝集
タンパク質のアモルファス凝集(amorphous protein aggregation)とは、部分的に変性したタンパク質分子が、構造秩序を持たないランダムな集合体として沈殿する現象を指す。この過程は、熱やpH変化、機械的撹拌、高濃度条件下で誘発され、医薬品タンパク質や酵素製剤の安定性に深刻な影響を及ぼす。アモルファス凝集は、一般に可逆的な液滴形成やβシート型の秩序構造を伴うアミロイド線維化とは異なり、ランダムな相互作用の積み重ねにより非晶質な凝集体を形成する。光散乱や遠心沈降、電子顕微鏡観察などでは、これらの凝集体が球状または不定形の粒子として検出され、明瞭な内部秩序を欠くことが特徴である(1)。
熱力学的には、アモルファス凝集は部分変性状態からの非特異的分子会合として説明される(2)。タンパク質が熱や化学変性剤により部分的に開いた構造をとると、通常は水に埋もれていた疎水性残基が露出し、分子間の疎水性相互作用が急激に強化される。これにより、分子はランダムな多量体化を経て沈殿を形成する。速度論的には、アモルファス凝集は可溶性オリゴマーを経ず、拡散律速的な一次反応に近い挙動を示す(3)。また、静電的反発が十分に弱い条件(等電点付近や高塩濃度環境)では凝集が促進され、逆に高電荷状態では分子間反発によって凝集が抑制される(4)。このように、アモルファス凝集は、疎水性相互作用と静電相互作用のバランスに強く依存するプロセスであり、タンパク質固有の電荷分布や立体構造安定性によっても大きく変化する。
工業的な観点からは、アモルファス凝集はしばしば熱凝集として観察される。加熱時、タンパク質は熱変性温度の近傍で構造のゆらぎを増し、部分変性したタンパク質が蓄積する。この中間体は分子間で非特異的に結合し、可溶性オリゴマーを経ずに沈殿化するため、凝集体は拡散性の低い不均一な粒径分布をもつ。アモルファス凝集は添加剤によってある程度は抑制できることが知られており、立体構造を安定化する糖類や、ハイドロトロープの性質のあるアルギニンやポリアミン、低濃度の変性剤や界面活性剤、カオトロープなどが利用される(4)。これらの知見は、アモルファス凝集を単なる変性副反応としてではなく、タンパク質溶液の設計指針を導く上での重要な現象として位置づけるものである。
参考文献
1. Wang, W. Protein Aggregation and Its Inhibition in Biopharmaceutics. Int. J. Pharm. 2005, 289, 1–30.
2. Kuroda, Y. Biophysical Studies of Amorphous Protein Aggregation and Solubility. Int. J. Mol. Sci. 2022, 23, 11736.
3. Chi, E. Y.; Krishnan, S.; Randolph, T. W.; Carpenter, J. F. Physical Stability of Proteins in Aqueous Solution: Mechanism and Driving Forces in Nonnative Protein Aggregation. Pharm. Res. 2003, 20 (9), 1325–1336.
4. Shiraki, K.; Tomita, S.; Inoue, N. Small Amine Molecules: Solvent Design toward Facile Improvement of Protein Stability against Aggregation and Inactivation. Curr. Pharm. Biotechnol. 2016, 17, 116–125.
◆アミロイド
アミロイド凝集(amyloid aggregation)とは、部分的に変性したタンパク質分子が自己組織化し、βシートを主構成要素とする高度に秩序化された線維状の集合体(アミロイド線維, amyloid fibril)を形成する現象を指す(1)。電子顕微鏡観察では直径約10 nmの線維構造を示し、X線回折や固体NMR測定によって、ペプチド主鎖のβストランドが分子間で整列したcross-β 構造をとることが明らかにされている(2)。この構造は、アミロイドβ、α-シヌクレイン、ハンチンチン、プリオンタンパク質など疾患に関連するとされるタンパク質に限らず、配列や機能の異なる多くのタンパク質に共通して観察される(3)。特に酸性条件で57˚Cで保温すると、プロテアーゼやヒストン、アルブミン、酵素など多くのタンパク質がアミロイドを形成することが報告されている(4)。
アミロイド凝集は、核形成(nucleation)と成長(elongation)からなる典型的な速度論的プロセスとして記述され、核形成にはしばしば変性中間体やオリゴマーが関与する(5)。熱力学的には、アミロイド構造は天然状態よりも自由エネルギー的に安定であり、可溶性単量体からアミロイド線維への転移は不可逆的なエネルギー勾配に沿って進行する。アミロイドの形成初期には可溶性オリゴマーやプロトフィブリルが出現し、これらが分子の再配置を経て高秩序な線維構造へと成長する。オリゴマー種の一部は細胞毒性を示すことが知られており、神経変性疾患の主要な病理因子と考えられている。一方で、近年ではアミロイド構造が必ずしも病的でなく、細胞内で貯蔵タンパク質やホルモン前駆体の安定化、バイオフィルム形成など生理的機能にも関与する機能的アミロイドの存在も明らかにされている(6)。
参考文献
1. Chiti, F.; Dobson, C. M. Protein Misfolding, Amyloid Formation, and Human Disease: A Summary of Progress over the Last Decade. Annu. Rev. Biochem. 2017, 86, 27–68.
2. Eisenberg, D. S.; Sawaya, M. R. Structural Studies of Amyloid Proteins at the Molecular Level. Annu. Rev. Biochem. 2017, 86, 69–95.
3. Bucciantini, M.; Giannoni, E.; Chiti, F.; Baroni, F.; Formigli, L.; Zurdo, J.; Taddei, N.; Ramponi, G.; Dobson, C. M.; Stefani, M. Inherent Toxicity of Aggregates Implies a Common Mechanism for Protein Misfolding Diseases. Nature 2002, 416, 507–511.
4. Aso, Y.; Shiraki, K.; Takagi, M. Systematic Analysis of Aggregates from 38 Kinds of Non-Disease-Related Proteins: Identifying the Intrinsic Propensity of Polypeptides to Form Amyloid Fibrils. Biosci. Biotechnol. Biochem. 2007, 71 (5), 1313–1321.
5. Knowles, T. P. J.; Vendruscolo, M.; Dobson, C. M. The Amyloid State and Its Association with Protein Misfolding Diseases. Nat. Rev. Mol. Cell Biol. 2014, 15, 384–396.
6. Fowler, D. M.; Koulov, A. V.; Balch, W. E.; Kelly, J. W. Functional Amyloid – from Bacteria to Humans. Trends Biochem. Sci. 2007, 32, 217–224.
◆サブビジブル粒子
サブビジブル粒子(subvisible particles)とは、肉眼では観察できないが溶液中で検出可能な微細なタンパク質凝集体を指し、一般に粒径は 約 0.1–10 µm の範囲に位置づけられる。これは可視凝集体(>100 µm)より小さく、サブミクロン粒子(<0.1 µm)より大きい中間領域である。このサイズ区分は、医薬タンパク質の安定性研究において2000年代初頭からRandolph–Carpenter 系のレビューで体系化され、粒径スケールに基づく「submicron/subvisible/visible」の三分法が広く流通した(1)。彼らは、サブビジブル粒子が製剤工程から保存の多段階で生じ、かつ免疫原性に関与し得ることを早期から指摘し、以後の品質評価・規制議論の基盤を与えた(2)。
サブビジブル粒子は、凍結融解や、剪断、攪拌、容器や気液界面との接触、温度変動などのストレス下で部分的に変性分子が多量化し、構造秩序に乏しいアモルファス微粒子として形成される(2)。抗体製剤(とくに高濃度IgG)では、粘度上昇や分子間相互作用の強化により粒子化が進みやすく、安定性および免疫安全性の観点から重要な品質特性(CQA)とみなされる。検出には、マイクロフローイメージング(MFI)を中心に、動的光散乱やナノ粒子トラッキング解析など複数手法の併用が推奨される。MFI は概ね 1–100 µm の範囲で粒子数と形態を同時評価でき、サブビジブル領域の標準的評価法として確立している(3)。
サブビジブル粒子の形成の抑制のためには、ポリソルベート80の適正使用や、pH・イオン強度最適化、凍結・解凍プロセス制御、容器材質の選択などの総合的対策が有効と整理されている(4)。添加剤による制御については、アルギニンが多くのタンパク質のアモルファス凝集を抑制することが知られる一方、IgGの酸変性や熱変性に伴うサブビジブル粒子の形成は抑制できないことが報告されており(5)、新しいクラスの添加剤の開発が期待されている。近年、ポリリン酸がγグロブリンのサブビジブル粒子を有意に抑制することが示されている(6)。
参考文献
1. Chi, E. Y.; Krishnan, S.; Randolph, T. W.; Carpenter, J. F. Physical Stability of Proteins in Aqueous Solution: Mechanism and Driving Forces in Nonnative Protein Aggregation. Pharm. Res. 2003, 20 (9), 1325–1336.
2. Mahler, H.-C.; Friess, W.; Grauschopf, U.; Kiese, S. Protein Aggregation: Pathways, Induction Factors and Analysis. J. Pharm. Sci. 2009, 98, 2909–2934.
3. Ripple, D. C.; Hu, Z.; Dimitrova, M. Utility of Micro-Flow Imaging for Particle Analysis of Protein Formulations. AAPS J. 2010, 12, 723–731.
4. Wang, W. Protein Aggregation and Its Inhibition in Biopharmaceutics. Int. J. Pharm. 2005, 289, 1–30.
5. Yoshizawa, S.; Arakawa, T.; Shiraki, K. Thermal Aggregation of Human Immunoglobulin G in Arginine Solutions: Contrasting Effects of Stabilizers and Destabilizers. Int. J. Biol. Macromol. 2017, 104, 650–655.
6. Kasahara, J.; Furuki, T.; Aikawa, S.; Ueda, H.; Shiraki, K. Polyphosphate as a Novel Aggregation Suppressor of Gamma Globulin. J. Pharm. Sci. 2025, 114, 3818–3830.
◆核形成–伸長モデル
タンパク質の凝集過程は、しばしば核形成–伸長モデル(nucleation–elongation model)によって説明される。このモデルは、可溶性モノマーがまず臨界サイズを持つ核を形成し、その後、形成された核の表面にモノマーが次々と結合して凝集体が成長するという二段階機構を想定している。核形成は熱力学的障壁を伴う確率的な過程であるため、凝集反応の初期にはラグ相が観察され、核が形成された後に反応速度が急増する結果、全体としてシグモイド状の凝集曲線が得られる。
このモデルの概念的起源は、1950年代後半にOosawaらが提案した、線状および螺旋状マクロ分子の重合理論に求められる(1)。彼らはアクチンやチューブリンのような線維性タンパク質の重合反応を解析し、核形成および伸長の速度論を理論的に記述した。この考え方はその後、アミロイド線維の形成や一般的なタンパク質凝集現象にも拡張され、核形成–伸長モデルとして定着した。特に、HarperとLansburyはアルツハイマー病の病因タンパク質であるアミロイドβの凝集をこのモデルで説明し、病理学的タンパク質凝集の速度論的理解を広めた(2)。
21世紀に入ると、KnowlesらはOosawa理論を発展させ、核形成–伸長モデルを解析的に解いた速度論的マスター方程式モデルを提示した(3)。このモデルでは、一次核形成と伸長に加えて、既存のフィブリル表面で新たな核が形成される二次核形成を導入し、アミロイドβ線維形成のシグモイド曲線を定量的に再現した。さらにCohenらは、フィブリルの断片化や枝分かれなどの過程を組み込んだ包括的速度論モデルを提案し(4)、多様なアミロイド系で観測される凝集挙動を統一的に説明できることを示した。これらのモデルは、単なる経験的曲線ではなく、個々の反応経路の速度定数を定量的に抽出できる点で重要である。
核形成–伸長モデルは、秩序立った線維性凝集(ordered aggregation)に特に適している。一方、アモルファス凝集(amorphous aggregation)では、部分変性したタンパク質の疎水面がランダムに相互作用して不定形な凝集体を形成するため、明確な核形成段階が観測されにくい。ただし、アモルファス凝集はタンパク質の種類や凝集ストレスによって多様であり、すべての系で核形成が完全に欠如するわけではない点に留意が必要である。
参考文献
1. Oosawa, F.; Kasai, M. A Theory of Linear and Helical Aggregation of Macromolecules. J. Mol. Biol. 1962, 4, 10–21.
2. Harper, J. D.; Lansbury, P. T. Models of Amyloid Seeding in Alzheimer's Disease and Scrapie: Mechanistic Truths and Physiological Consequences of the Time-Dependent Solubility of Amyloid Proteins. Annu. Rev. Biochem. 1997, 66, 385–407.
3. Knowles, T. P. J.; Waudby, C. A.; Devlin, G. L.; Cohen, S. I. A.; et al. An Analytical Solution to the Kinetics of Breakable Filament Assembly. Science 2009, 326, 1533–1537.
4. Cohen, S. I. A.; Linse, S.; Luheshi, L. M.; et al. Proliferation of Amyloid-β42 Aggregates Occurs through a Secondary Nucleation Mechanism. Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A. 2013, 110, 9758–9763.
◆ハンセン溶解度パラメータ
ハンセン溶解度パラメータ(Hansen Solubility Parameter, HSP)は、1967年にCharles M. Hansenによって提案された溶解性評価の理論である(1)。従来のヒルデブランド溶解度パラメータ(Hildebrand solubility parameter)は、分子間相互作用を1つの値(溶解エネルギー密度の平方根)で表していたため、極性や水素結合などの特定の相互作用を区別できなかった。
Hansenはこの制約を克服するため、溶解エネルギーを3種類の分子間相互作用に分解し、より精密に溶解現象を記述する枠組みを構築した。この理論により、有機溶媒や高分子の相溶性、塗料や樹脂の溶剤設計などにおいて、経験的だった「溶ける/溶けない」の判断を定量化することが可能となった(2)。HSPは、溶質と溶媒の親和性を3つの相互作用エネルギーの寄与として表す。
δt² = δd² + δp² + δh²
ここで、
・δd:分散力成分(dispersion component)— 分子間のファンデルワールス力やロンドン分散力
・δp:双極子力成分(polar component)— 永久双極子間の静電的相互作用
・δh:水素結合成分(hydrogen bonding component)— 水素結合供与体・受容体間の特異的相互作用
これら3成分は、それぞれ単位 MPa1/2で表され、物質は三次元空間(δd–δp–δh)内の一点として位置づけられる。ある溶質の周囲には溶解球(solubility sphere)が定義され、その中心が溶質のHSP値、半径 R₀ が溶解許容範囲を示す。溶媒のHSPがこの球内に位置する場合、溶質と溶媒の親和性が高く溶解性が良いと判断される。溶質と溶媒の相互作用の距離はハンセン距離(Ra)として次式で定義される。
Ra = √[4(δd1−δd2)² + (δp1−δp2)² + (δh1−δh2)²]
このとき、Ra / R₀ < 1 であれば良好に溶解し、Ra / R₀ > 1 では非相溶と判断される。なお、分散力項に4を掛けるのは、経験的に分散相互作用が他より強く寄与することを補正するためである。
実験方法は次のとおり。試料物質を多数の既知HSP値をもつ溶媒群に溶解させ、一定条件下での「溶ける/溶けない」を判定する。溶解した溶媒のHSP座標を三次元空間にプロットし、最もよく溶ける範囲を包絡する球を溶解球として定義する。球の中心座標が試料のδd, δp, δh値、球の半径がR₀となる。
HSPの根本的な考え方は、似たもの同士はよく溶けるという経験則を、物理化学的に定量化したものである。すなわち、分子間の相互作用の性質が類似しているほど、溶質と溶媒の親和性が高まり、溶解しやすくなるという概念である。この理論は、分子間相互作用がほぼ等方的に働く系を前提としているため、構造が異方的で複雑なタンパク質の凝集やフォールディングを直接的に理解する目的には適用が難しい。
参考文献
1. Hansen, C. M. The Three-Dimensional Solubility Parameter and Solvent Diffusion Coefficient and Their Importance in Surface Coating Formulation. Danish Technical Press, Copenhagen, 1967.
2. Hansen, C. M. Hansen Solubility Parameters: A User’s Handbook, 2nd ed.; CRC Press: Boca Raton, FL, 2007.
◆第二ビリアル係数
第二ビリアル係数(Second Virial Coefficient, B₂)は、溶液中における粒子間の平均的な相互作用の強さと性質を示す熱力学的パラメータである。理想溶液からの偏差を表す指標として定義され、特にタンパク質溶液の溶解性や凝集傾向を定量的に評価する上で広く利用されている。B₂の符号と大きさは、分子間の引力と反発のバランスを反映し、溶液の安定性や結晶化挙動を理解する上で重要である。B₂は主に静的光散乱法(static light scattering, SLS)によって実験的に求められ、平衡状態における静的な相互作用を記述する熱力学量である。
理論的背景として、ビリアル展開は、溶液の浸透圧を溶質濃度のべき級数として展開した式で表される。このとき、第一項は理想溶液(非相互作用)の寄与であり、B₂以降の項が溶質間の相互作用を表す。特にB₂は2分子間相互作用の平均的寄与を示す。B₂は引力が強いほど負(凝集傾向)、反発が強いほど正(分散傾向)となる(1,2)。タンパク質を球状粒子として近似すると、B₂はタンパク質分子間の平均的な引力・反発の指標として利用できる。B₂がわずかに負の値をとる条件では、タンパク質の結晶化が最も起こりやすいことが知られている。そのため、B₂は「crystallization window」の指標としても用いられる(3)。
参考文献
1. Neal, B. L.; Asthagiri, D.; Lenhoff, A. M. Molecular Origins of Osmotic Second Virial Coefficients of Proteins. Biophys. J. 1998, 75, 2469–2477.
2. Velev, O. D.; Kaler, E. W.; Lenhoff, A. M. Protein Interactions in Solution Characterized by Light and Neutron Scattering: Comparison of Lysozyme and Chymotrypsinogen. Biophys. J. 1998, 75, 2682–2697.
3. George, A.; Wilson, W. W. Predicting Protein Crystallization from a Dilute Solution Property. Acta Cryst. 1994, D50, 361–365.
◆拡散ビリアル係数
拡散ビリアル係数(kᴰ, diffusion virial coefficient)は、溶液中の分子の拡散係数(diffusion coefficient, D)が濃度に依存して変化する度合いを表す係数であり、分子間相互作用の動的側面を反映するパラメータである。kᴰは主に動的光散乱法(DLS)を用いて測定され、ブラウン運動に基づく拡散係数の濃度依存性から求められる。DLSでは、ブラウン運動による散乱光強度の時間相関から拡散係数を求め、濃度に対する直線的変化の傾きからkᴰを算出する。このとき、拡散の減少(kᴰ < 0)は分子間引力や一時的な凝集を反映し、拡散の増加(kᴰ > 0)は静電反発を示す。したがって、kᴰは分子間相互作用の符号と大きさを反映する動的指標として解釈できる。特にタンパク質や高分子溶液では、希薄溶液における分子拡散が、濃度上昇に伴って相互作用や粘度変化、流体力学的干渉により変化することが知られており、その挙動を定量化するために用いられる(2)。
タンパク質溶液において、kᴰは分子間相互作用と拡散挙動を結びつける実験的パラメータとして利用される。例えば、塩濃度の上昇やpH変化により静電反発が遮蔽されると、kᴰは正から負に変化し、凝集傾向の増大を示す(3)。バイオ医薬品の品質設計において、kᴰは溶液状態の動的安定性指標として重要視されている。
参考文献
1. Batchelor, G. K. Sedimentation in a Dilute Dispersion of Spheres. J. Fluid Mech. 1976, 74, 1–29.
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3. Velev, O. D.; Kaler, E. W.; Lenhoff, A. M. Protein Interactions in Solution Characterized by Light and Neutron Scattering: Comparison of Lysozyme and Chymotrypsinogen. Biophys. J. 1998, 75, 2682–2697.
◆選択的相互作用
選択的相互作用(preferential interaction)とは、溶液中でタンパク質などの溶質が、イオン・アミノ酸・糖などの添加剤と一様でない相互作用を示す現象を指す。すなわち、溶質の近傍における添加剤の濃度が、バルク溶液中の平均濃度と異なる場合に、選択的相互作用が存在すると定義される。この概念は、溶質と添加剤の間に明確な化学結合や強い特異的相互作用がない場合に有効であり、溶質周囲の局所的な組成の偏りを統計熱力学的に記述する枠組みである。
理論的には、Wyman–Tanford の linkage 関係および Kirkwood–Buff 理論により定式化され、添加剤の選択的相互作用係数(preferential interaction coefficient, Γ)を用いて、溶質1モルあたりに過剰または欠乏する溶媒分子数を定量化できる(1)。Γ > 0 は選択的結合(preferential binding)、Γ < 0 は選択的排除(preferential exclusion)を意味し、後者は選択的水和(preferential hydration)として知られる(2)。
この理論を生物物理学的に体系化したのは Serge N. Timasheff である(3)。彼は、タンパク質の安定化を、タンパク質と添加剤の直接的な接触ではなく、水・溶質・タンパク質の三者間における溶媒組成の平衡現象として理解すべきであると主張した(4)。この考え方の特徴は、水・溶質・タンパク質を対等な構成要素として扱う点にあり、タンパク質表面近傍での水分子および添加剤分子の分布を統計熱力学的に均衡する系として記述する点にある。
代表的な例として、トレハロースやスクロースなどの糖は、タンパク質表面から選択的に排除され(Γ < 0)、ネイティブ構造の安定化に寄与する。これは、糖よりも水の方がタンパク質表面に親和的であるため、タンパク質の水和状態が保持されることによる。一方、尿素や塩酸グアニジンのような変性剤は、タンパク質表面に選択的に結合し(Γ > 0)、疎水性コアの崩壊を促して構造を不安定化させる。このような選択的相互作用に基づく理解は、タンパク質の溶解性・安定性制御やバイオ医薬品製剤設計に広く応用されている(5)。
参考文献
1. Record, M. T., Jr.; Anderson, C. F.; Lohman, T. M. Thermodynamic Analysis of Ion Effects on the Binding and Conformational Equilibria of Proteins and Nucleic Acids. Quarterly Reviews of Biophysics 1978, 11, 103–178.
2. Record, M. T., Jr.; Zhang, W.; Anderson, C. F. Interpretation of Preferential Interaction Coefficients of Nonelectrolytes and of Electrolyte Ions in Terms of a Two-Domain Model. Biophysical Journal 1995, 68, 786–794.
3. Arakawa, T.; Timasheff, S. N. Preferential Interactions of Proteins with Solvent Components in Concentrated Amino Acid Solutions. Archives of Biochemistry and Biophysics 1983, 224, 169–177.
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5. Zhang, C.; Wei, X.; Xu, Y.; et al. Ranking mAb–Excipient Interactions in Biologics: A New Paradigm for Formulation Screening. mAbs 2023, 15 (1), e2212416.