鏡の中の演奏

鏡を見ながらギターを演奏する実験です.鏡映った自身の手の視覚像がどのように利用できるかを,演奏の出来映えで測定しています.実験1は,ある曲を完全に弾けるまで,データを取りながら練習しました.実験2は,その学習効果が別の曲に転移するかを調べる実験でした.別の曲について同じように完全に弾けるまで練習しました.以下1曲目、2曲目と参照します.演奏に対する評価項目は,リズム,速さ,何小節まで弾けたか(演奏が止まった時点で終了),ミスの回数(ミス回数/小節で評価)で,リズムと速さは,3段階(○,△,×)の主観評価(被験者はO君本人)でした.1曲目は,彼の高校時代の友人が作曲したもので,10小節,約140の16分音符で構成されていて,四分音符=110,ミス1回は16分音符1つに相当するとのこと.2曲目は,トルコ行進曲の一部で,1曲目よりやや難しく,やや早く,8小節,約130の16分音符で構成されていて,ミス1回は16分音符1つに相当するとのことでした.

 ミス回数(ミス回数/小節)と演奏できた小節数比(全小節数に対する比)の演奏回数による変化を示します.1曲目,2曲目いずれにおいても,演奏は徐々に上達しています.鏡に映った手を見た場合にも演奏ができるようになるということが確かめられました.どこかで手の動きと手の視覚像対応関係の補正を行っていることを示唆する結果で,反転メガネによる順応の局所バージョンといえるかもしれません.ここで、局所といっているのは,手のみである点,演奏に対してのみである点,演奏する時だけという点などで,かなりの限定された条件のみのものだからです.

 次に1曲目と2曲目の比較ですが,最初の曲への学習効果に,鏡を通してみる手を見て引くことに対する学習が含まれていれば.2曲目の学習は早まることが予想されます.しかし実験結果からはそのような効果はほとんどみられません.ミス回数,演奏小節数比ともに,2つの結果はよく似ていて,どちらかというと2曲目の方が学習に時間がかかったように見ます.ただし,最終的な完璧な演奏までにかかった回数は,2曲目の方が少ないとの結果です(1曲目25回,2曲目18回).この点は,学習の転移を支持するものですが,1曲目の20回目以降はミス2回が続いていて,曲の中の特に難しい部分をクリアするために必要となったのかもしれません.また,全体に2曲目が学習に時間がかかっている傾向は,曲の難しさのためかもしれません.いずれにしても,この実験からは,鏡の中の手の動き自体に対する順応や学習があるということは難しく,そういう学習や順応はなかったのであろうとの結論です.O君は(反転メガネなどの実験を想定してだと思いますが)感想として,常に鏡の中に身を置いて生活する(常に鏡を通してものを見て生活する)ようにすれば通常通りに引けるようになると思うといっています

 以上が一応のまとめますが,いくつか気になる点はあります.上の話は,なにも見ないで学習する場合よりも上達が早いということを前提にしています.また,鏡を通さないで直接見て練習した場合との比較も必要ですが,これについても直接見た方が容易に学習できるとの前提で話をしています.これらの点は確認が必要な事柄です.もし,鏡を通してみた映像を無視していれば,なにも見ない条件と同じということかもしれません.ただ,O君は,この実験をするときは,鏡に映った手が自分の手であることを意識してやらないとうまくできないという感想を述べていました.視覚と運動系の何らかの変換過程の関与,およびそこへの注意の影響を意味しているように思います.ちなみにO君はその後私の指導のもとで卒業研究を行いました(サッカードと注意の関連に関しての興味深いデータを残しています).修士過程へも進学しましたが,私の異動のために指導は学部時代のみでした