ピアノ演奏中の読書

趣味の話をすると楽器を弾くという人が少なからずいます.Tさんはピアノを弾くということで,ピアノ演奏中の視覚について考えることにしました.演奏に視覚が必要であるかとの話には,慣れれば見なくても弾けるようになるし,盲目のピアニストもいることから,十分な練習した後では不必要であるというような方向に議論が進みます.しかし,よく考えると,本当のところどのような視覚機能がどの程度必要であるかはよくわかりません.Tさんは,2つの実験でピアノ演奏に対する視覚の影響を調べました.これはこのシリーズの楽器演奏と視覚の最初の実験です.

 最初の実験はまさに「眼を閉じてピアノを弾く」です.曲はLet it be.図に試行毎の間違った回数を示します.回数をこなすごとにミスが減っている様子がわかります.彼女はこのミスの減少について,最初は鍵盤間の幅がわからず間違えた場所を次からは修正したことによるとの内観を報告しています.また,さらに目を閉じた演奏を続ければミスをなくせるであろうとの予測を立てています.この実験結果は,通常は演奏時に視覚の利用について気にしていないが,それなりに利用されていることを意味すると思います.Tさんは,見えないことによる不安がミスを引き起こすのではないかとも述べています.しかし,上述の鍵盤の間隔についての,視覚によらない正しい評価の学習との話に比べるとその根拠はあいまいであり,不安の影響というよりも鍵盤間隔の触覚的学習の話であろうと思います.

 もうひとつの実験は,演奏中に読書をするというものです.本は50字/頁程度の絵本,もう一方は150字/頁程度の絵本を用いています.簡単な内容の場合(50字/頁)には,読書も演奏(引き慣れた曲を選択)もほぼ問題なくできたとのことでした.本の内容もしっかり理解でき,演奏ミスもほとんどなかったとのこと.ただし,演奏後の感じとしては,本の内容を理解できたが演奏についての記憶はほとんどなにもなく,どのように弾いたか覚えていないということでした.少し難しい内容(50字/頁)の場合は,理解するために少し時間を取られるような単語があって,それを読むときには必ず演奏に影響がでた(間違えた)とのことでした.さらに,そのときどこを弾いていたかわからなくなり,最初から弾き直したと報告しています.この文章の難易度の影響は,高次の処理過程の影響ですから,文字認識と演奏行動の両方に影響するということは十分考えられます.一方.簡単な文であれば,両者は別々の処理過程によるため,それぞれ独立に行うことができるということなのでしょう,これは,人間の情報処理においてよく知られることと思いますが,具体例としてはそれほど多くのケースが知られているとはいえないのではないでしょうか.実際文章の難易度が演奏行動に与える影響がどの程度であるのかに関する実験的な研究はあまりないのではないかと思います.

 Tさんは,演奏とはその曲のイメージを頭に浮かべてするものであり,通常の演奏時も視覚的イメージを持っていることを指摘しています.したがって視覚イメージそのものの問題ではなく,それが曲とは全く関係ない絵本によるものであることが問題であると述べています.これは,簡単な絵本のときにどうやって弾いたかを記憶していなかったこととも関連しますが,ひょっとして演奏としての「でき」には曲をイメージするなどが影響するということかもしれないとも思いました.