手品トリック見破り

     表 トリックを見破るまでに要した観察回数

0君の結果は参考であり、平均には含まれていない

 手品の映像を見てその種探す実験です。手品は注意の問題を顕著に示すので私自身とても興味があります。録画して手品を繰り返しみて、トリックがわかったときは、それがなぜ最初にわからなかったかを考えるとてもおもしろいです。さて、O君のレポートには、実験では、種を見破るのに適した場所を知らされた被験者となにも知らされていない被験者3名ずつに手品を見せて、トリックがわかったかをきくというものでした。手品は、カード、シンブル、ハトの3種類でした。具体的な内容は記録がないので(記憶にもありません)わかりませんが、いずれも一方の手に注目させないことがポイントなっています。つまり、手品師はその手から注意を引き離し、またそこに注意をむけた場合にトリックがわかる可能性が高くなるものです。

 映像をトリックがわかるまで繰り返し見て、そのトリックを見つけるまでに要した回数を、2つのグループで比較しました。グループAはなにも言わず各自でそれぞれ探し、グループBは注目すべき場所(トリックに関連する方の手)を知らした上で、映像をみました。表はその回数を示します。全くわからなかったケースが1つだけありました(xで表現)が、そこは繰り返しの最大回数の5を用いて、平均値を計算しました。すべての手品種類とグループ毎の被験者について、平均した結果(図)は、知識のなかったグループAは、グループBに比べて1回程度多くなっています(3.1 vs 2.1)。注目する場所を知ることで、手品のトリックがわかりやすくなるということが示されたことになります。これは当然といえば当然ですが、このような差がでるということは、普通に手品を見ると上手く注意をそらされていることを意味します。

さて、O君のレポートの記述に興味を引かれた点がありました。「手品が不思議なのは、そこでは起こりえないことが起こっているように見えているからである。例えばシラブルは指ぬきが右手から左手に瞬間移動したように見える。実際には両手に別のものが填められているが、手品ではあたかもひとつの指ぬきが移動するというありえない現象が起こっているように見える。ところがトリックがわかるとそうは見えなくなるのは、不思議な現象でなくなるからである。」ということです。これは、目に入ってくる映像は同じわけですから、観察者の持つ仮定によって何が見えるか(知覚されるか)が大きく変化することをいっているといえます。知覚が、対象に対する仮定を強く受けることを意味していて、トリックを見破ることによって視覚情報の意味が変わるわけです。手品と思っていない時には、知覚がだまされる(誤解する)ことによって、対象に対する仮定の方が影響を受けることも意味します。例えば超常現象体験などについて、「確かに私は幽霊を見た」という表明は、そこでの視覚体験(なにか普通とは違うもの、人物のような視覚像を捉えた)とそれに付随した認識(その視覚像は幽霊(それがなにかはともかく)の像である)も含めた表明であることが多いと思いますが、手品は(そして多くの感覚知覚研究も)それらを切り分ける必要があるということを示しています。一方、手品は、超常現象が信用を勝ち取るのは、その現象のみの問題でないことも示しています。手品は、しばしば超常現象として語られる以上のものを示してくれますが、手品であると言明されている以上、超常現象として認識されることはありません。実際手品師が超能力を利用した手品をやっていたとしてもそれは見破られることはないでしょう。視覚認識といった場合にどこまでが知覚(見え)でどこまでがその意味づけ(認識)なのかは、それらが二分されるものかどうかも含めて興味深い問題です。


 それにしても、トリックへのヒントを与えても、トリックを見破るのに必要な観察回数が1回減る程度の違いしかないというのも驚きです。視線そのよりも注意の効果が大きいということなのだろうと思いますが、その場合は注意が位置のみに対するものではないということでもあるかと思います。