㉑丸山遺跡
㉑丸山遺跡
縄文晩期最終末~弥生中期全葉 昭和29年に三島南高等学校の長田実氏によって調査が行われ、弥生土器と多量の獣骨、植物などが出土し注目されました。昭和50年の道路拡張工事が遺跡に及び、2つの川の合流点に橋を架けるため川底や壁面を掘削したところ、多量の土器、獣骨、骨各器などが発見されました。集落の低地化という弥生時代に一般化する新しい傾向の一方で、獣骨からは縄文時代的な生活活動が引き継がれていたこを示す遺跡です。
ワイルドボワ
もともと食肉供給センターの役割をしており、主にいのししを提供していたためいのししをモチーフにした。いのししに割烹着を着せ、食に関わる遺跡であることを表現した。土器も使用され、木の実や木の枝がたくさん入っていたことから、器の中に真っ赤な木の実を入れてみた。
(令和元年度 沼津市立大平中学校 卒業生制作)