第七章:新世代の幕開け(加藤入部・経堂本町会関所クラブとの交流)

2003(平成15)年~2005(平成17)年


それまでの経堂農大通り野球クラブは長年、主将制度を採っていませんでしたが、2003(平成15)年から長嶋勇也主将、長井正徳副主将という体制になりました。(詳細)

在籍年数的にベテランの域に達していた、いわゆる“51年会(チーム内における昭和51(1976)年生まれの選手の総称)”が名実ともにチーム全体を引っ張っていくこととなりました。

それとは無関係ですが、51年会中心にグランドコートを作成いたしました。(詳細)


新体制で挑んだシーズンでしたが、北沢リーグでは4連覇を果たしたものの、6年ぶり(1997年以来)に世田谷区で無冠となってしまいました。

また、既に関東最大級となっていた草野球リーグ、ストロングリーグさんの試合(ピースファイル)に初参加させていただきました。7月の試合では勝利を収めることができましたが、9月に行われたダブルヘッダーでは連敗を喫し、レベルの高さを痛感することとなりました。


2004(平成16)年は都民体育大会(世田谷)で優勝し、2年ぶりの世田谷タイトルを獲得しました。(詳細)

この時期から前章で触れました、近藤洋之、風間優一の参戦による経堂本町会関所クラブとの交流が本格化し、菅井芳人、小野佑尋、後藤茂行、北川陽一が早朝や練習試合に参加するようになりました。

また、加藤岳、山中剛、鈴木大輔が入部し、現有部員の原型が大分できてきました。特に加藤岳は経堂には珍しいタイプで、その後のチームに新しい風を吹きこむこととなります。ちなみに加藤岳はHPを見て応募、入部した選手第1号です。


2005(平成17)年の春先に帽子を新調し、現在のものになりました。右側面に入っている星のマークは全国大会・東日本大会に出場した回数を表し、作成した時点で3個、2010年度末時点で5個となっています。(詳細)

同年、商店街のHPが開設され、我が野球部のことも紹介してくださいました。(詳細)

2005(平成17)年の都大会は3部での出場でした。と言っても、2部と3部の間に差がほとんど見られないので、やはり苦戦の連続でした。なんとか勝ち進んだ決勝戦、サドンデスの末に勝利し、第49回高松宮賜杯全日本軟式野球大会2部(Cクラス)へ出場することとなりました。(詳細)

それまで都大会などの試合では控えに回ることの多かった渡辺邦裕(当時25歳、7年目)が、三塁手から二塁手へコンバートし、ほぼ定位置を獲得したような形となりました。経堂の二塁手と言えば長年、簔口達也が守ってきましたが、この時は遊撃手へと配置されていました。渡辺邦裕はこの都大会で、最優秀選手に選ばれました。


今回は開催地が北海道稚内市という、初の空路による大遠征となりました。さすがに商店街の方が直接応援に見えることはなかったものの、多大なるご支援を頂戴いたしました。


1回戦の先発メンバーは次の通りです。

投手:長井正徳

捕手:山中剛

一塁手:島田章徳

二塁手:渡辺邦裕

三塁手:藤井研策

遊撃手:簔口達也

左翼手:近藤直之

中堅主:鈴木大輔

右翼手:廣田大輔


試合は先制を許してしまい、終盤追い上げを見せたものの、2-3初の初戦敗退となってしまいました。途中代走として出場した加藤岳は、この大会を経験したことを機に新たな価値観を持ち、転職してしまうほどの衝撃を受けたとのことです。加藤岳は予選を通じて試合に出場する機会がそれほど多いわけではありませんでしたが、貴重な代走要因として活躍し、精神的なところでもチームに大きな影響を与え、貢献度は非常に高く、その後のチームの中で大きな存在となっていきました。

渡辺邦裕を二塁手に動かしたこともその一連として、この頃から簔口達也が試合に出場することが少しずつ減っていきました。

2005(平成17)年は世田谷区秋季大会、北沢リーグ、北沢リーグトーナメント(第一回)でも優勝し、戦績としてはよかったのですが、チームとしては黒田氏が勇退した1998(平成10)年以来の過渡期が近付きつつありました。