第十章:区大会2チーム登録
第十章:区大会2チーム登録
2010(平成22)年
ありがたいことに、ここ数年の新入部員は定着率が異常に高いです。しかしそのため、選手一人当たりの試合出場割合が低下しつつありました。投手はもちろん野手も試合中に鍛えられる体力なるものがあり、1試合フル出場する経験が、いざというときの終盤に生きることは多々あります。そしてその経験から遠ざかることによる弊害も十分に考えられます。また、単純に試合でプレーし、経験をすることによって上達することもあります。
選手一人当たりの試合出場機会を増やし、さらにしばらくチームから遠ざかっていた選手にも復帰してもらいたいという狙いから生まれた案が、“区大会2チーム制”です。都大会や練習試合等は今まで通り行い、世田谷区軟式野球連盟にはA・Bの2チーム登録するというやり方です。別のチームで試合をする時間を作ってしまうことで、チームワークが弱まってしまうのではないか、という懸念の声も上がりましたが、挑戦することとなりました。
これに伴い、Aチーム監督に藤井研策、総監督兼Bチーム監督が簔口達也という体制が作られました。
こうして始まりました2010(平成22)年度シーズン。まずAチームは藤井研策監督以下、若手(20代)の選手を中心としたチームで、30代の加藤岳主将、長井正徳副主将、山中剛捕手が監督をサポートするような構成でした。
そしてAチームは経堂農大通り野球クラブが世田谷区軟式野球連盟に加入して以来、初となる世田谷区大会年間全勝という大記録を打ち立てました。春季大会・区民大会・夏季大会の3冠(王座決定戦は2011年に持ち越し、優勝を果たす)を達成しました。1999(平成11)年度に4冠という記録があることは第5章で紹介しましたが、このときは夏季大会で1敗していました。全勝ということに大きな意味があると思います。もちろん圧勝の連続などではなく、サドンデスで2死を取られ、3点のビハインドという場面から大逆転勝利した試合もありました。
藤井研策監督にかかる試合毎のプレッシャーは想像を絶するものがありましょうが、この上ないスタートを切りました。
22年春
決勝 VS THインセクターズ 7-2
22年夏
決勝 VS GETS 8-0
22年区民体育大会
決勝 VS CLUB KIDS 4-3
22年王座決定戦
決勝 VS JA東京中央 2-1
次にBチームは、目的が個々に異なるものを持っているので、Aチームとは趣旨が違います。が、簔口達也の最大の狙いである、ここ数年ほとんど参加できていなかった風間優一、廣田大輔をチームに戻すこと、バット引きやブルペン捕手など、チームのサポートに回ることの多かった後藤茂行の出場機会を作ることができました。これらのことからBチーム結成は大成功と言えるでしょう。
また、夏には数年ぶりに東京で暮らすことになった近藤洋之が復帰、HPを通じて佐藤慎也が入部しましたが、両者ともに、Bチームがなければ試合に出場する機会は、もしかすると少なかったかもしれません。
そして、Aチームの試合にBチームの選手が、Bチームの試合にAチームの選手が、(もちろんベンチには入れませんが)応援に来るということも多々ありました。このことはBチームが試合を行う上で大きな勇気を与えられました。そして、シーズン前の懸念も払拭されたのでした。
こうして2チーム制により、経堂は更なる進化を遂げたと言っていいでしょう。
この年の東京都大会は、前年度夏季大会2部で優勝しているため、1部での参加となりました。天皇杯が東京都開催ということで、開催地枠を含め7チームが東京都代表として出場できるという大きなチャンスでしたが、その大会も初戦敗退、年間通じて1勝のみという結果でした。
正直なところ、東京都1部で優勝を目標に掲げることは難しいかもしれませんが、強豪相手に何かを得ようと、目的意識をもって大会・試合に挑みました。10数年前に東京都大会1部で参加していたときとは、明らかに姿勢が違っていました。
北沢リーグでは2年ぶりに王者返り咲きを果たしました。前年に10連覇を逃がし、1年でまた優勝できたことに大きな意味があります。
ここまで野球の試合関係のことを挙げてきましたが、2010(平成22)年度はイベント面も充実していました。
まず春、4月に日本テレビの人気番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」出演の依頼を受け、撮影を行いました。野球中継さながらのカメラワークで試合の模様が放送されました。チーム名も大きく画面に映し出されていたので、たまたまその放送を見ていた友人からメールや電話が来たり、後日「野球チーム、テレビに出てたね」などと言われたりもし、番組の人気具合が窺えました。ちなみにその回の放送は、NHKの「松本人志ドキュメント番組」内でも数カット流され、さらに2010年ガキの使い面白かった企画第一位に選ばれていました。
夏には前年に続き、“地獄の夏合宿”が行われました。
黒田氏にすべてをお任せした前年とは異なり、加藤岳が企画・運営を行い、菅井芳人がイベントを、藤井研策が野球を担当し、完全に自立したものとなりました。
宿の方も、諸々融通利かせてくださり、とても快適かつ有意義な2泊3日でした。野球の技術向上、部員間のコミュニケーション向上に大いに役立ちました。
秋にはなんと、“ガキの使いやあらへんで!!”、2度目の出演依頼を頂戴いたしました。しかも企画は“笑ってはいけない24時”という大みそか恒例の人気企画です。
そして冬には納会が行われました。
前年に引き続き、人数面で商店街ホールの使用は不可能ということで、外の店で行いました。一次会の会場が前日に急遽変更になるというトラブルはありましたが、一次会を簔口達也と51年会(当日参加の藤井研策、長井正徳、近藤直之、神保雄一)、二次会を56年会(菅井芳人、小野佑尋、近藤洋之、鈴木大輔、風間優一)中心に企画・運営し、盛大に一年を締めくくりました。
そしてこの日、菅井芳人新Aチーム主将が発表されました。
野球面以外での活動の盛り上がりも目立ち、「これなら任せられる」と周囲に確信させることにもなりました。
2010(平成22)年度は、新入部員が5名も来てくれました。
宮山峻輔は小野佑尋の、大塚裕太は方尺宏之の紹介で、それ以外の3人はHPからの入部でした。中川正志は前々から経堂というチームの存在を知っていた(第六章、東日本大会出場の箇所参照)ようですが、佐藤慎也は事前に、密かに経堂の試合を見学し、北澤哲は18歳としては立派な行動力を持って、それぞれ応募してくれました。いずれも、数ある世田谷区の強豪チームの中から経堂農大通り野球クラブを選んでくれたことは非常に光栄なことです。
こうして最高の部員とともに、経堂農大通り野球クラブは2011(平成23)年度以降、歩むこととなりました。