第五章:世田谷4冠・2度目の全国大会

1999(平成11)年・2000(平成12)年


こうして始まりました簔口達也総監督体制。やはり当初は不慣れなことが多く、戸惑うこともありましたが、ミーティング時に消極的だった選手たちも、新総監督中心に驚くほどまとまってきました。


この1999(平成11)年から、早朝野球は北沢リーグのみの参加とし、松山剛を早朝監督として擁立することとなり早速、試合前のジャンケン連敗記録を打ち立てるという伝説を作ったと云われています。

当時は試合開始の整列時に監督同士によるジャンケンをして先攻後攻を決めていたのですが、経堂の選手は松山剛がジャンケンで負けることを前提に、全員グラブを持って整列していました。現在では話題にならないほどジャンケンで勝つことも多いようですが、以前と異なり、整列前に監督同士のみでの話し合い(ジャンケン)で決めているところに怪しい影を感じます。何らかの手引きがあるのでは?という噂が絶えません。


そして世田谷区連盟・東京都連盟の大会に関しては、まずは地に足をつけようということで都大会出場を断念いたしました。世田谷区からもう一度出直すという姿勢で大会に挑んだ年初の大会である都民体育大会で、いきなり優勝という結果を出すことができました。


この年のハイライトは春季大会決勝戦、駒沢球場で行われた岡島商事さんとの一戦でした。岡島商事さんは世田谷区最強のチームでした。経堂がそれまで世田谷区で優勝した大会では岡島商事さんとの対戦はなく優勝したことはありましたが、対戦した際は一度として勝利したことがありませんでした。一点差の試合もあれば大量得点差の試合もありました。

前年の1998(平成10)年のことだったでしょうか?終盤まで食い下がりながら、自らの守備のミスが決勝点につながり、一点差で敗戦した試合の終了後、簔口達也は悔しさからグランド上で大の字になり、しばらく動けことができませんでした。

そんな中、この春季大会の決勝戦で接戦の末、近藤直之の完封で初勝利を挙げることとなり、試合後の簔口達也は男泣きしていました。長年の念願が、自身が総監督として率いるチームで叶えることができ、また、まだ不慣れであったであろうチーム責任者としての苦労が報われた瞬間だったのでしょう。


この年はもう一つ印象的な日があります。

11月、簔口達也が体調不良のために入院してしまいました。タイミングが悪いことにその年の世田谷区王座決定戦準決勝戦・決勝戦のダブルヘッダーが駒沢球場で行われる直前の時期でした。ずっと簔口達也をサポートしていた竹内寛が監督代理を務めることとなりました。

準決勝戦は当時の新興勢力だったクラブキッズさん、決勝戦は駒沢大学・日本体育大学硬式野球部OBを集めた強豪チームであるルーパスさん。特にエース投手は高校時代に甲子園を沸かせ、同世代の野球人の中ではかなりの有名な投手でした。

そんな2チームを相手に、竹内監督代理の采配の妙と近藤直之・長井正徳両輪の投打にわたる活躍で、延長戦の末に連勝し、優勝することができました。試合後、竹内寛が高校の先輩でもある簔口達也に電話で結果報告するときの、満足げで得意げな表情が印象的でした。


結局1999(平成11)年は都民体育大会・春季大会・秋季大会・王座決定戦の4大会で優勝(夏季大会は3位)するという、経堂農大通り野球クラブ史上最高の成績を修めることとなりました。


さらに前年は逃がしていた北沢リーグ制覇を就任一年目の松山剛監督が成し遂げました。


2000(平成12)年シーズン初めに簔口達也が突然、「今年は全国大会出場を狙う」と言い出しました。前年は都大会に出場すらしていなかったため、これを聞いた部員たちは戸惑ったことでしょう。この年、都大会2部出場が認められたということを知ってもまだピンとこない部員が多いという状況でした。1994(平成6)年に全国大会に出場してから中5年間も空いており、全国大会経験者はすでに3名しか残っていなかったので、無理もないでしょう。

こうして出場した夏季都大会2部、人数不足の中、かろうじて勝ち進み、準決勝戦・決勝戦のダブルヘッダー。強豪企業チーム相手にそれぞれ長井正徳・近藤直之が9回完投して2度目の全国大会(高松宮賜杯全日本軟式野球大会1部((クラスはB)))への出場権を勝ち取りました。

前回同様、全国大会出場を機にユニフォームを新調しました。デザインはほとんど変わりありませんが、色を紺としました。


このときの開催地は滋賀県でしたが、黒田氏や商店街の方々も応援に来てくださいました。

大会の戦績としては2回戦敗退と満足のいくものではありませんでしたが、現在も活躍する往年の(?)選手がこの大会を経験しており、その後の全国大会出場につながっていることは間違いありません。

ちなみに1回戦の守備陣営は以下の通りです。


投手:長井正徳

捕手:小倉一晃

一塁手:大内啓之

二塁手:簔口達也

三塁手:平良一暁

遊撃手:林陽一

左翼手:近藤直之

中堅主:長嶋勇也

右翼手:竹内寛


この大会の詳細は全国大会奮闘記に掲載しております。

尚、1999・2000年度新入部員で現役の選手は渡辺邦宏、廣田大輔、遠藤慧といった、都立新宿高校長井正徳の後輩兼教え子たちがおり、ひとつのラインを形成し、後のチーム発展につながっていくのでした。


第五章で取り上げた2年間は、

“チーム存続の危機”

“総監督交代”

“世田谷区4冠”

“全国大会出場”

と、経堂農大通り野球クラブ史上最大級に激動の2年間となりました。