法隆寺金堂薬師如来像光背銘

池邊大宮治天下天皇大御身勞賜時歳次丙午年召於大王天皇與太子而誓願賜我大御病太平欲坐故将造寺薬師像作仕奉詔然當時崩賜造不堪小治田大宮治天下大王天皇及東宮聖王大命受賜而歳次丁卯年仕奉 

「池邊大宮天皇」は用明天皇(~587)のことで、用明天皇が病気のときには、推古はまだ天皇ではないので、推古天皇を大王天皇と書くこの銘文はすくなくとも推古天皇即位後に書かれた。大王天皇の呼称は「大王」がアマタリシヒコの称号であるから、さらにアマタリシヒコの没後に製作年はずれ込む。福山敏男の「623年以降の作」説は妥当である。