開拓空間における多民族社会のテリトリアリティ
—インドネシア東カリマンタン州の先住者ロング・ワイと自発的移住者たち—
藤原 江美子 (東洋大学アジア文化研究所)
日時:2024年1月22日(月)18:15~ (対面・オンラインハイフレックス方式)
要旨
インドネシアのカリマンタン島では、現在も他島や他地域から開拓移住者が流入し続けている。 先行研究では、アブラヤシ農園開発政策とセットで実施される移住政策のもとで流入する「政策移住者(transmigrasi)」を主な対象として、先住者との土地をめぐる軋轢が議論されてきた。 そこでは、先住者はその先住性やアダット(慣習)にもとづく土地利用の正当性によって移住者を排除するといった事例が報告されている。 だがその一方で、個人のツテをたどり、開拓の場を求めて流入する「自発的移住者(perantau)」の昨今の実態や先住者との関係についてはあまり明らかにされていない。 本発表ではその一例として、東カリマンタン州の東クタイ県X行政村の事例を報告する。
X行政村は、焼畑農業を営む先住者ロング・ワイ人が築いたA集落、その次に、同じく焼畑農業を営むクタイ・マレー人が築いたB集落、スラウェシ島ソッペン出身のブギス人が築いたC集落、スラウェシ島のその他の地域や都市サマリンダから流入したブギス人たちが集うD集落の計4集落で構成される。 そこでの先住者コミュニティによる移住者への受容と排除の経緯、移住者による人の噂に依拠した開拓の正当性、土地利用とその認識の差、村長選挙といった点に着目する。
X行政村では、A集落先住者コミュニティの3集落に対する排除のための民族的テリトリアリティが見られた。 だが一方で、先行事例のような移住者の排除には至らず、先住者テリトリーの境界は薄れ、移住者は流入し続けるという開拓の場の拡大が見られた。 このような開拓空間における先住者と移住者のテリトリアリティは、民族文化的・政治的相違を際立たせるテリトリアリティへとシフトされている点を考察する。
現代ジャカルタにおける分断と秩序
―路地バリアの普及に関する実証的研究―
久納源太 (京都大学)
日時:2023年12月11日(月)18:15~ (対面・オンラインハイフレックス方式)
要旨
本発表では、インドネシアの首都ジャカルタにおける路地バリアに着目する。 路地バリアとは、ポルタル(portal)と呼ばれる防犯装置であり、住民組織などの地域コミュニティが住宅地の道路に設置・管理する門や障害物を指す。 ジャカルタを含め、大都市圏では郊外化や社会経済的格差の拡大に伴いゲーティッド・コミュニティと呼ばれる高所得者の排他的な居住空間が広がり都市空間の分断をもたらしているという議論が多いが、路地バリアの空間的分布はこれまで実証的に分析されてこなかった。 本発表では、まず、2010年代のジャカルタにおける路地バリアの空間的分布を分析し、「分断」を通して日常的な安全確保を図る活動・装置が社会階層を超えて一般化していることを確認する。 具体的には、OpenStreetMapのタグ・データの目視による検証と現地調査で入手したデータを用いて、路地バリア普及の社会空間的パターンをジャカルタ首都特別州全域で分析する。 特に、ジャカルタの北西部と北東部を中心とした住宅地と商業地が混住する地域では、カンポン(高密度居住地)にも、富裕・中間層のゲーティッド・コミュニティにも路地バリアが目立ち、それが路地バリアの階層横断的な拡散に寄与していることを指摘する。 こうした都市全域での路地バリアの分布傾向を踏まえた上で、路地バリアの設置を正当化する言説の変遷(1970年代~)を分析し、路地バリアの階層横断的な普及は、日常的な安全確保には路地バリアが有効であるという価値観がおよそ半世紀に渡って共有され続けた結果であることを指摘する。 さらに、路地バリアが広く普及し継続的に利用されている要因として、民主化・分権化によりコミュニティを重視する社会政治的志向が高まったことを提示し、これが逆説的に都市全体の公共圏の喪失をもたらしていることを論じる。
愛着の音楽人類学―いまここから溢れ出ることととしての音楽への/からのアプローチ
□日時:2023年11月25日(土)13:30~ (オンライン・ハイフレックス方式)
参加ご希望の方は下記のフォームからご登録ください。
アクセス用のリンクについては、フォーラムの前日までにご連絡差し上げます。
開始の5~10分前にログインしてください。
□会場 東洋大学白山キャンパス6号館2階6213教室/Webex ミーティング
□要旨 アントワーヌ・エニヨンが先鞭をつけ、ティア・デノーラやジョージナ・ボーンらによって推進されてきた関係的アプローチによる音楽社会学・音楽人類学は、 音楽を作品概念から解き放ったミュージッキング研究の行為中心的アプローチやニューミュージコロジーの構築主義的視座を引き継ぎつつ、音楽と社会との複雑で多面的な関係に焦点をあて、 両者の関係性を紡ぎ出す人々自身の営みー媒介ーへの着目を促してきた。
また、STSやANTとの対話をも踏まえ、人や物、技術や制度などからなるアッサンブラージュとしての音楽像を提起してきた。 本シンポジウムでは、エニヨンの音楽社会論における媒介に並ぶ重要概念である愛着をめぐる議論をひとつの足がかりとしつつ、「音楽への/との愛着」という、 ある意味ささやかでありふれた事柄に関する四つの民族誌的事例ー現代音楽の作曲家、離島の民謡復興に携わる歌手、音楽葬に従事するセレモニー演奏家、ボリビアの民俗音楽に一家言持つ女主人ーが報告される。
愛着の概念を発見的に用いる四つの民族誌において結果的に浮上する共通の論点は、いまここの経験や事物、出来事でありながら、 そこに参与する人や物、存在の時空間的な「溢れ出し」を可能にし、またそれを制御しようとする社会的はたらきとしての音楽の姿である。 ここでは、緩やかに論点を共有する個別具体的な民族誌群から蒸留されるそうした音楽像を定位しつつ、音楽研究が現代人類学にもたらしうる独自の視座の在処を探りたい。 □タイムテーブル
13:30-13:45
はじめに 佐本英規(筑波大学)
愛着と媒介―いまここから溢れ出ることとしての音楽
13:45-14:15
発表① 石橋鼓太郎(東京藝術大学)
投壜通信を書き継ぐ―「現代音楽」における作曲家の愛着をめぐって
14:15-14:45
発表② 荒木真歩(神戸大学)
歌の手ざわり―愛着をめぐる感覚・過去・もの性
休憩(15分間)
15:00-15:30
発表③ 田井みのり(東京都立大学)
愛着の技術としての音楽―葬儀における「音楽の専門家」の実践に着目して
15:30-16:00
発表④ 相田豊(東京大学)
チャラサニの奥様―愛着と人類学的フィールドワークについての考察
16:00-16:15
コメント 吹上裕樹(京都文教大学)
16:15-17:00
質疑応答・全体討論
ボツワナにおける中国産模造品と現地消費者の関係
―経済的ダイナミクスと貿易政策の考察―
シゲンギン(訾 彦誾、Zi Yanyin) (立教大学)
日時:2023年10月23日(月)18:15~ (対面・オンラインハイフレックス方式)
要旨
中国製模造品は、グローバル市場で大きな存在感を示しており、ボツワナや南アフリカなどのアフリカ諸国でも広く流通しているが、同時に否定的な評判を得てもいる。 これらの商品は、(実際の品質にかかわらず)低品質で安価なものと見なされ、ボツワナでは低所得者の購買力を支えつつ、経済全体にまで影響を及ぼしている。 本研究は、中国製模造品がボツワナ社会のグローバル化の触媒として、どのように地域の経済発展を促進してきたかを明らかにするものである。 データは2011年から2015年の間に4回おこなったフィールド調査(計13ヶ月)で収集した。 また、その後のフォローアップ・インタビューは2018年と2022年にインスタント・メッセンジャー(WeChat)を通じておこなった。 ボツワナの模造品市場は、現地の消費者と中国の商品の間、そして国家の貿易政策と中国人商人との間のダイナミックな相互作用によって形成されている。 本研究では中国人商人が扱う商品の歴史的変遷(悪質商品から模造品、中国製ブランド商品、ボツワナ現地産商品まで)を明らかにすることで、戦略的な地域政策によって、 一見横暴で侵略的に見える外資を、地域経済と地域発展に貢献する方向に導くことができる、という可能性を示唆する。
海を「視る」技術:インドネシア・バンガイ諸島サマ人の漁撈と環境認識
中野真備(人間文化研究機構・東洋大学)
日時:2023年7月10日(月)18:15~ (対面・オンラインハイフレックス方式)
要旨
本発表の目的は、インドネシア・バンガイ諸島サマ人の漁撈における環境認識の構造を、海上景観に基づく空間認識や民俗分類から描き出すことである。 海や森などの自然環境を生業・生活の場とする人々は、安全かつ効率的に自然環境を利用できるようにその知識や技術を習得、適応してきたが、これらは人々の自然観や環境認識を基盤としつつ複雑に形成されてきた。 本発表で対象とするサマSamaあるいはバジャウBajauとよばれる人々(以下、サマ人)は、フィリピン南部、マレーシア・サバ州、インドネシア東部を中心に東南アジア島嶼部3ヵ国にまたがって拡散居住する海民集団である。 サマ人については、歴史的形成過程や社会的側面に焦点が当てられて論じられてきたが、漁撈活動や環境認識にする実証的研究はサンゴ礁や汀線帯を実践空間とする一部の事例に限られる。 彼らが多様な沿岸環境を有する東南アジア島嶼部に分散していることや、定住化を経て生業・生活環境が変化してきたことを考慮すると、これはサマ人の環境認識を代表するとは言いがたい。 自然環境の認識を分析する主たるものに民俗分類学的手法が挙げられるが、ここでは生物や自然物(無機物を含む)、空間がそれぞれ独立して取り出される傾向があり、また対象空間の生態学的・地理的条件にも偏りがあるため、漁撈における環境認識の総合的理解には限界があった。 そこで本発表では、浅海~外洋域で漁撈をおこなうバンガイ諸島サマ人漁師らの環境認識について、漁師らによる海上移動の景観に基づく、生物・自然物・空間の民俗分類の絡まり合いに着目して分析することで、彼らの海を「視る」技術について考察しようとする。
現代におけるアート現象の人類学的考察
―2022年国際現代芸術祭ドクメンタ15の調査を踏まえて―
青木惠理子(龍谷大学)
日時:2023年6月26日(月)18:15~ (対面・オンラインハイブリッド開催)
要旨
1990年頃からアート現象の世界的隆盛が見られる。 アートに関する国家の政策や国際機関による開発計画が推進され、ビエンナーレやトリエンナーレなどの展覧会が世界的に進展をみせている。日本では過疎地において行政主導のアート祭が観光促進の資源とされるようになった。 アート市場が世界的活況を呈するなか、他方では、社会的なつながりや社会改革にかかわる社会志向のアート活動が推進されている。 また、漫画、アニメ、ファッションへとアート領域が拡大されると同時に、アートとは無縁だった科学、教育、福祉、医療、ビジネスの現場でもアート化と呼ばれる現象が起こっている。
なぜ1990年か?冷戦の終結とともに、世界がほぼ自由主義経済化したことにより、アート市場とアートに関する消費文化が拡大したことが指摘できよう。 また、100年近くの間世界革新のために寄せられていた社会主義イデオロギーへの期待が、人々の間で急速に縮小したこととも関係するだろう。 社会志向のアートはそこに登場する。一方人類学の大きな流れに目をやれば、20世紀半ば以降主流であった言語記号論に基礎を置いた研究を越えて、 モノ、エージェンシー、身体、感覚etcへと模索を広げてゆく過程を背景に、アルフレッド・ジェルが、人類学におけるアート研究上画期的ともいえる論文を 発表した1992年が、アート隆盛と年代的に符合するのは、偶然とは言えないだろう。
本発表は、ジェル同様発表者も歴史的現在の影響のなかにあることを自覚しつつ、2022年開催の国際現代芸術祭ドクメンタ15での短期調査を踏まえて、 現代におけるアート現象の一端を考察する。 ドクメンタ15や現代アートに関しては美術批評家などによる膨大な数の記録、コメント、分析がなされているが、それらをできるだけ踏まえながらも、 現場に参与することによって得られた経験を丁寧に振り返ることで、考察を深めることをめざしたい。
グローバル・ケア・チェーンの末端の今:インドネシア・ジョグジャカルタ特別州を事例に
合地幸子(東洋大学)
□日時:2023年5月22日(月)18:15~ (対面・オンラインハイブリッド開催)
参加ご希望の方は以下のフォームからご登録ください。
アクセス用のリンクについては、例会前日までにご連絡差し上げます。
https://forms.gle/MC3qyxv8F7sCGWWM9
開始の5~10分前にログインしてください。
□要旨
要旨:本報告は、海外移住労働者の送り出し国であるインドネシアを事例として、グローバル・ケア・チェーン(Global Care Chain)の末端の現状を検討することが目的である。グローバル・ケア・チェーンとは、アーリー・ラッセル・ホックシールド[2000]によって提唱された理論で、貧しい国・地域の女性が自分の家族を残して裕福な国・地域の家庭でケア労働に従事することを指している。そして、残された家族に対するケアは、彼女の拡大家族の無償の労働によって補完されるというものである。 これまで、多くの研究は移住労働に関する構造的な問題や労働者の人権保護などに注目してきたが、チェーンの末端で暮らす人びとに関する報告はいまだ少ない。本報告では、インドネシア・ジョグジャカルタ特別州農村部における親子の事例を取り上げる。はじめに、娘がシンガポールで家事労働者として働いているため村で独居する女性の事例を取り上げ、残された母のケアが拡大家族的な村の住民の無償労働によって補完される仕組みを提示する。その上で、それらが近年の社会変化によってどのように変化しているのかを検討する。次に、より貧しい地域からケアの担い手を探す親子の事例から、グローバルなケア・チェーンに影響を受けるインドネシア国内の現状について検討する。 以上を通して、インドネシア的な「見守り」ネットワークが縮小あるいは限定的でありチェーンの末端においてケアの担い手の変化が生じていることを明らかにする。最後に、残された家族のケアに対する今後の課題について若干の考察を加えたい。
「女らしさ」が生成する場──フィリピン、マニラ首都圏の日本人男性向けカラオケパブの労働誌
田川夢乃(東洋大学・助教)
□日時:2022年4月24日(月)18:15~ (オンライン開催)
今回もWebexミーティングを利用してオンラインで開催します。
参加ご希望の方は以下のフォームからご登録ください。
アクセス用のリンクについては、例会前日までにご連絡差し上げます。
https://forms.gle/MC3qyxv8F7sCGWWM9
開始の5~10分前にログインしてください。
□要旨
要旨:男女平等やジェンダー多様性を実現するための取り組みが盛んに行われるようになった現代社会では、「男らしさ」や「女らしさ」といったジェンダー概念に対する見方は大きく変化した。それらのなかには性差に基づく固定観念から脱し、「自分らしさ」を称揚することで女性のエンパワーメントを促す動きもある。そうした見方には、男性に頼って生きようとする「旧来的なジェンダー観の女性」が自らの足で立ち上がれるよう自立を促すことでエンパワーメントしようとする試みがある。しかし、液状化と流動化が進む現代社会において、そのような自立した明確な自己を求めることは容易なことではない。不安定な「個性」は、ネオリベラルな能力主義の論理に絡め取られてしまう危険性を持つ[菊池 2019]。 他方、「女らしさ」を装い振る舞うことを仕事とする人びとがいる。とりわけ、セックスワークや接待飲食業といったナイトワークに従事する女性たちは、男性が期待し価値づける女性像を演じ、時にそうした価値観を内在化して表出することで生計を立てている。彼女たちは、男性の性的欲望を掻き立て、男性との間に愛情や親しみの関係を構築することで対価を得る。そのような人びとは、固定的な「女らしさ」に追随するしかない脆弱でかわいそうな人びとなのだろうか。あるいは、女性のエンパワーメントを阻害する、教育や矯正が必要な人びとなのだろうか。 本発表は、以上の批判的見方のもと、フィリピン、マニラ首都圏の日本人男性向けカラオケパブを事例に、異性愛規範を前提とする空間で「女らしく」振る舞うことの意味を労働現場の実態に即して検討する。ここでは特に「パフォーマティヴィティ」をキー概念として、そこに第三世界のフェミニズム論を接続することで、現場における「女らしさ」の生成を複数性と日常性の観点から分析する必要性を示す。これを通して、ジェンダーを「複数の権力関係のもとに生成する状況」として描き出すことが本発表の目的である。