人々はイタコに何を求めるのか?
原 英子さん(岩手県立大学盛岡短期大学部国際文化学科)
□日時 1月16日(月)18時10分~
□場所 東洋大学白山キャンパス 5304教室
□要旨
2011年3月11日におきた東日本大震災では多くの尊い命が奪われた。東北地方 には口寄せにより、死者の語りをきくイタコが存在する。震災から5カ月たった8 月は各地で犠牲者の初盆行事が執り行われていた。この時期、朝日新聞は、恐山 のイタコをめぐる記事を掲載した。8月16日の山形全県版の見出しでは「震災遺 族、イタコ頼りに」「口寄せで『肉親の言葉聞きたい』」「突然の別れ 喪失感 埋める思い」。近年は、心のケア、「癒し」を与える者としてイタコが注目され ている部分があるが、「伝統的」イタコの数は現在もう数えるほどしかいない。 口寄せは朝夜が明けるころから始まり、日が暮れてからも揺れるローソクの火の もと続いていく。これまで人々はイタコに何を求めてきたのか。そして現代人は 何を求めているのか。こうしたことをとりあげてみたい。
※終了後、白山近隣で懇親会を予定しております。
マニラのムスリム・コミュニティに生きる人びと
フィリピンの都市マイノリティにおける連帯と分断
渡邉暁子 さん(東洋大学社会学部)
□ 日時 2011年12月19日(月) 18:10~20:00
□ 場所 東洋大学白山校舎 5304教室
□ 要旨
本研究は、フィリピンの首都マニラにおけるムスリム・コミュニティを歴史的パースペクティヴのなかで把握することを目的とする。事例として取り上げるのは、マニラの三大ムスリム・コミュニティのひとつとして認知されており、多民族状況にあるS地区である。マニラという圧倒的なキリスト教徒社会のなかで、「ムスリム」と括られる人びとがどのような歴史的過程を通じて、つねに分岐、分裂の可能性をはらみながら、ひとつのコミュニティを形成してたか、その過程に国籍、宗教、民族集団、同郷、職縁、姻戚、親族といったさまざまな紐帯や外部からもたらされる新しい考え方や生き方が、どのように関係しているのかを明らかにする。
跨境コミュニティにおけるアイデンティティの持続と再編
――東アジアと東南アジアからの展望――
□ 日時 2011年11月19日(土) 13:00~17:40
□ 場所 東洋大学白山キャンパス 3号館2階3205教室
(地下鉄東京メトロ本駒込駅、または都営地下鉄白山駅)
※最寄り駅までは右URLを参照(http://www.toyo.ac.jp/access/hakusan_j.html)
※構内は右URLを参照(http://www.toyo.ac.jp/campus/hakusan_j.html)
主催:東洋大学白山人類学研究会
□フォーラムの趣旨
1990年代以降のグローバル化と総称される地球規模での人・物・情報の流動化にともない、世界中で、様々なレベルの組織や団体が急速にトランスナショナルな性格を帯びるようになった。出自や言語、宗教を基本的紐帯としてきた在地の少規模コミュニティが、異なる国家に属する成員によって構成され、複数の国家に跨る関係性を内包するようになっていることも、いまでは稀ではない。他方、東アジアや東南アジアの国境地帯には、いま述べたグローバル化が進行する以前から、複数国家に跨がる生活圏に生きてきた人々が多数住む。従来から日常生活レベルで国境を跨ぐ社会関係を維持、再編してきた、「プロト・トランスナショナル」と形容しうるような在地コミュニティを跨境コミュニティと呼ぼう。こうした跨境コミュニティもまた、1990年代以降は、従来とは異なる様式のグローバルな社会関係――世界的な宗教組織や開発援助団体などのネットワーク ――に連接する(再)トランスナショナル化を経験するようになっている。
1990年代以降のグローバル化は、東アジアと東南アジアの跨境コミュニティの(プロト)トランスナショナルな社会関係をいかに変質させ、成員のアイデンティティ編成にどのようなインパクトを与えたのか―― 本フォーラムでは、まずこの問いをフィールドワークに基づいて微視的に探る。東アジアについては日本―韓国間の国境域、特にその韓国側に位置する国境の島、コジェド(巨済島)の事例が取り上げられる。東南アジアについては、フィリピン・ミンダナオ島とマレーシア・サバ州それぞれのサマ(バジャウ)人社会の事例が対象とされる。サマ人は、東南アジアが植民地化される以前から、後に国境で分断されることになる同地域の島嶼沿岸で移動的な生活を営んできた。これらの事例報告を基に、フォーラム全体では、東アジアと東南アジアそれぞれの跨境コミュニティにおける(再)トランスナショナル化の社会的、文化的な意味とその異同を、国境・国籍の管理のような制度的背景や、開発・開発援助のような同時代的文脈をふまえて、ややマクロな視点から比較検討することを試みる。
プログラム
13:00-13:10
開会の挨拶
高橋継男
(アジア文化研究所所長)
13:10-13:30
趣旨説明
松本誠一
(東洋大学社会学部)
◇セッション 1 東アジアの跨境コミュニティ――国際化とアイデンティティの動態
13:30-14:00
韓国巨済島キリスト教会に見た跨境的生活の実態を通じて
――アイデンティティ論再考
井出弘毅
(アジア文化研究所
14:00-14:30
日韓境域の島々と「海峡圏」交流
――巨済島属島を中心に
松本誠一
(東洋大学社会学部)
14:30-14:45
コメント
植野弘子
(東洋大学社会学部)
14:45-14:55
休憩
◇ セッション 2 東南アジアの跨境コミュニティ――開発とアイデンティティの動態
14:55-15:25
開発援助の現場におけるサマのアイデンティティ再構築
――フィリピン・ダバオ市からの事例
青山和佳
(北海道大学大学院・メディアコミュニケーション研究院)
15:25-15:55
「バジャウ・ラウト」はいかに生成したか
――マレーシア・サバ州の境域における自己表象の動態
長津一史
(東洋大学社会学部)
15:55-16:10
コメント
鈴木佑記
(日本学術振興会特別研究員)
16:10-16:50
◇特別講演
韓国島嶼における日本人移住漁村の生成と変化
崔 吉城
(東亜大学・東アジア文化研究所・所長)
16:50-17:00
休憩
(18:00から懇親会)
本研究フォーラムは、東洋大学アジア文化研究所/「トランスナショナル・コミュニティの地域間比較」(科研:松本誠一(東洋大学)との共催で行われます。
アフリカにおいて先住民になること
ボツワナと南アフリカに暮らすサンの事例より
丸山淳子 さん(津田塾大学学芸学部国際関係学科専任講師)
□ 日時 2011年10月17日(月) 19:00~21:00
□ 場所 東洋大学白山校舎 5304教室
□ 要旨
21世紀に入って「先住民」に対する国際的関心がかつてなく高まっている。「先住民には独自の文化や生活様式を維持する権利がある」という考え方が世界的に支持を得るようになり、その適用範囲も急速に拡大しつつある。これまで「先住民」の存在や問題が議論の俎上にあがることがなかったアフリカでも、各地の少数集団が「先住民」として国際社会からの強い政治・経済的サポートを受け、それまでにないやり方で問題解決に取り組み始めている。と同時に、植民者との境界が明確なイギリス系植民国家で育まれてきた「先住民」という概念が、民族間関係の歴史や国家成立の経緯の異なるアフリカに急速に「輸入」されたことは、地域社会に複雑な問題を生じさせてもいる。
本発表では、南部アフリカのサン(ブッシュマン)の「先住民運動のホット・スポット」として知られる2つの地域を事例として、このような「先住民」に関わる支援や運動が、地域や社会に与えている多層的なインパクトをミクロなレベルで解明する。そして両地域のサンが経験してきた歴史や国家政策、NGOとのかかわりなどに着目しながら、土地や資源へのアクセス、あるいは言語や文化の維持に関する活動や運動が、彼らの直面する問題の解決にいかに寄与し、あるいは齟齬や矛盾を生んでいるのか、また既存の国際社会や国家、民族、集団間の関係にいかなる変化をもたらしているのかを、比較検討したい。
「戦後」から「復帰」にかけての琉球華僑社会
八尾祥平 さん(首都大学東京人文科学研究科博士後期課程[社会学])
□ 日時 2011年7月11日(月) 18:10~20:00
□ 場所 東洋大学白山校舎 5304教室
□ 要旨
本報告では、第二次大戦後から沖縄の日本復帰前後にかけての時期の琉球華僑社会について、その社会構成や国府との結びつきを中心に分析を行い、その全体像を提示することを試みたい。琉球華僑社会は、沖縄の内部ではマイノリティーにすぎないものの、「戦後」の台湾と沖縄のおかれた複雑な状況を色濃く反映した社会構成をとり、単純に「台湾人」としてひとくくりにすることが極めて難しい社会であったことを明らかにする。その一方で、国府は「『琉球』は日本の領土ではない」という立場をとり、琉球との関係強化をはかるために、琉球華僑を用いて草の根レベルでも交流をすすめていこうと試みたものの、日華断交によってこうした動きは大幅に後退せざるをえなかったまでの経緯についても明らかにする。
バティックに染め上げられる「華人性」
ポスト・スハルト期インドネシアの華人と文化表象をめぐって
津田浩司 さん(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 助教)
□ 日時 2011年6月20日(月) 18:10~20:00
□ 場所 東洋大学白山校舎 5304教室
□ 要旨
インドネシアに暮らす華人系住民(以下「華人」)は、新生国家インドネシアの中で長らく国民統合上の「問題」と位置づけられてきた。とりわけ1960年代後半から30年あまりにわたって続いたスハルト体制下では、「同化政策」の名のもと、公の場で彼らの「伝統」や「文化」を表出することは厳しく制限されてきた。
1998年にスハルト体制が崩壊して以来、こうした華人を取り巻く空気は大きく改善の方向に向かってきている。文化表象の面においても、華人はジャワ人やバリ人など他のエスニック・グループと同様、己の独自性を主張したり表現することが、社会的にも政治的にもかなりの程度許容されるようになりつつある。
そこで本発表では、インドネシアにおける華人とその文化の位置づけの近現代史を概観した上で、ポスト・スハルト期のインドネシア華人の文化表象のあり方をシンボリックに示すものとして、バティック(蝋けつ染めの布、ジャワ更紗)の上に「華人にまつわる要素」を盛り込もうとしている、中ジャワと西カリマンタンで現在進行中の2つの事例を報告する。「インドネシア文化の精華」として内外から高く評価を受け注目度を増しているバティックの上に、いわゆる「華人性」を盛り込もうとする試みが、それぞれ誰によっていかなる経緯でなされたのか、それが社会的にどのように評価されているかを分析することを通して、現代インドネシアにおける華人にまつわる文化表象のあり方の特徴を浮かび上がらせる。また、両事例で盛り込まれた「華人性」とはいかなるものであったかを見ることで、華人と「華人性」の関係性についても考察をする。
カンボジアでベトナム人として生きること
法的立場および「不当な」料金徴収をめぐる試論
松井生子 さん(国立民族学博物館外来研究員)
□ 日時 2011年5月23日(月) 18:10~20:00
□ 場所 東洋大学白山校舎 5304教室
□ 要旨
カンボジアにおいてベトナム人は、ベトナムとカンボジアの支配-被支配の歴史、文化的な違い、経済的な競合、国民国家形成に伴う他者の創造などを背景に、多数派民族であるクメール人を脅かすものとして範疇化され、同国の社会の外部者として捉えられてきた。本報告が取り上げるのは、この他者認識のもとで、カンボジアの地方行政関係者によってベトナム人が法的に外国人として扱われ、また「不当な」料金徴収の対象とされているという事象である。
ベトナムとカンボジアの国境地域に位置する調査地には、カンボジアに数世代にわたって生活してきたベトナム人が居住している。これらの人々は1970年代前半の内戦時にベトナムへと避難し、ポル・ポト政権時代が終わった1979年以降に調査地に戻って来たという経験を持っている。
彼らの大半はカンボジアの国籍/市民権を持たず、その要件を満たしていても国籍/市民権をあらわすIDカードが交付されていないことがある。また、彼らは漁や家の新築をおこなう際に、ベトナム人であることを理由として、クメール人であれば課されることがない「不当な」料金を地方行政関係者から徴収されている。現在の調査地において彼らはベトナム人同士のつながりやクメール人との関係の中で自らをベトナム人として同定するが、このような地方行政関係者との接触もまた、クメール人とは異なるものとしての彼らの自己認識の契機となっている。ベトナム人に対する差別的処遇は、彼らの「ホーム」となりうるベトナムへの想像力を喚起するものでもある。
本報告はこの国籍/市民権と「不当な」料金徴収の問題を手がかりに、ベトナム人がカンボジアで置かれた不安定な立場の状況を示すと共に、同国で排除と収奪の対象となることによって形成される彼らの自意識と、カンボジアとベトナムの間での自己の定位の仕方を考察する。