スポーツヒーローとしてのトンガ人ラグビー選手
北原卓也(早稲田大学人間総合研究センター・招聘研究員)
□日時 2021年1月25日(月)18:15~
今回も、zoomミーティングを利用してオンラインで開催します。
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https://forms.gle/f1y88Jup29nQ3gUx7
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□要旨
南太平洋島嶼国のひとつであるトンガ王国ではラグビーが非常に盛んであり、そのナショナルチームは国内だけでなく世界各国に居住するトンガ人から親しまれている。2019年のラグビーワールドカップは日本国内でも大きな注目を集めたが、こうした大きな試合の際には熱狂的な応援を受け、トンガ国内はもとより国外のトンガ人コミュニティも赤に染まる。チームカラーの赤色のものを身につけたり飾ったりするからだ。選手たちは国際舞台で活躍する国民的ヒーローである一方、ファンにとって自身が直接、少なくとも一人、二人を介せば個人的なコンタクトが取れる範囲の近い繋がりがある存在でもある。本研究では、こうした熱狂的な人気を集める一方で、フォロワーにとって血縁や地縁、学縁などでつながる身近な存在でもあるトンガのナショナルチームの選手が、トンガ社会においてどのような象徴的または具体的な役割を担っているのかについて、調査の中間報告として現時点で明らかになっている点を提示する。
アートにおける関係性、作家としての民族誌家
鈴木伸二(近畿大学総合社会学部・准教授)
□日時 2020年12月21日(月)18:15~
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□要旨
今回の報告では私自身が作家として参加した「遺され村の美術展」を事例として、アートと人類学の接触領域でどのようなことが生じるのかについて考えてみたい。この接触領域における生成を考察するために、本報告では「関係性」と「作家としての民族誌家(the ethnographer as artist)」というキーワードを設ける。
人類学においては、アルフレッド・ジェル以降、人工物のエイジェンシーを考察することにより人間以外の存在を含めた関係性が議論されるようになった。一方、芸術分野でも関係性が議論されるようになっている。その嚆矢となったのが、ニコラス・ブリオーが1998年に発表した「関係性の美学Esthetique relationnelle」だった。関係性の美学は作家と観衆からなる恊働そのものが芸術作品として見なされる理論的な土台となっている。ジェルとブリオーの「関係性」については、すでに人類学で両者の類似性や相違に関する論考がある。本報告では、これらを踏まえた上で、私自身も含め美術展に参加した作家に生じた変化を関係性の視点から考える。
また、最近ではインゴルドの「アートとともにある人類学」が人類学の実践として注目されるようになった。これに対して芸術分野においては1990年代以降、ハル・フォスターのようにアーティストを民族誌家になぞらえる流れがある(the artist as ethnographer)。現在はこの二つの流れが混ざりあい、人類学とアートの接触領域が深化しつつあると言えるだろう。だが、映像人類学を除いて、人類学者が作家として作品を制作するような状況にはなっていない。アーティストと人類学者は恊働によって一つの作品を作ることはあっても、制作過程における役割分担に変化は生じていないのである。これに対して本報告では「作家としての民族誌家」の可能性について考えてみたい。
From Pain to Activism: The Case of Victims of Coerced Sterilizations in Japan
Astghik Hovhannisyan(Russian-Armenian University/ Ritsumeikan University)
□日時 2020年11月16日(月)18:15~
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□要旨
Over 16,500 people were forcibly sterilized under the now-defunct Eugenic Sterilization Law (1948-1996) of Japan. However, in contrast to the somewhat similar case of Hansen’s disease survivors, this issue only gained national attention in recent years, and legal attempts to demand government accountability began as late as in 2018. Many of the victims, who were silent about their experience for decades, found themselves in the position of plaintiffs, as well as active agents of the redress movement.
This talk, based on literature survey, interviews with sterilization victims, as well as records of court proceedings, aims to look into reasons why the issue of coerced sterilizations was practically ignored for such a prolonged period of time, as well as to demonstrate how the sterilized persons turned from silent victims to “accidental activists”.
外から埋め込まれた「祭り」の実践とそこからはみ出た実践―地域国際芸術祭に関する観光人類学的研究―
山田香織さん(東洋大学・講師)
□日時 2020年10月12日(月)18:15~
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□要旨
2010年頃より、3年ないし2年に一度開催されるアートフェスティバルが日本国内の過疎高齢化のすすむ中山間地域や離島で開催されている。これは、一流アーティストが手がけるサイト・スぺシフィックなアート作品を社会から「忘れ去られた」場所に設置し、作品鑑賞の機会を創出することで、ヒト・モノ・カネの移動を生じさせ、地域振興を促すことを意図した行政主導の事業である。主催者は経済効果や集客数、開催地にみられる新たな動きを根拠にこれに肯定的評価を下している。この事業に対しては学界・アート界からも熱いまなざしが注がれていて、多角的な議論や評価が展開されてきた。しかし、議論がしつくされたわけではない。たとえば会場となる地域の立場からこの事象にアプローチする議論においては、複数の会場・地域からなるひとつのアートフェスティバル(地方国際芸術祭)が一枚岩的に論じられることが少なくなかった。とりわけ、複数の会場のなかでも周縁的位置づけにある場所は等閑視されてきた。あるいは、芸術祭の運営からはみだすような実践はほとんど注目されることがなかった。
こうした点をふまえつつ本発表では、四国・香川県で開催されている瀬戸内国際芸術祭の会場であるひとつの離島を例にとり、芸術祭の展開とこれにまつわるはみ出しながらおこなわれる実践に迫ってみたい。そして真正性の議論を補助線としながら、この「祭り」にたちあらわれる複層的な実践のありようについて考えてみたい。
憑依の表れ/現れにおける複層性について――モロッコでの語りと儀礼実践を事例として
山口匠さん(東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程)
□日時 2020年6月29日(月)18:15~
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□要旨
本発表は、現代モロッコにおける憑依に関連する諸事象を事例に、人々の語りから憑依の現象をめぐる両義性や曖昧性を詳かにすること、そして、儀礼の場において現出する多的状況を身体性の観点から検討することを目的とする。
イスラーム圏ではジンと呼ばれる妖霊の存在が広く知られており、アラブの国々の中でもモロッコはジンにまつわる様々な実践が特に盛んであるとされている。とりわけ、明らかな西アフリカの聖霊信仰からの影響が認められる憑依儀礼は、保護領期の昔から多くの外国人研究者の注目を集めてきた。国内では、楽器の演奏と激しいトランスを伴うこの種の儀礼は様々な理由から批判を受けがちだが、その一方で近年は芸能化が進み、モロッコの文化的伝統のひとつとして再評価されるようになってもいる。本発表ではまず、人々の語りからジンに関する信念や実践にも微妙なニュアンスやグラデーションがあることを確認する。そして、今日的な儀礼のあり方を、聖俗二元論などのような宗教(学)的概念にはよらず、鳴らされる音に対して異なる身体が共在する状況として分析することを目指す。