“So far apart yet too connected”: The ethnography of the sociality of Tongan migrant mothers and their daughters
Makiko Nishitani 西谷真希子(Lecturer, La Trobe University)
□日時:2022年1月17日(月)18:15~ (オンライン開催)
今回もzoomミーティングを利用してオンラインで開催します。
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アクセス用のリンクについては、例会前日までにご連絡差し上げます。
https://forms.gle/cTrcP9yJCZc7joiY6
開始の5~10分前にログインしてください。
□発表言語:日本語と英語
□要旨
The framework of ‘transnationalism’ has become a standard analytical tool that is used across diverse disciplines in the Social Sciences to capture diasporic people’s sociality. While some scholars argue that transnational connections do not necessarily reflect the main emphasis of diasporic people’s social lives, little research proposes an alternative way to describe their sociality. This paper approaches people’s emic perceptions of sociality by considering the Tongan indigenous concept of social space (v?). V? refers to social space created by social ties, especially kinship ties: the maintenance of which demands that obligations are met and participants act appropriately according to various factors such as gender, kinship hierarchy, age, and marital status. I specifically focus on the roles of mothers and daughters in shaping the Tongan sociality because females are expected, even pressured, to be closely involved with this kin-based social space, while males have relative freedom from such pressures. Based on fieldwork in Melbourne, this paper examines mothers’ and daughters’ everyday practices of engagement with the kin-based social space through travel, gift-exchange and the use of communication technologies, which traverse distances while maintaining the importance of kin members in the proximity.
本発表は以下の本の内容をもとにしている。Nishitani, Makiko 2020 Desire, Obligation and Familial Love: Mothers, Daughters and Communication Technology. Honolulu: University of Hawai’i Press)
「骨」から問い直す父系観念――台湾における「脱墳墓化」をめぐって
植野弘子(東洋大学)
□日時:2021年12月20日(月)18:15~ (オンライン開催)
今回もzoomミーティングを利用してオンラインで開催します。
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□要旨
台湾においては、「脱墳墓化」ともいうべき状況が進んでいる。埋葬は制限を受け、遺骨は納骨堂に納められ、また樹木葬や散骨が推奨される。漢民族の民俗生殖観では、「父骨女血」といわれるが、父系を象徴する骨-遺骨は、今や家族のなかで世代を越えて意味をもつものではないともいえる。ここには、少子化による父系をたどる継承者の確保の困難とともに、墓地を整理しようとする行政の施策が絡んでいる。台南地域の事例をもとに、伝統的な観念や慣行が劇的に変化したようにみえるこの状況を、子孫にとっての墓の意味づけ、日本統治期の墓地整理に着目し、理念と実践との齟齬、国家と近代化による慣習の改変を視点として考察する。
「感情」と「血」の経済
-スマトラ島ミナンカバウ村落社会における換金作物の栽培と流通をめぐって
西川慧(東洋大学・助教)
□日時:2021年11月22日(月)18:15~ (オンライン開催)
今回もzoomミーティングを利用してオンラインで開催します。
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開始の5~10分前にログインしてください。
□要旨
本発表の目的は、インドネシア共和国西スマトラ州におけるミナンカバウの人びとを対象として、新たな換金作物の買い取り価格が高騰していくなかで親族関係・社会関係がどのように変容していったのか考察することである。
発表者の調査村落では、1990年代後半から村の「共有地」を利用してガンビールと呼ばれる換金作物の耕作が行われている。ガンビールの買い取り価格は2010年代から高騰し、利益を求めて多くの人びとがガンビール耕作に参入していった。現代インドネシアの共有地をめぐる先行研究では、その共同性を強調する理念にもかかわらず、実際には生産手段の私有化と、その不均等な配分のために非人格的な資本主義的関係が出現していることが論じられている。しかし、調査村落で見られたのは、仲買人から生産者への融資と母系親族関係を中心とした紐帯で結びつくパトロン=クライエント関係の拡大であった。
このようなパトロン=クライエント関係は、東南アジア農村研究の文脈ではリスク回避による生存維持の選好と、互酬性にもとづいた人格的なやり取りに特徴づけられるモラル・エコノミーの代表例として論じられてきた。しかし、調査村落で見られた仲買人と生産者の関係は、生存維持ではなく富の蓄積と消費を志向するものであった。彼らの関係を読み解くためには、人格的なモラル・エコノミーと非人格的な資本主義という二項対立から抜け出す必要がある。
本発表では、親族関係と社会関係に関する民俗観念に注目することで、現地の人びとの視点から上記のパトロン=クライエント関係を理解することを試みる。なかでも母系親族を結びつける「感情(perasaan)」という観念に注目して仲買人と生産者のあいだで行われる取引を分析する。その結果として明らかになるのは、母系親族を中心とする人格的な社会関係が富の蓄積と消費のために動員される「「感情」の経済」である。なお、今回の発表は以下の論文の内容をもとにしている。西川慧2020「「感情」と「血」の経済-スマトラ島ミナンカバウ村落社会における換金作物の栽培と流通をめぐって」『文化人類学』85(1): 22-41。
ヨーロッパの中国系新移民と次世代にみる社会統合
□日時:2021年10月23日(土)13:30~17:00 (オンライン開催)
zoomミーティングを利用してオンラインで開催します。
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□テーマ「ヨーロッパの中国系新移民と次世代にみる社会統合」
□趣旨
中国から世界各地への移住は、1978年改革・開放以降の出国政策の緩和にともない増加した。これら「新移民」のヨーロッパへの流入も、中国経済活性化のためのアジアとヨーロッパを繋ぐ一帯一路構想と相まって著しく増加し、新たな研究対象として注目されている。そして、ヨーロッパ諸国の学校において中国系の子どもは存在感を増し、移民次世代の教育や社会統合の問題を考える上で重要な存在になっている。
本フォーラムでは、第一にスペイン、フランス、ドイツ、イタリア、ポルトガル5ヶ国における中国系移民の歴史的背景を踏まえ、新移民流入によって変化する中国系コミュニティの現状を各国における現地調査に基づいて明らかにする。第二に、新移民流入によって変化する次世代への教育の現状や抱える問題、社会統合のあり方について検討する。それによって、ヨーロッパの中国系新移民とその次世代をめぐる新たな局面を明らかにしたい。
□プログラム
13:30~13:45 趣旨説明 山本須美子(東洋大学)
13:45~14:10 発表① 山本須美子
「スペインの中国系次世代にみる社会統合の特徴」
14:10~14:35 発表② 田嶋淳子(法政大学)
「イタリアにおける中国系移住者の歴史と現状――移住第2世代を中心に」
14:35~15:00 発表③ 村上一基(東洋大学)
「フランスにおける中国系第2世代の統合とアイデンティティ――ルーツを探求する高学歴の若者に着目して」
(休憩)
15:10~15:35 発表④ 布川あゆみ(東京外国語大学)
「ドイツにおける中国系移民と社会統合――ベトナム系移民との比較から」
15:35~16:00 発表⑤ 王維(長崎大学)
「ポルトガル華人コミュニティとネットワーク――華人組織の役割を中心に」
16:00~16:15 コメント 植村清加(東京国際大学)
16:15~17:00 ディスカッション
※本フォーラムは、科研費基盤研究(B)(海外学術調査)「EU における中国系新移民の子どもにみるトランスナショナリズムに関する教育人類学的研究」(研究代表者:山本須美子、2017年度から2021年度)との共催です。
過疎地域における内・外部燃料の調達にみる燃料複合利用論 ――青森県下北半島の漁村における薪燃料の再活用
田所聖志(東洋大学・教授)
□日時 2021年7月19日(月)18:15~
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□要旨
近年、自然環境の保全と鉱物エネルギー資源の生産や消費をテーマとする文化人類学的研究が国内外で増えています。このテーマの研究自体は、1980年前後のJune NashやMichael Taussigの南米鉱山労働者の研究をはじめ、以前から行われてきました。では、現代ではどのようなかたちで、このテーマを文化人類学の視点から研究できるでしょうか。今回の発表では、現代の日本の漁村における燃料調達を事例として、鉱物エネルギー資源の生産や消費を文化人類学の視点から研究する可能性について考えます。 今回の発表では、まず、地域社会の内部で生産・消費される燃料を「内部燃料」、地域社会の外部から持ち込まれる燃料を「外部燃料」と理念的に区別します。世界各地の前者の例として、薪、木炭、乾燥藁、作物のゴミ、家畜の糞などあります。後者の例は、石炭、石油、天然ガスなどです。このように整理した内部燃料、外部燃料という概念を用いて、青森県下北半島の漁村における燃料調達の事例を分析します。発表では、青森県下北半島の漁村において、1970年代以後にガソリンや灯油という外部燃料が漁業用でも家庭用でも使われるようになった一方、近年は家庭用に薪という内部燃料が再び使われるようになった事例を紹介し、外部燃料と内部燃料の複合利用状況を明らかにします。 なお、今回の発表は、下記の論文の内容を基にしています。 川上勇介・田所聖志 2021 「過疎地域における内・外部燃料の調達にみる燃料複合利用論――青森県下北半島の漁村における薪燃料の再活用」『東北アジア研究』25: 71-96。
Shucking Uncertainty: How the Pacific Oyster Guides Attention to Commodity, Climate Science, and the More-than-human Condition
Mariko YOSHIDA(Hiroshima University/The Australian National University)
□日時 2021年6月21日(月)18:15~
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□発表言語:英語
□要旨
Oyster culture forms a landscape of risks, marked by the escalating rise in intense ecological upheaval and social precariousness. These risks are exemplified as everyday encounters with and responses to unforeseen impacts caused by climate crisis on oyster larval mortality, depopulation and aging in the fisheries sector, as well as continuity and change in seafood consumption. As such, the simultaneous proliferation of these risks has given rise to new uncertainties including: ocean modeling based on climate scenarios; biotechnologies that achieve optimization for cost efficiency and high value-added products; and techno-scientific innovations in seafood safety. In my dissertation, I tackle the knowledge practices incorporated into the modes of production, circulation, and consumption of the Pacific oyster, a species endemic from Japan that presently accounts for 80% of the total world production of edible oysters. Attentive to the temporalities, materialities, and relationalities of human-nonhuman-environment interactions, I grapple with the contingent practices and multifarious ways of interspecies entanglement that constitute contemporary Japanese aquaculture. I examine how these unevenly distributed risks have been dealt with by various epistemic communities including oyster producers, marine biologists, market authorities, biotechnological venture, and how values and meanings of contemporary Japanese aquaculture have been reformulated in its trajectory of environmental and sociopolitical uncertainty.
境界をこえる相互行為
波佐間逸博(東洋大学・教授)
□日時 2021年5月17日(月)18:15~
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□要旨
この発表でわたしは、ナイル系遊牧民に焦点をあわせ、かれらの生業の基盤をなす家畜と交わす相互行為と、民族間のコンフリクトの場にたつ敵同士の相互行為をとりあげ、このふたつの一見したところでは無関係に思える相互行為どうしをむすびつけて考えてみる。 家畜は、人間の利益のため捕獲状況で増殖させられ、その生を人間は統制する――家畜をめぐる教科書的な定義にもあらわれているように、技術知を有する私たちは、自分自身を超越者とみなすことが間々ある。わたしがフィールドワークをつづけているナイル系遊牧民もヤギやウシの身体から日々の食糧をえているが、かれらの直感のなかで、家畜たちは、人間の背景にかすんだりせず、たしかにそこに「いる」という感じをただよわせている。動物界をめぐる民族分類という、カテゴリカルで分析的な思考は、人間と動物のあいだに分割線をひいている。しかし、家畜と相まみえる遊牧民たちは、種のちがい、動物の境界をこえた、いわば〈認識の手前〉で、かれらとかかわりをむすんでいる。 レイディング(家畜略奪)の場面で、異民族は敵として出会う。本来なら戦場は敵を殺し、仲間との一体性を証明する場である。しかし、かれらのライフヒストリーは、「おなじ民族である我々はおなじ民族であるがゆえに一体である」という共通理解に、敵を救う助命が亀裂を走らせていることをほのめかす。 略奪者は、命を乞う者の声に、道理をはずれた発話にさらされる。声が、対面するわたしとあなたがともにいる感覚を呼びさまし、たがいが感応する。それはまるで(言語的エイジェンシーのずっと手前で)動物がわたしの声にこたえ、わたしが動物の声にこたえるのとなにもかわりはないとでもいうかのようである。 発表では以上のような事例を提示して、動物との関係としてのエコロジーが、人間との関係としてのエスニシティを形づくる可能性について議論したい。