ベトナム村落生活の持続と変化――葬送互助慣行の歴史的考察を通じて
川上 崇さん(東洋大学アジア文化研究所)
□日時 2016年1月18日(月)18時15分~
□場所 東洋大学白山キャンパス 8305教室
(地下鉄東京メトロ本駒込駅、または都営地下鉄白山駅)
http://www.toyo.ac.jp/access/hakusan_j.html
□要旨
本発表ではベトナム北部の一村落にお ける葬送互助慣行を、1945年の革命直前から社会主義化を経て、市場経済化の定着しつつある現在までの約60年にわたり跡付け、ローカルな社会生活が如何に変化しつつ持続し、村の現在を成立させているかを報告する。ベトナム村落研究では既に、社会主義化の過程で断行された国家主導の信仰祭祀改革についての実証的解明がなされており、改革の影響は現在の儀礼実践においても色濃く見て取れることが知られている。本発表では先行研究を継承しつつも、調査村の人々の多くが社会主義化の当時を、葬送互助の断絶の時代とは見ていない点に注目する。そして、彼らの歴史認識を念頭に事例を検討し、(1)革命前からの慣れ親しんだ人間関係の在り方が、現在でも葬送互助を初め、社会生活の場での人々の行 動を強く規定していること、(2)社会主義化は、調査村においては、この規範意識を弱めることなく逆に強化したこと、(3)そして、その意識の強化が、市場経済化に伴う経済変化を背景に、現在、葬送互助実践を揺るがす大きな問題を引き起していることを指摘する。
※終了後、白山近隣で懇親会を予定しております。
ナショナル・ヒストリーを問い直す――メキシコ南部地域からのまなざし
山越 英嗣さん(早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員)
□日時 12月14日(月)18時15分~
□場所 東洋大学白山キャンパス 8305教室
(地下鉄東京メトロ本駒込駅、または都営地下鉄白山駅)
http://www.toyo.ac.jp/access/hakusan_j.html
□要旨
1980年代以降、メキシコ政府が推進してきた新自由主義的政策に対する不満は、とくに先住民人口の多い南部地域で高まりをみせている。とりわけ、村落出身の若者たちのあいだには、外資系企業と政府が結託して行う開発事業が彼らの生活を脅かし、貧困や格差の拡大を生みだしているという言説が広まっている。本発表は、2006年にオアハカ市で生じた州政府に対する民衆の抗議運動の際、ストリートアートを用いて現政権の不正を糾弾し、民衆を心的に統合しようと試みた若者アーティスト集団、ASARO(Asamblea de Artistas Revolucionarios de Oaxaca、オアハカ革命芸術家集会)の活動を対象とする。彼らは、民衆の統合シンボルとしてメキシコ革命の英雄たちを用いたことで知られる。先行研究において、これはナショナリズムの高まりを示すものとして理解されている。しかしながら、発表者は、運動参加者たちがここに、ナショナル・ヒストリーで意味づけされてきたものとは異なる文脈の意味を与えたことに注目する。
※終了後、白山近隣で懇親会を予定しております。
ヨーロッパにおける移民第二世代の学校適応
――教育人類学的アプローチ
□日時 11月7日(土)13時00分~17時30分
□場所 東洋大学白山キャンパス 8302教室(8号館3階)
(地下鉄東京メトロ本駒込駅、または都営地下鉄白山駅)
http://www.toyo.ac.jp/access/hakusan_j.html
□趣旨
今年1月フランス・パリでの預言者ムハンマドの風刺画を掲載した出版社が襲撃されたテロ事件に象徴されるように、第二次世界大戦後ヨーロッパに流入した移民第二世代の社会統合の遅れは社会問題化し、その根底には、主流社会の学校からの中退や低学力といった学校不適応に関わる問題があることが指摘されている。他方で、特に中国系や東南アジア系、インド系第二世代は多数派の子どもよりも高い学業成績を上げ、またトルコ系やモロッコ系等問題とされているイスラム系第二世代の中にも学校に適応し、社会的上昇を遂げ都市のミドルクラスに参入する者も現れている。 本フォーラムでは、ヨーロッパ諸国における移民第二世代の学校適応をめぐる実態とその背後にある要因を、教育人類学的アプローチから明らかにする。 教育人類学とは教育現象を文化人類学的視角から検討するもので、ここでは、ドイツ、フランス、イギリス、オランダの4ヶ国における移民第二世代の学校適応をめぐる実態とその要因を文化人類学的調査に基づいて、当事者のアイデンティティ形成過程、及び親やコミュニティを含む多角的視点から検討する。それによって、従来の大規模調査では抜け落ちていた点を補うだけではなく、移民第二世代の学校適応をめぐる新たな局面を明らかにしていく。
□プログラム
13:00~13:15 趣旨説明(山本須美子)
13:15~13:45 発表① 石川真作(東北学院大学)
「ヒズメット運動の思想と教育への取り組み――ドイツでの展開を参照として」
13:45~14:15 発表② 植村清加(東京国際大学)
「フランスのマグレブ系第二世代の学校経験と変化する学校」
14:15~14:45 発表③ 渋谷努(中京大学)
「パリの移民地区アソシエーションによるセイフティネト」
(休憩)
15:00~15:30 発表④ 安達智史(近畿大学)
「イスラームと教育――イースト・ロンドンの女性たち」
15:30~16:00 発表⑤ 鈴木規子(東洋大学)
「フランスのポルトガル系政治家にみる学校適応と社会的上昇」
16:00~16:30 発表⑥ 山本須美子(東洋大学)
「オランダ文氏宗親会の学業達成賞受賞者にみる学校適応の要因」
16:30~16:40 コメント 丸山英樹(上智大学)
16:40~16:50 コメント 佐久間孝正(東京女子大学名誉教授)
16:50~17:30 ディスカッション
※本フォーラムは、科学研究費事業「EUにおける移民第二世代の学校適応に関する教育人類学的研究」」代表:山本須美子[東洋大学])との共催です。
※終了後、白山近隣で懇親会を予定しております。
故郷と居住地をつなぐ―在日台湾人社会における媽祖廟建立活動―
鈴木 洋平さん(東京都市大学)
□日時 10月19日(月)18時15分~
□場所 東洋大学白山キャンパス 8305教室
(地下鉄東京メトロ本駒込駅、または都営地下鉄白山駅)
http://www.toyo.ac.jp/access/hakusan_j.html
□要旨
2013年に新宿区大久保に開かれた東京媽祖廟では、台湾や中国の人々を中心としながら、広く日本に暮らす人々を対象とした活動が進められている。日本に媽祖廟を作ろうとした試みは、東京媽祖廟が作られる以前より行われてきた。その活動の中心となってきたのが日本媽祖会であった。 本発表では、日本媽祖会による媽祖信仰普及活動と、日本での媽祖廟建立を目指した活動の推移について、初代会長であるI氏の動きを中心に紹介する。I氏の個人的な経験を活動開始の契機としながらも、廟建立を目指す活動は北港・台湾出身者/台湾在住者/華人系移民/日本人引揚者/廟候補地に関わる各地域住民といった、様々な人々を巻き込みながら展開していった。 I氏は、日本に暮らす台僑としての自分と、出身地である雲林県北港鎮との結びつきを非常に重視している。媽祖廟建立以外にも、北港に暮らす親族や地域住民とのつながる活動を積極的に進めてきた。自分の故郷である北港・台湾と、自分が暮らす場所としての日本。両者の結びつきを深めることへの意志が、I氏の媽祖廟建立活動推進の背景となっている。 媽祖廟建立活動は関係者の地域・世代を広げながら、故郷を離れて暮らす人々が、今の居住地である日本にあって故郷と繋がることを可能にする結節点として機能してきた。今後も担い手の変化の中で、彼らの活動は形態を変えながら進んでいくだろう。以上の検討を通し、複数世代にわたって活動する日本台僑研究の可能性を検討したい。
※本研究は鈴木洋平(東京都市大学非常勤講師)と前野清太朗(東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程)による
※終了後、白山近隣で懇親会を予定しております。
月経の経験を形づくる知とモノと ― 開発支援されるウガンダと、衛生大国日本の事例から考える―
杉田 映理さん(東洋大学)
出野 結香さん(王子製紙)
□日時 7月13日(月)18時15分~
□場所 東洋大学白山キャンパス 8305教室
(地下鉄東京メトロ本駒込駅、または都営地下鉄白山駅)
http://www.toyo.ac.jp/access/hakusan_j.html
□要旨
女性だけが経験する月経は、身体的な生理現象であると同時に、地域や時代よって様々な様相を示す文化的な側面を強く持つ。月経にまつわる慣習や禁忌、隠語はどの社会にも見られ、多くの社会において月経は「隠された」領域となっている。 一方、月経への対処が近年、国際的な開発アジェンダとして急浮上し公の場で語られるようになってきた。「適切な」月経の対処のためにUNICEFや国際NGOは、生理用ナプキンの配布、再利用できる布ナプキンの普及、学校トイレの改善などの活動を開始している。支援の対象は、主に学校に通う女子生徒である。しかし、文化的な側面が強く影響する月経への対処は、それぞれの慣習や禁忌、当事者の声を踏まえることが必要なのではないだろうか。 そうした問題意識から、本報告ではウガンダの農村部において、女性がどのように月経を迎え、対処し、どのようなことを怖れているのかを、具体的に見ていきたい。そして、これを一般的に開発支援で提案されることと照らし合わせながら、議論したい(杉田報告)。 また、開発支援の対象となる途上国だけではなく、衛生大国と言われる日本においても女性は月経の問題から解放されているわけではない。月経をどのように捉え経験するかは、情報や月経対処の製品、年代の影響を受けるところが大きい。日本の女性への意識調査の結果も併せて報告したい(出野報告)。
※終了後、白山近隣で懇親会を予定しております。
民俗学からフォークロア研究へ ―「人びとのヴァナキュラーな創造性」をめぐる問題を中心に―
島村 恭則さん(関西学院大学)
□日時 6月15日(月)18時10分~
□場所 東洋大学白山キャンパス 8305教室
(地下鉄東京メトロ本駒込駅、または都営地下鉄白山駅)
http://www.toyo.ac.jp/access/hakusan_j.html
□要旨
わたしはこれまで、日本列島/南西諸島/朝鮮半島をフィールドに、宮古島の村落祭祀における民間巫者の問題、沖縄における新宗教の生成、韓国の現代伝説、喫茶店モーニング文化、アジールとしての別府と伊東、地方花柳界の盛衰と文化資源化、家船とかき船、在日朝鮮系住民の「生きる方法」、引揚者が生み出した戦後の社会空間と文化、などについて研究してきた。これらは、一見、そのときどきの興味に従った、脈絡がバラバラな研究の群れのように見えるかもしれないが、そうではない。これらの研究には、「人びとのヴァナキュラーな創造性」の追究という一貫した問題意識が存在している。 ここでヴァナキュラーとは、「オーソリティとは異質の、もしくはオーソリティによるコントロールが困難な(場合によっては不可能な)創造性」をさす。日本でも、イリイチのシャドウ・ワーク論や、建築学における「ヴァナキュラー建築」を通して「ヴァナキュラー」は知られているが、現在、北米のフォークロア研究や文芸批評においては、さらに広い文脈で、社会・文化のあり方を批判的に捉え、再構想してゆく際の鍵概念としてヴァナキュラーがさかんに用いられるところとなっている。 本報告では、わたし自身のこれまでの調査データを吟味しながら、「人びとのヴァナキュラーな創造性」について検討するとともに、近年、取り組んでいる民俗学の再文脈化=フォークロア研究の構想、について説き及ぶ予定である。
※終了後、白山近隣で懇親会を予定しております。
ソロモン諸島の村落内紛争にみられた応報的正義と修復的正義 ――「互恵」と「共感」はどのような形で具現したか
竹川大介さん(北九州市立大学)
□日時 5月18日(月)18時10分~
□場所 東洋大学白山キャンパス 8305教室
(地下鉄東京メトロ本駒込駅、または都営地下鉄白山駅)
http://www.toyo.ac.jp/access/hakusan_j.html
□要旨
本発表では、人間の道徳性の起源に関する進化論的な議論をもとに、フィールドでえられた紛争の事例を分析する。 これまで文化人類学は多数の文化の多様な価値観を明らかにしてきた。しかし一方で異なる宗教や個別の正義観に通底する道徳の普遍性に対する関心は、文化相対主義の中に埋もれてしまっている。 たとえばこうした道徳の文化的多様性の問題は、言語の文化的多様性と対比させるとわかりやすいだろう。すべての人間文化が言語を持つことから、生成文法のような普遍特性の存在を仮説立てられるのと同様に、個別文化の正義のありかたがいかに奇異なものであっても、その枠組みには進化論的な起源を持つ共通の普遍性があるのではないかという視点は可能である。 例えば霊長類学者フランス・ドゥ・ヴァールは、「互恵」と「共感」をモラルの生物学的なふたつの柱と呼んでいる。本論では紛争解決における正義の実現の際に、この「互恵」と「共感」がどのように現れるかに注目する。互恵とは、公平さを求めるもので、相手との利害判断に関連する情動である。一方で共感とは、信頼や利他性に関連する情動である。 ところで「正義」という言葉は、英語の Justice の訳語であり、日本語では別に「司法」と訳される場合がある。近年、司法の世界では、刑罰による応報的な司法に対し、被害者の救済および加害者の再犯防止や社会復帰の観点から修復的司法が関心をあつめている。修復的司法は個人の犯罪だけでなく、たとえば大量虐殺など取り返しがつかない国家的犯罪などに対する贖罪にも用いられている。この法学の世界での応報的正義と修復的正義のふたつの概念は、先に挙げた(因果応報的)互恵と(関係修復的)共感の対比と重なる。 さて、ここからソロモン諸島でイルカ漁を行うF村で観察されたふたつの事例を元に、紛争解決にみられた互恵性と共感性に焦点を当て、社会的な応報と修復がどのように進行したかを検討していきたい。 ことの顛末と詳細は発表の中で述べるが、ふたつの事例において、村の関係者たちがとった方法は、近代西洋的な司法判断(正義)に慣れている私を十分に驚かせるものだった。つまり予想もつかない利他行為によって彼らは紛争の解決を図ったのである。 それは正義の応酬を巧みに回避し、過ちを犯した相手を罰するのではなく逆に許しを請い、解決のおとしどころを模索するというやりかただった。しかし彼らの説明を受け、そのあと起きたことを考えると、決して奇異な解決方法ではなく、わたしたちにも十分に理解できる普遍性を持っていた。 これらの事例から、村人たちが巧みに互恵性を操作し、相手との共感性を基盤とした道徳を利用していることが示される。
※終了後、白山近隣で懇親会を予定しております。