回 専門家インタビュー Mar. 2021

2050年の脱炭素化社会の実現のために必要なこと

竹内  2050年の脱炭素化社会の実現に向けて、技術的なブレイクスルーやイノベーションの期待や展望についてお伺いしたいと思います。お話のなかに、フラックスデータを国際社会や世界的なデータベースに発信していくとありましたが、集積したビッグデータの解析やモデルの分野での展望はありますか。


三枝  基本的に気候の将来予測などのモデル開発の発展は、ある時突如イノベーションが起こってガラリと変わるものではなく、5年10年経って後ろを振り返ると以前よりはアップデートされている、といった地道なものですが、世界でここ10年ぐらいで大きく進んだのはデータ同化という技術です。これは、天気予報では既に実用化されています。例えば、「6時間後の天気」の予測では、世界の気象機関が観測した過去のデータを良く再現する地球規模のモデルを用いて数値計算をして行います。この時、6時間経つと実際の観測データも入手できるので、実際の観測データとモデルの予測値の間でのズレが生じていることが分かります。そのズレを解析して、元のモデルの様々なパラメータを微小に修正する作業がデータ同化です。その修正はランダムではなくて、流体力学などの手法を用いて修正していくのですが、その技術は結構難しくて、気象学でも10年も20年も30年も試行錯誤して、モデルを改良した結果、天気予報にも使われるほどに発展した経緯があります。現在、大気分野と海洋分野が連携し、海の表面の温度や海に吸収される二酸化炭素量を予測し、直ぐに観測データを取り込んでパラメータを修正し、また予測することについて研究が行われています。国立環境研究所のグループとJAMSTECは、大気の二酸化炭素と陸域の二酸化炭素の吸収・放出に関してのデータ同化の技術の改良を進め、地球全体の温室効果ガスの予測をこれまでにない正確さで行うすることに挑戦しています。目的は、近未来(例えば10年後まで)の温室効果ガスの人為起源や自然起源の排出量や吸収量を数値化することです。なぜなら、10年後にどれだけ私たちが対策を強めなければいけないかをはっきりと計算して示したいからです。予測値の確度が低いと、例えば、10年経ってみたら「これだけ対策すれば大丈夫って言ってたのに出来ていない」といったことになりかねません。できるだけ正確に10年先を予測し、その予測値に基づいて対策したら「予測の通りに本当に地球の気候が安定化していますよ」という姿を見せることを目指しています。

    また、データ蓄積については、温室効果ガスの予測の計算のためには、世界中でできるだけ観測データがない地域がなるべく存在しないことと、世界中のデータを出来るだけ早くモデルに取り込めるような仕組みが必要です。そういう意味で、基本的な観測ネットワークは重要ですし、その観測ネットワークからほぼ準リアルタイムでデータが使えるようにデータを流通させる仕組みが必要です。また、それと同時にデータの質が揃っていることも必要です。すごい高精度のデータがある一方で、観測誤差の大きいデータがあると良くないんですね。ですので、世界全体の観測技術のレベルアップも必要なので、データの質の低い地域やギャップ地域でのキャパビルも含めて取り組んでいるところです。


竹内  地球観測データと社会システムのデータを併用して、今後の社会の将来像のシナリオの検証を行っていくことも必要かと思いますが、三枝さんのグループでは社会分野の方などと共同してそのような研究は行っていますか。


三枝  地球システム領域では、気候変動影響の予測をする際に、大気や海洋などの物理化学的な物質の循環だけではなく、土地利用変化や経済シナリオを含めた研究も進んでいます。例えば、森林から農地への土地利用の転換が進むと、水資源が枯渇するので食糧の価格が上がり、温室効果ガスの排出という意味でも森林吸収源がなくなるので排出が加速されてしまうとか、それに関連するような家畜の頭数とかを計算したりしています。他にも、世界の研究では、森林から牧草地へ変える場合と変えない場合で食糧システムがどのように変化するかや、最近ウシやヒツジなどの動物がメタンを出すのに重要な役割を果たしてしまっている背景をふまえて、世界の肉の消費が大きい地域で一人当たり牛肉を食べる頻度を下げるとメタン発生がどのように変化するかとかなどの研究もあります。さらに、植物由来の食糧を多く生産・消費することで、健康にもいいし温暖化のためにもいいといったシナジーが生まれるなどのシナリオの検証の研究も増えています。


竹内  脱炭素社会などの未来の社会像への転換のためには、まずその背景や重要性に関して国民の認識を上げることも必要です。こういった研究成果を上手く発信できれば、理解も深まりますし、今後私たち一人一人が食べ物や住環境などのライフスタイルを選択するときの手がかりになると思います。生物多様性分野でも、愛知目標[14]の目標1[15]で生物多様性に関して社会の認識を上げることが目標となっていましたが、なかなか大きくは変わらないというのが現状です。一方、気候変動問題に関しては、現在は多くの人に理解を得られていますよね。社会の認識を変えることに関して、何かいい方策はないでしょうか。


三枝  そこは難しいですよね。気候変動の問題の認識に関しても、日本はまだ十分ではないと思います。例えば、太平洋に浮かぶ島々にすむ人にとっては、100年後に自分の町は存在しないかもしれない、といった切迫感があるので気候変動問題は重要ですが、日本だと「北海道では暖かくなるとコメの生産量が上がるなどのメリットもある」という意見もあったりと、それほどの切迫感で捉えられていない所があるので、もうちょっと頑張る必要があります。やっぱり自分が生活している場所だけではなく、世界の色々な所の状況について想像力を働かせることが必要なんだと思います。例えば、東南アジアのボルネオ島ではすごい勢いで森林からオイルパームに変わっていますよね。飛行機から見るとなんか星形の金平糖みたいな植物がいっぱいあって、なにこれって思ったらオイルパームだったりとか。私たちもパーム油を日常的に使うので、消費に加担しているという感覚をもっと持ってほしいと思います。世界は自分の目で毎日見えている場所だけではないこと、消費している製品はどこからきたのか、といったことに想像力を働かさせるような情報の出し方を、私たちがもっと頑張る必要があるのかもしれません。あとは、メディアを通じて多くの人に「生物多様性問題っていうのがあるんだ」というのを継続的に訴えていくのが重要だと思います。なんで私たちが生物多様性問題に対応しなくちゃいけないのか、というところに結びつくような情報の出し方ですかね。脱炭素も全然そこはまだ足りないです。最近のSDGsの浸透は、それなりの人数の方が戦略的に宣伝を頑張ったからだと思いますが、やはりある程度の人的資源を投入しないとなかなか世の中は変わらないのかもしれませんね。

[13] データ同化 地球科学分野などにおいて、モデルの再現性を高めるために行われる作業で、 簡単に言えば、モデルに実際の観測値を入力してより現実に近い結果が出るようにすることを指す。

[12] 2010年に名古屋市で開催された生物多様性条約(CBD) 第10回締約国会議(COP10)において地球上の生物多様性を保全するための国際的な目標である「愛知目標」が採択された。

[14] 目標1「遅くとも2020年までに、生物多様性の価値及びそれを保全し持続可能に利用するために取り得る行動を、人々が認識する。」

愛知目標(20の個別目標) | 生物多様性 -Biodiversity- (biodic.go.jp)