回 専門家インタビュー Mar. 2021

国立研究開発法人国立環境研究所 地球システム領域長  三枝 信子 さん


専門は気象学、陸域炭素循環。日本・アジア・地球規模での炭素循環、水循環、温室効果ガスの長期的濃度変動メカニズムとその地域特性を研究。IPCCでは土地関係特別報告書第6章「砂漠化、土地の劣化、食料安全保障及び温室効果ガスフラックスの間でのインターリンケージ」の代表執筆者を務めた。筑波大学生物科学系助手、産業技術総合研究所主任研究員等を経て、2008年から国立環境研究所に勤務、2018年から地球環境研究センターセンター長、2021年より現職。



インタビュア:竹内やよい(国立環境研研究所 生物多様性領域 主任研究員)


低炭素社会から脱炭素社会へ:研究動向と社会ニーズ進展の背景

竹内  パリ協定[1]以降、世界は「低炭素化」から「脱炭素化」へ方向転換し、日本でもこの数年で「脱炭素化」への流れが加速しています。「低炭素」から「脱炭素」への移行の背景や研究動向についてお話をお聞かせください。


三枝  まず研究動向ですが、地球温暖化は15年前には既に重要な課題になっていたので、国立環境研究所では2006年から地球温暖化の現象解明や気候の将来予測について研究する「地球温暖化研究プログラム」[2]を開始しました。その後、2016年には長期的な温室効果ガスの排出削減に関する研究プロジェクト[3]が始まりました。さらに最近では、社会の脱炭素化と「2050年カーボンニュートラル」の必要性がより高まっています。その要請を受けて、今年度から、社会システム領域が中心になって「脱炭素・持続社会研究プログラム」が立ち上ります。このように、最近5~10年ぐらいで、社会のニーズも、研究者の感覚も、「低炭素」から「脱炭素」へ大きく前進したと思います。温室効果ガスの排出削減の必要性は以前から言われていたにも関わらず、なぜ最近社会のニーズや国民の関心が高まったかというと、2018から2019年の間に、IPCCの1.5℃特別報告書[4]、海洋・雪氷圏特別報告書[5]、土地関係特別報告書[6]が続けて出版されたことが一つのきっかけになったと思います。それまでは、気温上昇を 2℃までに抑えることが目標であると言われてきたわけですが、1.5℃を目標にしないと、島嶼国では高潮・高波が増える、雪氷もどんどん減るなど、気候変動による被害が増大することの証拠が世界中から上がってきました。また、2019年頃にはスウェーデンのグレタさんのような若い人達が中心となり、気候変動対策の実施を求めるという世論が非常に高まったというのが、ここ数年の大きな動きです。このような背景から、環境省でも脱炭素化、2050年カーボンニュートラルの実現に向けた動きが急加速していますし、私たちも環境省の下の研究所なので、色々やらないといけないところです。


竹内  IPCCの特別報告書などによって「脱炭素」の必要性が見えてきたということですね。気候変動分野の研究と国民の理解が進んだ要因とは何でしょうか。


三枝  一つのきっかけは科学的知見の蓄積にあると思います。今は、多くの人が「地球温暖化が進行し、気候変動の弊害が見えつつある。これをなんとかしないといけない。」と考えているところだと思いますが、以前はそうではありませんでした。IPCCがノーベル平和賞を取った2007年の前くらいまで、温暖化懐疑論・否定論と言われる議論も見られ、地球が人間活動の影響を受けて温暖化していること自体、研究者もそれほど自信を持って語っていませんでした。気候の将来予測を行うモデル研究では温暖化の予測は出てくるけれど、観測事実としてモデルの結果を十分に証明できていると言えないところも多々あったので、人間が温室効果ガスを出せば大気中の濃度が増えることは明らかだが、それが何年頃までに何℃の気温上昇を引き起こすかといった予測を出して、信頼性のある方法で国際的に発信することを、研究者はまだ十分にはできていませんでした。だから、「温暖化すると大変だぞ」という研究者と、「どのくらい温暖化するかはわからない。まだ証拠が足りない」という研究者がいて、意見がひしめき合っていました。しかし、世界中の気候モデル研究者たちが、一生懸命何度もモデルの比較実験などを行って、モデルの信頼性を上げて不確実性の幅も考慮しながら評価を行い、世界中の研究者を集めてその研究成果をまとめるIPCCのような報告書を出版する取り組みを続けました。IPCC第4次評価報告書[7]、IPCC第5次評価報告書[8]が、数年から7~8年に1度出版され、「人間活動の影響で気候がこれだけ変化しているらしい」ことが科学的に示されることで、温暖化の進行について説得力を持って言えるようになりました。ここ10~20年ぐらい、そういった科学的理解の進展が大きかったんだと思います。


竹内  気候変動問題が社会に浸透した背景には、世界中のたくさんの研究者が気候変動問題に取り組み、その科学コミュニティが発展し、さらにIPCCのような科学と政策とのインターフェースを通じて社会に発信したことがあったのですね。


三枝  そうですね。研究者の数やバックグラウンドの多様性というのもあると思います。研究者はどんな分野でも色んな国にたくさんいると思いますが、IPCCは先進国や途上国からできる限り偏りのないように執筆者を集めて、東西南北様々な立場の人の文献もとり入れようとしています。そして、出来るだけ科学的に透明で、わかりやすい文章と図表で報告書を作り、それを各国の政策決定者が理解できるような形で届けるように、その時の最善の努力をしています。これは本当に頭が下がります。これに関わった、何十人ものリーダーの人たちが頑張ってきたのは大きいと思います。


竹内  科学者の中でも温暖化懐疑論がある中で、科学的エビデンスをどんどん積み重ねて「温暖化は進行している」という結論に合意を取るプロセスにも大きな苦労があったのではないかと思います。気候変動分野にも様々なバックグラウンドの研究者がいるとおっしゃっていましたが、そのなかで議論を積み重ねて一つの報告書をまとめていくのはやっぱりまとめ役のリーダーシップが大きいのでしょうか。


三枝  そうですね。それは大きいです。例えば、IPCCの特別報告書の中でも一番新しい土地関係特別報告書では、気候の専門分野だけでなく農業、森林、社会システム、食糧システム、すなわち食糧の生産・流通・消費、食品ロス・廃棄物・排出物に関係する分野といった多様なバックグラウンドの研究者が参加していたので、一つの報告書にまとめるのは非常に大変でした。全部で7つの章があり、各章に10数名の多様な国の出身の執筆者がいました。私が参加した章では、最終的にまとめる共同議長の役割を担う2人のリーダーがいて、1人はイギリスの方でもう1人はアフリカの方でしたが、2人とも議長の能力が高い方でした。こういう方向にまとめるという大きなビジョンは本人の中にあるんですけど、そこに色んな人が色んな意見を入れてくるので、それをうまくバランスとりながら、多くの人の意見を盛り込みつつも最後はこの内容でいく、という方向にまとめる求心力があり、こういったリーダシップが必要だと思いました。

[1] 2015年12月にフランスのパリで開催された第21回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)で採択された2020年以降の温室効果ガス排出削減等のための新たな国際枠組み

[2] https://www.nies.go.jp/kenkyu/gaibuhyoka/h22/h22-1-1.html

[3] 低炭素研究プログラム https://cger.nies.go.jp/ja/lowcarbon/


[4] IPCC(2018)1.5℃特別報告書:気候変動の脅威への世界的な対応の強化と、持続可能な発展及び貧困撲滅の文脈のなかで、1.5°Cの気温上昇にかかる影響、リスク及びそれに対する適応、関連する排出経路、温室効果ガスの削減(緩和)等に関する特別報告書。温暖化の影響は1.5度の上昇でも大きいが2度になるとさらに深刻になり、わずか0.5度の気温上昇の差で温暖化の影響は大きく異なると警告し、1.5度未満の抑制が必要であると訴えている。

概要 http://www.env.go.jp/earth/ipcc/6th/ar6_sr1.5_overview_presentation.pdf


[5] IPCC(2019)海洋・雪氷圏特別報告書:海洋・雪氷圏に関する過去・現在・将来の変化、並びに高山地域、極域、沿岸域、低平な島嶼及び外洋における影響(海面水位の上昇、極端現象及び急激な現象等)に関する新たな科学的文献を評価した報告書 

概要 http://www.env.go.jp/earth/ipcc/special_reports/srocc_overview.pdf


[6] IPCC(2019)土地関係特別報告書:陸域生態系から排出・吸収される温室効果ガスフラックス、気候への適応及び緩和、砂漠化・土壌劣化防止と食料安全保障に資する持続可能な土地管理に関する科学的知見を評価した報告書 

概要 http://www.env.go.jp/earth/ipcc/special_reports/srccl_overview.pdf


[7] IPCC (2007) 第4次評価報告書: 地球温暖化に関する科学的・ 技術的・社会経済的な評価、最新の科学的知見をまとめた報告書。温暖化は疑う余地がなく、原因は人為起源の温室効果ガスの増加によってもたらされた可能性がかなり高いことを指摘した。

(概要 https://www.env.go.jp/earth/ipcc/4th/ar4syr.pdf


[8] IPCC (2013) 第5次評価報告書:大気と海洋の温暖化、雪氷の減少、海面水位の上昇、温室効果ガス濃度の増加が進行していること、20世紀中盤以降の気候変化は温室効果ガス排出などの人間活動の影響が支配的な原因である可能性が極めて高いことを報告している。

(概要 https://www.env.go.jp/council/06earth/y060-121/y060-121%EF%BC%8Fmat03.pdf