フィリピンでは大規模なプランテーションだけではなく、自給用もしくはローカルマーケット用の小規模なバナナ栽培も見られます。「フィリピン・ミンダナオ島のバナナと栽培文化」のページではフィリピン全体のバナナの栽培、品種、流通、利用などについて紹介しましたが、このページではある一つの民族のローカルな利用に焦点を絞ってみたいと思います。
フィリピンは多数の島々から成り立っていて、民族構成は複雑です。海を介した人々の移住の歴史を持ち、ひとつの島の中でも平地と山地などで複数の民族が存在する場合も見られます。そこにはさまざまな文化を持った人たちが生活しています。
このページでは、フィリピンのローカルなバナナ栽培文化の一例として、ミンドロ島の山地民タジャワン(The Tadyawan)の人びとのバナナ栽培と利用について紹介したいと思います。
ミンドロ島はマニラから南に160kmのところにある、四国の半分程度の大きさの島です。海岸部を除くと、大半は山で占められています。人口はおよそ106万人です。
ミンドロ島の海岸地帯には、タガログ、ビサヤなどのマレー系キリスト教民が住んでいます(宮本 1986)。一方、山岳地帯には7つの原マレー系山岳少数民が住んでいます(小幡 1994)。タジャワンもその一つです。これらの7つのグループを総称してマンヤンと呼ぶこともあります。これまでの説では、原マレー系の人々が南方からミンドロ島に渡ってきて、海岸地帯に住み、後に移住してきたマレー系低地民に徐々に山の中に追い込まれていったとされています(宮本 1986)。実際 低地キリスト教民は歴史的にマンヤンの土地を略奪しつづけてきました(小幡 1994)。そのような中で、マンヤンは低地民に同化することなく、独自の文化と社会を守ってきました。
私たちはタジャワンの一つの村に滞在しました。80年代から彼らの生活は大きく変わりました。低地キリスト教民との接触が進む中で、キリスト教を受容し、学校教育を受け、低地のマーケットで交易をして現金収入を得るようになりました(小幡 1999)。このような変化は90年代にさらに進み、バナナが重要な現金収入源となっています。彼らの生業経済では焼畑農耕が最も重要で、他に、狩猟と漁撈に従事しています。
(伝統的なタジャワンの焼畑農耕については小幡(1990)を参照してください)
タジャワンのもともとの農業の形態は焼畑農耕でした。森の伐採のあと火入れをして、植付けし、収穫後、森に戻るまで放置して、また伐採するというサイクルで農耕をおこなっていました。しかし、現在では土地不足および現金収入源の必要性が強くなったことによって休閑期間が短縮しているようです。少なくとも村から数時間で歩いていける範囲では森はほとんどありません。
村の周りの土地の多くはバナナの常畑となっています。最初は焼畑として始まっているのでしょう。土地の一部にはキャッサバ、トウモロコシ、タロイモ、サツマイモなども植えられています。
バナナの栽植密度は930本/haで、アフリカの焼畑農耕の場合と大差ありませんが、ミンダナオ島のlakatanのプランテーションの半分以下になっています。これは肥料を投入していないのですから当然でしょう。
村では16の地方品種を聞き取ることができました。しかし、実際に栽培されている品種は限られています。最も頻繁に見られるのはbangaran(lakatanのここでの名称)とsabaで、町のマーケットと違いはありません。
現在の村での主食は米で、バナナは副食です。bangaranなどは生で食べますが、sabaは料理をして食べます。最も簡単なものは未熟の実を単に蒸し煮したものです。
作ってもらったバナナ料理にsokolobというものがありました。これはタガログ語でtaklobという料理で、伝統的なフィリピン家庭料理といったものでしょう。まず、sabaの皮をむき、厚めに輪切りにしてさらに4等分します。タロの若いイモ、芋茎、タロの葉、ニンニク、タマネギも切っておきます。これらをすべて中華鍋に入れて塩とココナッツミルクをふりかけ、ふたをして、火が通ったら出来上がりです。味はかなりあっさりしていて、ココナッツミルクの味がわずかにしてとてもおいしいです。街のレストランで食べる料理ではかなり濃くて刺激的な味付けになっているものが多いのですが、もしかすると、中国やスペイン、イスラムなどの影響を受ける前は、このような素朴な味の料理がフィリピンでは主流だったのかもしれません。
sokolob
現在、バナナの買い付け人が毎週土曜日に村までやってきます。土曜日には山から農民が背中で担いで、もしくはボートや水牛を利用して大量のバナナが集落まで運ばれてきます。
買い付け人は商人の役割も果たしていて、バナナを売った人はそのお金ですぐに欲しいものを購入するか、すでに付けで買っていた商品の代金を支払います。
バナナの値段は低地(カラパン)やマニラの値段に比べるとかなり安いです。1kgのbangaran (lakatan)の値段は8ペソくらい、1kgのsabaの値段は4ペソくらいで、マニラの1/4~1/5、カラパンの1/3に過ぎません。これらのバナナは業者によってマニラまで運ばれ、販売されます。
現在、彼らのバナナ栽培はさまざまな問題を抱えていると思えます。一つは畑のかなりの部分が常畑に近くなっていることです。このような農耕がどれだけ持続的なものなのかはより詳細な農学的調査が必要ですが、今後、土壌の疲弊とともに農業生産および現金収入が伸び悩む可能性があります。将来、持続的な農法の指導なども必要になってくるかもしれません。
彼らが業者に売るバナナの値段が安いことも彼らの生活の向上にとっては問題です。値段をより有利なものにするには、タジャワンの人たちが直接バナナを町まで輸送するといったように、流通の面までかかわることが必要です。輸送用のトラックを購入し、共同出荷すれば、マニラやカラパンでの値段を考えると、今よりも大きな利益を上げることができそうです。
けれども、現状ではこれは困難です。マンヤン・ミッションの神父さんがこれについて話をしてくれました。マンヤン・ミッションとはマンヤンに対して布教活動をおこなっている教会で、マンヤンに対するさまざまな援助に関与しています。彼が言うには、車の購入資金はNGOなどの援助を受ければ手に入るかもしれませんが、タジャワン自身で車のメンテナンスをすることはできないので、彼らだけで継続的に車の運用をすることはできないでしょうということでした。また、取り引きをするには経済的なセンスが必要となりますが、市場経済にそれほど親しんでいないタジャワンの人たちにはなかなか大変でしょう。それが幸せに結びつくのかどうかはわかりませんが、学校教育を受けて、低地の社会に出て、市場経済の仕組みに慣れていく必要があるのかもしれません。
非現実的かもしれないですが、一つの方法として考えられるのは、日本のNGOと彼らがフェアトレードをおこなうことです。フィリピン国内で最も安い値段でバナナを買い叩かれている人たちがこの山岳少数民族の人たちなのです。彼らから正当な値段でバナナを買うことが最もフェアトレードの精神に適っているように思うのですが、どうでしょうか。しかし、現実にこれをおこなうとしたら多くの困難が伴なうでしょう。なかなか難しい問題です。
タジャワンはフィリピンにおいて交通の便、市場経済、行政などの面において、最も周辺部に位置している民族です。彼らはこれまで独自の文化を維持してきましたが、現在では外部社会とのいろんな関係を持ちながら生活をしています。マニラまで至るバナナの流通はタジャワンの村まで及んでいて、そこから得られる現金収入は彼らの生活にとって非常に重要です。彼らのバナナ栽培もそれに影響されて、休閑期間が短くなり一部常畑化したり、栽培する品種が販売用品種に集中するようになってきました。彼らがバナナの取り引きに力を持ち、もう少し彼らにとって有利な値段になることが望ましいと感じました。その方策としてフェアトレードを一例としてあげてみましたが、しかし、現実的には難しいです。
現在、彼らにはさまざまな援助がおこなわれています。私たちの調査時にもいくつかありました。何とか彼らの社会や文化に急激な変化を引き起こすことなく、市場経済に適応していく道はないのでしょうか。
-参考文献-
宮本勝 1986 『南島文化叢書8 ハヌノオ・マンヤン族-フィリピン山地民の社会・宗教・法』第一書房。
小幡壮 1990 「タジャワンの協同労働組織-フィリピン・ミンドロ島焼畑農耕民の事例研究」『南方文化』第17号、p.73-92。
小幡壮 1994 「「内なる世界』と「外なる世界」-東南アジア社会の変化と伝統」『和光大学人文学部紀要』第29号、p.121-134。
小幡壮 1999 「供犠してともに食らう-タジャワンの共食儀礼」『国際関係学双書16 ことば・文化・社会』静岡県立大学国際関係学部