タンザニア東部ザンジバル北部州

におけるバナナ栽培文化

【1】はじめに

 ザンジバルは人口61.2万人のウングジャ島と同39.2万人ペンバ島の2島を中心としたインド洋上の島嶼部です。[今日ではウングジャ島を指して、ザンジバル島と呼ぶことがあります。]1890年にイギリスの保護領となったザンジバルは、1963年に独立を果たしたのち、翌64年にタンザニアと合邦してタンザニア連合共和国の一部となりました。ウングジャに最初に定住したとされるのはバントゥー系の人びとであり、複数のグループが9世紀ころには本土から移り住んでいたものと考えられています 。トゥンバトゥ(Tumbatu)と呼ばれる人びとは当初、ウングジャ島の北西に位置する小島(トゥンバトゥ島)に定着し、その後に一部がウングジャ島に渡り、おもに島の北部に定住したとされています。

 一方で、遅くとも1世紀にはアラブの沿岸地域から人びとが季節風を利用して東アフリカ沿岸部まで航海していたようです。その後11世紀末ころまでにはアラブ系の人びとも定住するようになったと考えられています。以降、インド洋交易が反映していくなかで、ウングジャを含めた東アフリカ沿岸部一帯はアラブの影響を強く受けイスラム化していきました。19世紀前半には、インド洋交易に携わっていたオマーン人商人によってクローブ(丁字)がウングジャに導入され、1860年代にはクローブが象牙に次ぐ外貨獲得源となっていました 。これらクローブのプランテーションで過酷な労働に従事していたものの多くは奴隷でした。ザンジバルはインド洋交易を通じて多くの奴隷をインド亜大陸やアラビア半島に送りだしており、19世紀の最盛期には奴隷取引に関してアフリカ最大の市場ともなっていました。奴隷の多くは、交易商人のキャラバンによって本土から連行された人びとであり、1873年に取引が禁止されるまで、ザンジバルから年1~2万人の奴隷が送りだされていたといいます(富永 2001)。こうしてウングジャ島はもともとの居住者であるバントゥー系住民、そしてインド系やアラブ系住民に加えて、本土からのアフリカ人移民を多く取り込むこととなりました。

 ザンジバルのバナナに関しては、遅くとも12世紀にはすでに重要な食料であったことがアラブの地理学者・イドリースィー(al-Idrisi)の記録に残されており(Rossel 1998)、アラブあるいは東南アジアからの航海者らによってそれ以前にもたらされていたことは確かなようです 。[ペンバ島北部の森林保護区には、バナナの野生種(Musa acuminata AA)の群落が残っており、その周囲で生育していたヤシ等の植物種は東南アジアに自生する種との類縁が認められています。この野生種についても東南アジアから人の手を介して運ばれてきた可能性が高いと考えられます。]また19世紀末にはバナナがザンジバルでもっとも重要な副次産品であったと報告されており(Prins 1967)、今日でもザンジバルはモロゴロ州と並んでタンザニア東部で有数のバナナ生産地とみなされています。一方でイギリス植民地時代に他の熱帯作物とともにさまざまなバナナの品種がザンジバルにもたらされており(Rossel 1998)、そのうちいくつかは今日までに一般的な栽培品種となっています。

 調査はウングジャ島北部のDonge周辺の農村で実施しました。人びとはスワヒリ語を唯一の母語としており、また大多数がイスラム教徒です。生業は農業が主で、主食作物としてコメやキャッサバ、トウモロコシ、バナナ等を栽培しています。またランブータンやレンブなどといった東南アジア原産の果樹も村内でみられました。村の周辺は概して海抜30m未満の低地であり、起伏は少ないといえます。島中部の気象データによれば、年間の平均最高気温は30.0℃、同最低気温は23.9℃ですが、年間を通じて気温の変動は大きくありません (土屋ら 1972) 。またこの地域は3月半ばから5月にかけての大雨季(masika)に年間の降雨の半分以上が観測されますが、一方で完全に降雨のない時期はみられません。年間の平均降雨量は1400mmあまりです。


【2】ザンジバルにおけるバナナ栽培

 調査村のほとんどの世帯は、畑地(shamba)と家屋周辺の屋敷畑(bustani)の両方で農耕を営んでおり、バナナはどちらの場所でも栽培されています。これらの特徴はタンザニア東部のルグルの場合と共通しています。畑はおもに、家屋からある程度離れたところに開かれており、ここでは主食として重要なイネやキャッサバ、または換金作物であるクローブやココヤシ、カルダモンなどが単作、もしくはそれに近い状態で栽培されています。調査村ではバナナを単作で栽培することは少なく、畑地でも畝間や隅で小規模に栽培されている場合が多くみられました。一方の屋敷畑ではタロやトウガラシ、マンゴー、ココヤシなど、多様な作物や樹木が一般に混作されており、ここではバナナの栽培頻度も高くなっています。屋敷畑にはあらゆるタイプのバナナが植えられますが、とくに新たに導入した品種についてはまず屋敷畑に栽植されることが多いといいます。これに関しては屋敷畑のほうが家に近く、概して規模も小さいため、より世話をしやすいという理由が聞かれました。

 バナナ(スワヒリ語で植物体は'mgomba'、フルーツは'ndizi')の植付けには、草高1mほどの吸芽が用いられます。雨の多い時期に植付けるのはバナナによくないと考えられており、比較的雨の少ない8~11月頃にかけて移植されることが多いといいます。鍬を用いておよそ50cmの深さの植え穴を掘り、ここに有機肥料を適量土壌と混和させてから吸芽を植え付けます。このような力仕事は基本的に男性が担っています 。肥料資材としては鶏糞や草わらが一般的で、あまり入手できないため牛糞の施用はまれです。調査地域では従来肥料が用いられることはなく、家畜糞などが作物の栄養になることがあまり知られていませんでした。近年になって施肥が徐々に実践されるようになり、今では養鶏場から鶏糞を買い付ける農民も出現しています。

 また調査地域では90年代後半になってバナナの病虫害が発生するようになり、シガトカ病とパナマ病の2種がそれぞれの罹病性の高い品種に大きなダメージとなっています。パナマ病に対しては肥料を土壌とよく混ぜて与えることで防除するという農民がおり、施肥が病害防除とも関連して普及している可能性もあると思われます。村の農業普及員によれば、バナナを収穫する際に偽茎を地表1mほどの高い位置から切っていることが病虫害の防除になっているそうです。


【3】ザンジバルのバナナの種類

 調査村では27の地方品種を観察しました。そのうち東アフリカ高地系バナナ(AAA)と考えられる品種は、70年代末にタンザニア北西部からもたらされたというものが1品種観察されたのみでした。ウングジャのバナナは遺伝子型の多様性が高く、そのなかでもバルビシアーナとの交雑3倍体の割合が高いのが特徴です。とくに、ウングジャではプランテン7品種以外にも、おもに生食されるAABの品種が3種類観察されました。アフリカ大陸部ではプランテン以外でAABの遺伝子型を有するバナナは少なく、この結果はむしろ東南アジアに近い傾向といえます。栽培頻度の高い品種をみても、'mzuzu'や'kijakazi'(いずれもAAB)、'koroboi tungu'や'bukoba'(いずれもABB)といった交雑3倍体の品種が中心であり、これはウングジャのバナナ栽培文化の大きな特徴といえます。

 聞き取りによると、観察した27品種のうちAAの全4品種をはじめとした16品種は古い品種であり、導入時期が不明でした。一方で他の11品種は20世紀後半以降に村に導入されたと考えられているもので、とくに交雑3倍体の品種が8品種を占めていました。また方名の由来について検討すると、17品種の方名のうち、植物体の外観形質に関連して与えられた方名が半数以上の12を占めました。例えば、わい性品種(ドワーフ・キャベンディッシュ)である'kigurwe'は「ブタ」(スワヒリ語で'ngurwe')に由来しており、短尺で比較的太い偽茎からブタが連想されたと考えられます。カメルーン東部のバカ・ピグミーの場合ではこれと同一と思われる品種の名前はブタではなく、カバに由来しているということで、この違いがおもしろいです。外観形質以外の由来としては、上述の'bukoba'のように品種の起源に関連するものが3、植物的な特性に関連するものが2とそれぞれ分類されました。

 ウングジャ島ではバナナから酒を造ることはなく 、その用途は生食用と料理用の2つに大別できます。品種の遺伝子型と用途との関連をみると、3倍体AAAと2倍体AB、それにプランテン・サブグループではない3倍体AABの品種はおもに生食用として利用され、一方でプランテン・サブグループに属する3倍体AABの品種の他、2倍体AAや3倍体ABBの品種は料理用として用いられる傾向がみられました。プランテンをはじめとして、Bゲノムを含む交雑品種ほど料理に利用されることが世界的に多く、ここでもその傾向が認められます。ウングジャで特徴的な点として、調査村ではアクミナータ同質倍数体の品種を料理用として多く用いていることが挙げられます。2倍体AAの品種は4品種すべて、そして3倍体AAAの品種は半数の3品種が料理に利用されていました。ウングジャでは成熟したバナナも料理に用いることが珍しくないということに加えて、これらAAの品種は成熟果実が他の生食用品種のものよりも固い、あるいは食味が劣ると考えられています。このような食文化や人びとの嗜好がAAの品種の用途と関連しているのでしょう。


【4】ザンジバルにおけるバナナの利用

 調査村におけるバナナの利用は概してバリエーションが少なく、利用方法はかなり限定されていました。食文化をみても、ウングジャ島内の町ではプランテンの品種を揚げバナナにして食することがあるものの、村ではほぼ「茹でる」料理が観察されたのみです。ドンゲ・ンビジ村の人びとはコメを第一の主食としており、バナナは平均して週に1~2度の割合で食事にだされる程度であるといいます。料理用バナナの需要が高いウングジャでは、バナナをシチューにして食べることが多く、この点でタンザニア東部のルグルの場合と共通しています。このシチューはココナッツとトマト、タマネギを煮込んだものに、一口大に切って茹でたバナナを加えるもので、調査地域で好んで食べられる家庭料理です。この他に、朝食には単に茹でただけのバナナを食することもあります。バナナは品種によって茹でた際の固さが異なり、一般にアクミナータ倍数体の品種は軟らかく、プランテンなど交雑品種は固めです。

 物質文化についてもバナナの利用は非常に限られており、生葉を調理の際のなべぶた代わりに用いたり、敷物代わりにする、もしくは偽茎を子どもたちがおもちゃの車を作る材料に利用する、といった例が観察されたのみでした。他のタンザニア各地域の事例と比してバナナの利用が非常に少ないですが、その背景には、ウングジャではココヤシが物質文化において重要な役割を果たしていることが挙げられます。調査地域においてココヤシの葉は屋根葺きや編みかごなど生活のさまざまな場面で利用されており、その用途は豊富です。バナナよりもココヤシが人びとの生活に根付いているといってよいでしょう。


【5】おわりに

 タンザニア本土部のハヤやニャキュウサの場合と異なり、ウングジャ島ではバナナがもっとも重要な食用作物となっているわけではありません。栽培方法をみても、バナナは屋敷畑や畑の畝間などで小規模に栽培されていることが多く、技術的にとくに力を入れて世話をしているとはいえないでしょう。さらにバナナの利用に関しても、他の栽培地域と比べてバリエーションが少なく、とくに物質文化は非常に乏しいといえます。ウングジャでは主食作物としてはコメがもっとも好まれており、日常生活ではココヤシの存在が目立っています。とくにココヤシは物質文化だけでなく、食文化でもご飯やシチューの味付けに欠かせないものであり、ウングジャはアフリカのなかでもっともココヤシ文化が発達してきた地域の1つとみることができます。このような地域で、バナナが古くから「重要な副次的な産品」(Prins 1967)として根付いており、今日でも調査村ではほぼすべての世帯で栽培されていることは、数ある作物のなかでバナナが広く受け入れられてきたことを意味しています。上述したようにウングジャの人びとはバナナを盛んに料理に用いており、観察された27品種のうち、料理に用いない品種は6品種のみでした。一方でウングジャでは、熟したバナナを料理することも一般的になっていますが、このような利用はタンザニア本土部ではあまり多くみられるものではありません。これらのことはデザートであり主食にもなるバナナの用途のなかで、人びとが両方の要素をうまくとりこんできたとみることができます。そしてこのようなバナナの文化は、アラブをはじめとする外部世界との接触が多かった歴史を通じて、独自に育まれてきたものなのでしょう。


-参考文献-

Prins, A.H.J. 1967. The Swahili-speaking peoples of Zanzibar and the East African Coast : Arabs, Shirazi and Swahili. International African Institute, London.

Rossel, G. 1998. Taxonomic-Linguistic Study of Plantain in Africa. CNWS Publications, the Netherlands.

富永智津子 2001. 「ザンジバルの笛‐東アフリカ・スワヒリ世界の歴史と文化」、未来社。

土屋巌編 1972. 「アフリカの気候」、古今書院。