パラオ

【1】パラオの位置

 パラオは、1994年にアメリカの信託統治より独立した人口2万人弱の国です。右の地図のように表したのは、このバナナの足HPでとりあげた、小笠原・八丈島、パプアニューギニア、そしてフィリピンとの位置関係を示したかったからです。右の地図ではもう一つ関係の深い地域であるアメリカを示せないのですが、とにかくパラオの人々は、それらの地域の人々と歴史的関係が深く、またバナナの品種や栽培実践もその歴史的関係から考察できることが多いと思われます。

【2】オーストロネシアンとバナナ

 パラオの人々の大半は、オーストロネシア諸語の一つであるパラオ語を話すオーストロネシアン(オーストロネシア語族)です。オーストロネシア諸語は、オセアニアの島々のほとんど、フィリピン、マレーシア、インドネシア、そしてインド洋をまたいでマダガスカルにいたるまで非常に広い地域で話されている言語の系統です。オーストロネシアンは、ただ言語の系統が同じというだけではなく、優れた航海技術をもって太平洋からインド洋まで行き来した、ある程度同じ文化をもった人々であると考えられています。ちなみにパプアニューギニアのページで紹介した、アツェラ語、ワンパル語、ロロ語もオーストロネシア諸語の一つである一方、ボサビ語は異なった言語の系統(パプア諸語)です。

 バナナの栽培化と拡散にオーストロネシアンの人々が深くかかわってきたこと、また、オーストロネシアンに共通する文化の一つがバナナの利用であることは間違いないと考えられます。詳しくはパプアニューギニアのページの記述を見てもらえればと思いますが、バナナの原種二倍体は、ニューギニア、ジャワ島周辺、ボルネオ島、フィリピン、マレー半島、インドシナ半島、中国南部などで、それぞれ栽培化されたと考えられています。それらの地域は、だいたいオーストロネシアンが行き来していた領域と重なります。また、現在バナナが利用されているオセアニアのほとんどの島々やインド、アフリカは、やはりオーストロネシアンが移動していった先と領域が重なります。

 東南アジアやニューギニアと近く、また太平洋の島々の主要な結節点の一つであるパラオのバナナの品種と系統は、オーストロネシアンが島々に拡散していった過程を知るのに、重要な研究対象であるでしょう。オセアニアにおける伝統的な主食にこだわると、右の図表のように他の生産物に着目せざるを得ません。このような類型化の試みもオセアニアの環境、オーストロネシアンの人々の過去と現在を理解するのに必要である一方、どの地域でも利用されているバナナに着目するのは、それぞれの地域をつなげて理解することに貢献できるでしょう。太平洋の島々の中で、どちらかと言えばミクロネシア連邦チューク諸島は、バナナが主食に近い存在であるとされており、研究が進んでいる印象があります。いずれチューク諸島の調査も始めたいと考えていますが、まずは日本とも歴史的関係が深いパラオにおいてバナナ利用の研究を深化してみたいと思います。

この図表は「生業の多様性とその変容」(小谷真吾, 2009, 遠藤他(編) 『オセアニア学』 pp.133-147)の図1および表2をもとに作成しました。オーストロネシアンについて、オセアニアの人々の暮らしについて、詳しくは是非『オセアニア学』をご覧下さい。

【3】パラオのバナナ

 パラオのバナナの品種について、Palau Community CollegeのChristopher Kitalong博士と調査した結果、以下の12品種あることが分りました。パラオの全ての島々でインタビューした訳ではないので、他にも品種があるのか、異なった方名で呼ばれているものはないかなど、まだ分からない部分も多いです。 パラオ語の発音とそのアルファベットでの表記は非常に難しかったので、カタカナで表した発音は暫定的なものです。

(1)Meskebesang(マスケブサン)、Bechochod(ブオオッド)、Madakt a Deleb(マダカタダブ)、Muduch a Ngerel(ムドゥアゲレル)、Kurob(クロブ)

(2)Mechad(マアッド)、Rubeang(ルビアン)、Emaus(エマウス)

(3)Cavendish(キャベンディッシュ)、Lakatan(ラカタン)、Sato Banana(サトーバナナ)

(4)Cherasech(エラサ)

1から4に分類したのは、仮の分類ですが、その基準は次の通りです。(1)ゲノムタイプABBと推定され、基本的に調理を伴う在来の料理バナナ。(2)ゲノムタイプAABと推定され(EmausはおそらくAAA)、基本的に生食される在来のデザートバナナ。(3)ゲノムタイプAAAであり、明らかに19世紀以降導入されたデザートバナナ。(4)聞き取りのみで確認できた品種で、おそらくフェイバナナ(Musa fei)。

Meskebesang

Rubeang

Cavendish

Emaus

Rekurl

Rekurlの果実

 なお、上に挙げた12品種のほかにRekurlという、おそらくバルビシアーナの原種、あるいはリュウキュウイトバショウと推定される「バナナ」もありました。写真にあるように、種有で人々は食用に利用しません。ただ、他のバナナも同様なのですが、伝統的な主食であるタロイモを栽培する際、畑のマルチングに葉や偽茎が利用されてきたそうです。人々は鳥が運んできたと語りますが、もしかしたらフィリピンや沖縄からの移住者が持ち込んだ品種かもしれません。

Kororの木曜市

Meskebesang

Mechad

Rubeang

Emaus

Kororのカヤンゲル州役場出張所

 パラオにおけるバナナ生産は、農業統計にほとんど表れません。バナナは輸出入される生産物ではないし、「農業」として生産している農家はほとんどいないと考えられます。庭先や畦畔にバナナを植え、実ればそれを消費し、余れば写真に挙げたようにマーケットで売りに出すというのが、人々とバナナの関係性です。日本の沖縄や小笠原の人々とバナナの関係性に似ています。ただ、スーパーマーケットでも、輸入食品が野菜や果物の大半を占める中、在来の産物で唯一売り出されているのが、MeskebesangやMechadだったりします。人々の食卓における消費量は意外に多い可能性があります。ちなみに価格は、1hand(写真の本数)で1ドルから3ドル程度。日本におけるフィリピン産Cavendishの価格より同額、あるいは少々安い程度です。

 パラオの人々は、カヤンゲル州(パラオの主島より北方の環礁にある州)がバナナの名産地であると言います。写真に挙げたように州のシンボルにもバナナが掲げられています。カヤンゲル州において調査する機会はなかったのですが、そこでは人々とバナナのもう少し密な関係性が見られるのかもしれません。品種の探索も行なうため、カヤンゲル州での調査を今後計画したいと考えています。

【4】パラオと日本

 パラオは1919年から1945年まで日本の委任統治領でした。同じく委任統治領になった他の「南洋」の島々と同様に、「内地」からの入植、そして「内地」とのヒトとモノの移動がとても盛んでした。小笠原や八丈島を経由し、横浜に至る定期船が週1便の頻度で行き来し、八丈島や沖縄を故地とする人々がパラオをはじめとする「南洋」に多く入植しました。

 その過程でバナナのいくつかの品種が、逆にパラオをはじめとする「南洋」の島々から小笠原や八丈島、そして沖縄にもたらされたと考えられます。沖縄の島バナナ、小笠原・八丈島のキングバナナは、パラオのMechadあるいはRubeangにとてもよく似ています。小笠原のキングバナナは、1830年に最初に定住した欧米系・オセアニア系の人々が持ち込んだものとする別の資料もありますが、DNA分析を通じてパラオのバナナ、キングバナナ、島バナナの系統関係を整理していきたいと思います。

 MeskebesangをはじめとするABB品種は、マーケットでの品ぞろえから見ると、パラオにおいて最も多く生産・消費されていると思われます。同じABB品種であるパプアニューギニアのカラプア品種群の耐候性を考えると、オセアニアの島々で栽培するのに適した品種なのかもしれません。その分布と系統関係も、他の島々における調査によって明らかにしていきたいと思っています。とにかく、小笠原・八丈島で見られるサンカクバナナ、ロッカクバナナも、戦前の「南洋」と「内地」との関係性の中でもたらされたものだと考えられます。

 19世紀以降導入されたと考えられるデザートバナナの一つとして、Sato bananaという品種があります。パラオの人々も、Satoが日本語、つまり砂糖あるいは佐藤であると認識しています。見た目はCavendishに他ならないのですが、人々が弁別できる微小な違いがあるのかもしれません。あるいは、日本人が持ち込んだCavendishの株に対してその名称を付けているのかもしれません。戦前のパラオと日本の関係の中で持ち込まれたと考えられる一方、戦後も現在に至るまで農業協力をはじめとした両国の関係は続いてきたので、その過程で持ち込まれたのかもしれません。今後のDNA分析や聞き取り調査で明らかにしていきたいと思います。

 CavendishやLakatangが、グローバルマーケットで名付けられている名称のまま、おそらくフィリピンから持ち込まれていることから考えて、パラオのバナナの多様性は現在もグローバルマーケットの中で変化し続けていると思われます。当然のことですが、パラオをはじめとするオセアニアの島々のバナナは、オーストロネシアンの歴史や日本との関係性の視点からだけではなく、広い視野でその多様性を分析していくべきなのでしょう。