タンザニアのバナナ栽培は、ハヤやニャキュウサの例に見られるように、比較的標高が高い北部や南部の高地が中心です。これらの地域では東アフリカ高地系バナナやプランテンが主食として重要な役割を担っていますが、一方で穀類主体の農耕を営む地域でもバナナは栽培されています。とくにタンザニア東部の低地帯には、高地帯とはさまざまな点で異なるバナナ栽培が盛んにおこなわれている地域が見られます。
ドゥ・ランゲら(De langhe, et. al. 1994)は、近代にヨーロッパ人によってもたらされた幾つかのデザート・バナナの他に、アフリカのバナナを大きく3つに大別しています。それらは、(1)東アフリカ高地系統のバナナ、(2)中部から西アフリカにかけてのプランテン、そして、(3)インド洋沿岸に広がるさまざまなバナナ(インド洋文化複合)です。
ここで紹介するルグル(the Luguru)の人びとが居住する地域は、ドゥ・ランゲらがいうインド洋文化複合と関連したバナナ栽培文化が見られます。この地域では、東アフリカ高地系品種群のバナナは主流でなく、インドに起源をもつバルビシアーナの交雑品種(AABやABB)の割合が比較的多いと報告されています(Stover and Simmonds; 1987 )。
他のタンザニアの農耕民と同様に、ルグルはバントゥー系諸語を話す民族集団で、言語的に近縁な集団はインド洋沿岸を含むタンザニアの北東部に分布しています。ルグルは、最高点2600mあまりのウルグル山域の広い範囲に居住しており、標高等によって農耕の様式にかなりの地域差が見られます。首座都市のダル・エス・サラームから約200km西方に位置する州都・モロゴロの周辺はおもにルグルの人びとの居住域です。
調査はタンザニア東部、モロゴロ州のムクユニ村で実施しました。ムクユニ村(東経37゜47′、南緯6゜57′)は、州都モロゴロから州南部へ向かう幹線道路(未舗装)沿いに位置し、モロゴロからミニバスで約1.5時間の距離にあります。調査村は、ウルグル山塊東側の裾野に立地しており、バナナの栽培が盛んな地域に含まれます。地形的に起伏が大きいですが、おおよその標高は400m程度となっています。この地域は熱帯サバンナ気候に属し、3月から4月にかけての大雨季、9月から12月の小雨季と年2回の雨季があります。調査したムクユニ村の人口は約4800人(876世帯)で、その大多数をルグルが占めます。他の民族集団のなかには、タンザニア北部キリマンジャロ山山麓におもに居住するバナナ栽培民チャガ(the Chagga)が少数おり、彼らの伝統的なバナナ酒('mbege')がわずかながらモロゴロでも造られています。
コメやトウモロコシを主食とするルグルの人びとにとって、バナナはもっとも重要な換金作物の1つであり、自給用作物としてはあまり認識されていません。村での聞き取りによると、タンザニアが独立して間もない1960年代後半に、それまで主な換金作物であったコーヒーが販売価格の低迷によってバナナへと植え替えられていったといいます。その後80年代半ばからは、トラックの増加をはじめとした流通条件の改善により着実に取引量も増加しているようです。ムクユニ村のバナナは、モロゴロやダル・エス・サラームといった都市圏へおもに供給されており、週2回催されるムクユニのマーケットの際には、毎回5台から10台程度のトラックがバナナの買いつけに来ているとのことでした(調査時)。
ムクユニの村内にはバナナの木立が至るところに見られ、ほとんどの世帯が自分たちの土地でバナナを栽培していました。ルグルがバナナを栽培する空間は屋敷畑と、それ以外の畑地との2通りが観察されました。各世帯は通常、屋敷畑と畑地の両方でバナナを栽培しており、バナナの作付け頻度は他の作物と比べて高いように思われます。
畑地におけるバナナ栽培は混作の場合が多いですが、単作での栽培も見られ、そこでは商品価値の高い品種('mtwike'など)を中心に構成されています。混作の畑には、バナナとともにココヤシやココヤムを多く植え付けており、この他にもキャッサバやコーヒーなどさまざまな作物を組み合わせて作付けしていました。
単作の場合には、一筆の畑に複数の品種を配置することが多いですが、単品種栽培をおこなっている世帯もありました。プランテーション栽培のように大規模ではないものの、このような栽培様式は同じタンザニアの他地域ではあまり見られないものです。ムクユニ村でこの栽培形態が見られる理由として、病虫害の発生頻度がこれまで低かったことや、換金作物としての性格が濃いことが挙げられます。
一方で屋敷畑では、敷地の境界付近や小道沿いを中心にバナナを栽培している例が多く観察されました。ルグルの屋敷畑は、ハヤのように土地集約的に利用されておらず、1枚の屋敷畑に何カ所か、バナナが栽培されている空間があるという場合もよく見られました。屋敷畑では商品価値の高い品種に限らず、農民個人の嗜好によってさまざまな品種が栽培されている傾向が強く、またバナナを試験的に栽培してみる場合にも、まず屋敷畑が活用されていました。
これらの畑地・屋敷畑のほかに、ときおり藪化した休耕地でもバナナが生育しているのが観察され、なかにはバナナが残ったまま放棄された土地もありました。
ムクユニにおいては、バナナをはじめ多年生作物(ココヤムやキャッサバ、ココヤシ)の管理をおもに男性が担い、一方でコメをはじめ穀類やマメ類は女性が中心的に栽培していました。
バナナの栽培技術を見ると、ルグルの人びとは牛肥等の投入やマルチングをほとんどしていませんでした。「土壌がまだ肥えているから何もせずともバナナはできる」という村の男性たちの説明に示されるように、バナナは重要な作物となっているものの、ルグルの栽培はむしろ粗放的なものであるようです。
しかしながらまったく生産管理をしていないわけではなく、いくつかの実践はある程度見られます。例えば一部の農民は吸芽の間引きをしており、彼らはハヤと同様に、1株から3世代の吸芽が出ている状態がよいと説明してくれました。ただしABBの遺伝子型と考えられる品種('unyoya'や'boko'など。)については間引きされないことも多く、しばしば単品種による密な木立が形成されていました。とくに傾斜がある土地では、‘土が流されないようにするため’に間引きされない密集の群落を観察することができます。
また興味深いことに、ルグルの人びとはハヤとは反対に、雄花序は果実に栄養を与えるため、これを除去してしまうとバナナが実らなくなると信じており、そのため多くの農民は雄花序を除去することなく、収穫まで残していました。ただし、彼らは'unyoya'(ABB)に関してのみ、雄花序を取ることで収穫期を早められると認識しており、収穫の1ヶ月程度前になると除去されることが多いということでした。
バナナ栽培に関してもう1つの特徴は、ルグルの人びとはバナナの株全体が徐々に地表近くに上がってきてしまうと(いわゆる'high mat')、株の植え替えをおこなうことです。インフォーマントによると、植え替えまでの期間は品種によって異なっており(遺伝子型ごとの傾向あり)、もっとも短いプランテン(AAB)で約3年、キャベンディッシュ系などAAAの品種の多くが10から20年程度で、ABBタイプの'boko'は50年から100年ということでした。このような差異やその理由の詳細については分かりませんが、この植え替えにより土壌の疲弊を抑え、バナナの栽培を維持してきた可能性は指摘できます。病虫害として、ブラック・シガトカ病が近年増加しているということでしたが、防除のための実践はなにもおこなわれていませんでした。
ムクユニ村において確認できたバナナは合計19の地方品種で、品種数で見るとハヤやインドネシアの他地域と比較して、あまり多様性が高くないと言えます。5人の農民に聞き取りをした結果では、各世帯が栽培しているバナナの品種数は5から10品種でした。[ちなみに、コメについては少なくとも18品種が栽培されていました。]遺伝子型ごとに19品種の内訳を見ると、AAが1品種、AAAが11品種、AABはプランテンを中心に4品種で、AB1品種、そしてABBが2品種と推定されます。この地域に古くから存在していたのはAAAの6品種をはじめとした計9品種で、プランテンをはじめとしたAABタイプが導入されたのは、タンザニアの独立(1961年にタンガニーカとして独立)以降のことだったといいます。品種の方名を見ると、原産地と思われる地名をそのまま品種名にしたものが6品種と多く、これらはいずれも近年導入されたものと考えられます。
AAAタイプの用途を見ると生食用と料理用の2つがあります。11品種のうち、生食のみに利用するものが4品種、逆に料理のみで用いるものが3品種見られましたが、これらはいずれもあまり頻繁に作付けされる品種ではありませんでした。両方の用途で消費されるバナナが4品種ありましたが、これらのうち3品種はこの地域で代表的な品種で、商品価値も高いものでした。そしてそのうち1品種('malindi')は地域で古くから栽培されているものでした。
各品種の販売価格を聞き取りした結果によると、商品価値の高い品種と、村内でしか取り引きされない品種とでは、1果房(全房)あたりの価格差が10倍近くにも達しており、差異が非常に明確に表れていることが分かりました。商品価値の高い品種は需要が多く、価格も比較的安定しているため、農民は高い生産意欲をもっています。またモロゴロのマーケットでの観察によると、マーケットで販売されていたバナナはムクユニで観察した19品種のうち7品種で、取引きされる品種が限定されていることも分かりました。
ムクユニ村において、バナナの消費形態は大きく3つ観察されました。それらは生食、揚げバナナ、そして茹でバナナです。ルグルでも他の地域では、揚げバナナではなく、焼きバナナが好まれることがあるようです。調査地域ではコメやトウモロコシが主食と見なされている感があり、一方で全般にバナナを食することはむしろ好まれない傾向があります。
茹でバナナはおもに牛肉またはウシの臓物とともに茹でられるもので、(ハヤがやわらかいバナナを好むのと対照的に)ルグルは調理後も多少固さの残るバナナの方を好むようです。茹でバナナを作る際に水の量を多くすると粥状になり、これは'mtoli'と呼ばれます。品種としては'bukoba'(AAA)がもっぱら用いられますが、味は茹でバナナと変わらないということです。
揚げバナナは素揚げしたバナナを、トウガラシ・トマト・タマネギで作った辛みの付け合わせ(kachumbari)とともに食べるのがポピュラーでした。熟したバナナを使うこともありますが(その場合には甘い揚げバナナになる)、まだ熟していない青いバナナで作る方が一般的です。
またタンザニア北部のチャガから伝わったというバナナの醸造酒('mbege')が'unyoya'(3倍体ABBの品種)から作られることがありますが、ムクユニではあまり一般的ではありません。なお、このmbegeは、同じバナナの醸造酒でもハヤの人びとが造る酒とは醸造方法が異なります。この他に、熟したバナナとトウモロコシの粉を混ぜ合わせて、それをバナナの葉にちまきのように巻いて半蒸しにする'mkate wa ndizi'(直訳すると‘バナナのパン’)ではABBの品種が多く用いられます。
嗜好用として、ルグルはフレンチ・プランテン(品種'mzuzu')の果皮を利用して、改良噛みタバコを作っていました。これが普及したのは近年のことで、もともとはタバコ会社から広められたという情報がありました。タンザニア南部のニャキュウサも同様のものを作っており、南部から伝播してきたとも考えられます。ちなみに、実際にさまざまな品種でこの噛みタバコを試したというルグルの年輩男性によれば、ほかの品種ではおいしくないということです。
ここではモロゴロ地域におけるルグルのバナナ栽培文化を扱いましたが、同じタンザニアでもハヤのバナナ文化とはさまざまな違いが見られました。
まず、ハヤの人びとが生きるための糧としてバナナを深く利用しているのに対して、ルグルはバナナ栽培を現金稼得手段として捉えている傾向があります。これはモロゴロやダル・エス・サラームといった都市の存在によってバナナの需要が作りだされ、近郊農業として成立し得たという環境がたぶんに影響しています。食文化においては重要な位置を占めていないものの、ルグルの物質文化においてバナナは生活に密に取り込まれており、ハヤに見られない利用もいくつか観察されました。
第二に、ハヤとの歴史的な違いが品種数からうかがうことができます。ルグルではバナナの品種数が合計で20ほどであり、その半数近くがバナナが商品として見なされ始めた60年代以降に導入されたものです。このことを考えると、ルグルの文化においてもともと辺縁的な存在であったバナナが、近年の需要増加によって徐々に重要性を増してきたと捉えることができます。現在中心的に栽培されている品種は'mtwike'や'mwanza'、'malindi'それに'mzuzu'ですが、これら4品種は高値で売れる品種という共通点をもっています。
ただ、このような「売れる導入品種」への傾倒がみられる一方で、在来の品種でも高値で取り引きされるものはあり、もっぱら村内で消費される品種にしても少数の個体ながら失われることなく維持されています。また、栽培管理で述べたようにルグルの人びとは、株の管理を技術として採り入れ、粗放的といえるながらも確実な栽培方法を受け継いでいます。
近郊農業としてバナナを積極的に扱っているルグルが今後、売るバナナと食べるバナナとをどのように作っていくのか、興味深いところです。
-参考文献-
De Langhe, E., R. Swennen and D. Vuylsteke 1994. Plantain in the Early Bantu World. Azania XXIX-XXX, p147-160.
Stover, R. H. and N. W. Simmonds 1987. Bananas. 3rd ed. Longman, Singapore.