今回の「バナナ日記」は、本サイト初登場となるタイをとりあげてみます。私たちは数日間だけでしたがタイ南部・チュムポン(Chumpong)県ラメー(Lamae)郡を訪ねることができました。
ラメー郡は長細いマレー半島の東寄りに位置しています。マレー半島といえば、、、バナナ通の方はお気づきかもしれませんが、バナナの原産地と考えられている地域です。しかし!、本サイトで紹介している多くの地域とは違って、このラメー郡は昔からバナナの栽培が盛んだった地域ではありません。そもそも私たちが訪ねた村は数十年前につくられたという歴史の浅い開拓村でして、村のなかでバナナを探してみても品種や利用にバリエーションはあまり見られません。
それではなぜ、わざわざタイのなかでも私たちがそんな地域を目指していったかというと―、ここで近年作られているバナナは、多くが日本までやってきているバナナなのです。「ホムトン・バナナ(kluai hom thong) 」と呼ばれているここの無農薬バナナは、日本の幾つかの生協を通じて輸入されています。そもそも1993年に大阪のよどがわ市民生協のスタッフがラメーを訪ね、現地に農民会がつくられたのをきっかけに、翌94年からホムトン・バナナが日本向けに出荷されるようになりました。その後現在までに、コープしこく、鳥取生協や新潟総合生協が加わり、また首都圏コープ・グループもラメーとは別の県の生産者組合ですが、このホムトン・バナナを取引するようになっています。生産者の顔が見える民衆交易は、これらの生協を通じて着実に根を広げつつあるようです。
10月22日くもり/雨 『8時間のバスの旅』
バンコクの宿を朝早くチェックアウトし、長距離バスのターミナルへ着いたのは朝8時すぎ。その時間はバス(おもに南部方面に向かう)の出発ラッシュということで、こぢんまりしたターミナルは利用客でかなり混雑していた。欧州系のバックパッカーらしき男性1人をのぞいて、外国人は見あたらない。タイ語をほとんど理解していないわれわれだったが、バンコクで留学中の日本人に付き添ってもらったおかげで、あっさりとラメーに向かうバスのチケットを購入できた。出発を待つ間に、ターミナルの周りの露店でお土産を物色することに。訪ねるファミリーには小さな男の子がいるということで、ミニカーのセットを購入。われわれがよく知るアフリカだったら、とても喜ばれるものであるのだが・・。
そして9時過ぎにいよいよバスは出発。バンコクを出てまもなく、川の増水によって道路が冠水しているところがあり、バンコクへ向かう反対車線のほうはちょっとした渋滞になっていた。幸いなことに南部行きの車線はわずかに冠水しているだけでなんなく通過した。たしかにバンコクもあまり天気が良くなかった気がするが、こんなに増水しているとは。周辺の畑らしき土地もかなり水に浸かっていた。そこからしばらく、というか道中ほとんど、窓から見る景色は林や畑が続いており、変化に乏しいものだった。タイでも森林減少や人口増加は問題になっているはずだが、けっこう緑が目に入り、未利用の土地もあるように感じられた。バナナは・・、あまり見なかったような(自信なさげに)。
昼食休憩のあとあたりから、雲行きが怪しく外が暗くなってきた。そして案の定、雨がぽつぽつと降り始め、あっという間にざーざー降りに。雨が多少弱まったころにようやくラメーの交差点に到着、時間は予定よりも遅れて夕方5時を回っていた。ホームステイをお願いしていたファミリーのおじさんがそこまで迎えに来てくれており、雨の中で初対面のご挨拶。人の良さそうなおじさんは1時間ほどわれわれの到着を待ってくれていたそうだが、笑顔で迎えてくれた。
車でそこから20分弱で無事に家に到着。案内された家の中では彼の奥さんと、近所に住んでいて食事の手伝いに来てくれていた娘さんと彼女の4歳の息子、このお宅に一緒に住んでいる孫の男の子(2歳)、そしてテリア系の小犬1匹が迎えてくれた。到着してすぐにわたしは、ここがアフリカの農村の家とは明らかに違うということを実感することになった。このファミリーはご夫婦で診療所と薬局を営んでいることもあるだろうが、家自体も思っていた以上に立派であり、居間にはテレビやパソコンが並んでいた。しかもなぜか2台あるパソコンの一方からはビデオCD(子ども向けカラオケ)の映像と音楽が流れており、日本の某民放局の音楽番組「カウントダウン~」に登場するようなキャラが大挙して陽気な音楽に合わせて踊りまくっていた。わたしが想像していなかった世界だった。子どものおもちゃにしても、タンザニア農村の子どもが遊ぶような板きれや植物などを材料にした手作りの「くるま」ではなく、日本でも売られているようなプラスティック製の大きなくるまだった。われわれの用意していたミニカーのセットは、子どもに渡したそのときには喜ばれたのだが、その後これで遊んでいるところを目撃することはなかった・・。涙。
とはいうもののラメー初日の晩は、初めてのタイ家庭料理に舌鼓をうってからシンハー・ビールでほろ酔いになり、そしておじさんの太鼓腹の見事さに感激しながら気持ちよく夢の世界に入ったのでした。(どこに滞在してもたいてい爆睡してしまうわたし。)
10月23日くもり/雨 『ハチで泣きっ面、のち、バナナで笑いっ面!?』
ラメー郡のとある村の風景
この日の朝も空模様はよくなく、目覚めると雨。雨だったらバナナを見にいくこともままならない。ゆっくりと朝食をとり、非常に久しぶりにネ○カフェのインスタント・コーヒーを味わっても、時間をもてあます。外を眺めていると、家の前の舗装道路を傘をさしながらバイクで行き交う人びとを何人も目撃してしまった。ところ変われば常識も変わる。
ホストファミリー宅のお隣は比較的大きな雑貨屋さんだった。お酒、お菓子、コメなどの食料品から始まって、生活用品、文房具やおもちゃ、そして農具・工具や漁具に至るまで、なかなかの品揃え。マーケット好きのわたしは雨を待ちながら、おもしろいものはないかと物色したり、英語を少し話せる店主と片言で話をしたり。これだけいろいろな商品を扱っていることもあり、雨の午前中でもお客さんは次から次にやってくる。「傘さしながらバイクに乗る」人にはこの店に買い物に来る人もいたわけだ。この雑貨屋の店主は、タイ南部の観光地であるパンガン島出身で、両親の体のことなどを考えて、暑い島からやや涼しいラメーに両親や妻子とともに移住してきたとのこと。この村(開拓村)の人びとはいろいろな地方(おもにラメー以南)から移ってきたそうだが、コメ農家をやめて別の農業をこの新しい土地で始めたかった人が多かったよう。この店主は島に戻るつもりはなく、ここにずっと家族と暮らすつもりだと言っていた。タイ国内の詳しい事情を知らないため、故郷を離れて別の村に居を構えているというのは、どこか不思議で興味深い。けっきょくわたしはこの店で、ヤシ砂糖とエイの干物(描いてもらった絵からエイと推測。)を日本への土産に購入した。
ようやく雨が上がったころ、おじさんが親切にも車でいろいろと案内してくれるという。タイ語も話せないストレンジャーなわれわれが、英語を話せる人がほとんどいないというこの村のなかを歩き回っても限界があるということで、遠慮なくお言葉に甘えることに。
〈長い長い前フリ?でしたが、ここでようやくバナナの登場!〉
この村ではすべての農家が日本向けのバナナを栽培しているわけではない。われわれが案内してもらったバナナ園は、家から車で約10分のところにあった。舗装道路から未舗装の脇道に入り、雨でややぬかるんだ起伏のある道を進んでいくと、よく見慣れたバナナたちがちらほらと現れた。車を降り、その家の主人を紹介してもらい、挨拶をすませたところでいざバナナ園へ。あまり背の高くないホムトン・バナナが一面に育っていた。栽培は単作に近いものの、ヤシの木や果樹もちらほらと生えている。少し歩いたところには野生のバナナも育っていた(写真左下)。とりあえず、この農家で育てているバナナはホムトン・バナナの1種類のみ。村全体を見ても、おそらく数品種くらいしかないかもしれない。この村ではバナナは時おり食べこそするものの、基本的には換金作物となっているのだろう。
しかし、かといってバナナに依存した農村かといえば、そのようにも思えない。なぜなら、ここにはバナナ以外にもドリアン、アブラヤシ、ゴムノキ、その他多様な果樹が換金作物として栽培されているのである。実際、案内してもらった農園の隣にも、ドリアン(写真右下)や柑橘の木が多く立派に育っていた。それだけさまざまな作物のマーケットが存在しているということは、各農家にとってそれだけやり口が広がるわけで、よい環境だと感じた。
これがホムトン・バナナ。
分類ではグロ・ミシェル(遺伝子型はAAAの3倍体)と呼ばれるタイプの生食用バナナです。タイ語でバナナは'kluai'と言い、'hom thong'とは「黄金の香り」という意味だそうな。この写真ほどに果房が大きくなると、もう出荷する算段が整えられています。偽茎の中ほどに付けられている紫色の目印は、出荷が決まっていることを示すためのものです。
村内のバナナ園の脇に生えていた野生のバナナ
(Musa acuminata: 2倍体AA)
写真の中央右寄りに紫っぽく槍型をしたつぼみ(雄花序)が出ているのがおわかりになるかと思います。つぼみの上の方に黄緑色をした若い果実がついているのですが、上の写真と比べるとはるかに小さいものです。タイの南部にはこのような野生のバナナがいろんな所に見られます。人里離れたところに限らず、時には町なかで群生していることも。
タイでは果物の王様と呼ばれるドリアン
(durian: タイ語ではthurian、学名Durio zibethinus)
アフリカで有名なバオバブと同じバンヤ科の常緑樹です。枝や幹からこのように実がなるってご存じでしたか?今回私たちは残念ながら口にする機会がありませんでした・・。
そんなことを思いながらかどうだったか定かではないが、雨にぬかるんだ小道を歩いていたときのこと。わたしに雨だけではなく、突然の不幸までが降りかかってきた。水たまりを避けるため、道の端を歩いていたそのとき、いきなり右手に鋭い痛みが走る。とっさに右手の甲を見る。異物の存在を感知。その約1秒の間にも鋭い痛みは走りまくった。異物の正体は小さなハチだった。次の瞬間、生命防御の本能がわたしをその場から全速で走り去るべしという命令を下していた。悪路を10mほど走っただろうか。哀れにも右手甲から手首にかけて計6ヶ所の刺し痕が残っていた。どうやら、小道の脇のバナナの葉に触れてしまったらしく、その葉の裏に潜んでいたらしいハチの怒りを買ってしまったようだ。案内してくれていたおじさんたちは何が起きたかとはじめはきょとんとしていたが、状況を理解して直ちに家に引き返し、軟膏を塗ってくれた。鋭い痛みはそれからすぐにひいたが、その日の午後から右手の甲はみるみる膨らみだし、数日後には左手の1.5倍くらいの大きさになっていたのだった。日本でもアフリカでもこれまで幾度もハチにやられた経験はあったが、一度に6刺しもされたのは初めてだった。おれはタイに何しに来たんだか・・と悲しくなることはなかったが、日本に帰国するまで腫れはひかず、痛痒さに悩まされたのだった。そういえば、ハチってバナナの葉の裏によくいるんだよね、ということをタンザニアで学んでいたはずだったのに。迷惑をかけてしまったにも関わらず、おじさんたちは親切にしてくれたなあ。多謝。
ハチ事件のおかげでわたし1人ややテンション低めながらも、バナナ園を後にし、次に向かったのはホムトン・バナナの集出荷場。ここでは生産者が運んできたバナナを輸出向けに箱詰めにするまでの作業がおこなわれていた(下の写真たちを参照)。働いているのは農民会に入っている生産者たちで、週3日だけ仕事に来るそうだ。
さすがに日本の消費者が口にするバナナだけあって、選別や洗浄といった作業はかなりしっかりされている。このくらいのバナナ、十分食べられるじゃない、というものも、輸出不適として容赦なく分けられていた。農家から持ち込まれるバナナのうち、およそ2割程度はこうしてふり落とされ、輸出向けの1~2割という価格で村周辺で売られているようだ。スタッフの男性がいろいろと案内してくれたのだが、そのうえ、嬉しいことに熟したホムトン・バナナを食べさせてくれた。集出荷場の片隅に物置らしき小部屋があるのだが、ここにその熟したバナナが数房(バンチ)。われわれのような来客にいつでももてなせるようにするためか、スタッフの人たちのおやつなのか、それは定かでないが、やはりここに来たからにはこれを食べないとね、とぶつぶつ言いながら皮をむき、口に入れる。ひじょーに濃厚な甘さ。これをアロマと呼ばずにどうするという香り。現地で食べているということもあるのだろうが、久々に美味的バナナを食べたという満足感も味わいながら家に戻ったのだった。
この日の夜もふたたび舌鼓&ほろ酔い。酔った勢いで?、奥さんに内緒でおじさんはわれわれをカラオケ屋(!)に連れ出し、グラスのウィスキーを片手に上機嫌に「昴」をタイ語で熱唱してくれたのだった(「昴」はタイでも有名な歌だそうな)。夜中まで響き続いたおじさんの美声は、わたしのラメーでの思い出のなかでも忘れがたい重要なポイントである。
吊らされて出番を待つホムトン・バナナたち。
1房(全房)の大きさはいろいろですが、手前のバナナのように、20kg前後のものが多いでしょうか。下に落とされているバナナは、傷ありなどのため輸出用に不適とされたもので、村内など周辺地域で消費されるそうです。