最初に読んだのは高校2年生のときだっただろうか。それから、何回か読み返している。現代思想のレビューのような本で、高校生でも理解出来る優しい言葉で書いてある。この本を読むたびに、哲学者たちの思考的格闘の歴史に感動する(肝心な内容は数日で忘れてしまうのだが)。
日々の研究にも哲学的思索に似たところがあると思う。科学といっても、必ずしも客観的であるわけではない。思想とか信念みたいな物が必ず含まれている。科学の中の思想や信念はそれが科学的検証に耐えうるのなら別にあっても構わない。ただ、思想や信念に取り憑かれてそれを疑わなくなるのは科学の発展には有害だし、思想や信念が空気のようになって普段はその存在にすら気づけないというのも危険である。
思想や信念によく似ているが、定義されていないあやふやな概念が科学者の思考の中に住み着いていることもよくある。例えば地震学では「アスペリティー」がそうだ。多種多様な定義が科学者ごとに曖昧に使われている。概念自体が曖昧だから解釈の中で都合よく何回も再定義され、何かわかったつもりになるが、結局何もわかっていないというのはよくあることだ。そういう言葉がはびこると何の現象を論じているのか、自分が何に迷っているのかすら、よくわからなくなる。
概念や思考法を明確化する営みを含むという意味では哲学と科学はそっくりだ。日々の研究でも、解析結果を解釈しかねている時によくこのような問題に行き当たる。そういう時は、登場する概念を明確に定義し、暗黙の思想・信念を書き下し、解析結果、概念、思想・信念の関係を図で表すとうまくいく場合がある。このような明確化が極めてうまくいった結果としてパラダイムシフトやコペルニクス的転回が起きるのではないだろうか。そいう意味で、哲学、科学問わず、先人たちのパラダイムシフトやコペルニクス的転回を見直すのは日々の研究に役立つ。
いろいろ突き詰めていくとウィトゲンシュタインが論理哲学論考で述べていたことにつきあたる。「哲学とは思考の明晰化である」。まさにその通りで、彼は素晴らしい学者だと感嘆する。