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26(2025年3月20日)   

    ― テレビ「あの本読みました?」―         

私は読書好きなほうだが次に読みたい本には別段事欠かないので、新聞書評や

本の紹介番組などもあまり注意していない。 だからこのBS7木曜夜10時からの

鈴木保奈美が冒頭に艶然と「あの本読みました?」と語りかけてくる番組も気に

留めてはいなかった。 

それなのに観ることになったのは平野啓一郎が出ると知った時だ。彼は「マチネの

終わりに」以来好きな作家で、小倉でのギターコンサートにトーク出演した際には

コロナ禍を押して出かけて行ったし、長崎大学核兵器廃絶研究センター招聘の

講演会に来たときは並んでサインももらっている。 ( 私は対面でサインをもらうのが

好きかもしれない。) 彼がこの番組に出演したのは文庫解説がテーマの回だった

と思う。 朝井リョウが熱弁をふるっていたが、平野啓一郎はそこには同席せず

別コーナーで三島由紀夫や金原ひとみのことを話していたような。 

以来この番組をずるずると観るようになった。                          


毎回テーマがありそれに沿った作家自身が登場することもあるが、担当編集者が

登場することも多い。 出版社に勤めることを若い頃ボンヤリ夢見たことがあった。

作家以上に読む力が必要な編集者だが、こういう人達なのかと興味深く眺める。                                      

プロデューサーの林祐輔がいつもカメラの横から読後感を語り、局アナの角谷暁子も

本好きのようだが、メイン司会者が鈴木保奈美ということはこの番組の大きな魅力に

なっていると思う。

美人というだけでそれ以上の関心を私が持つことなく終わる女優だろうと思っていた

けれど、彼女の読書傾向や考えの述べ方が私から見てとても好印象なのだ。

ポール・オースターが好きだというので私もオースターを3冊読んだ。 アメリカ現代

文学は苦手と思っていたが悪くはない。 訳者の柴田元幸がゲストの時には「誇張」と

いう言葉に触れて彼をうならせてもいた。 

また「国会議員はみなこの本を読みやがれ」と言っていた「女の国会」(新川帆立)を読み、

以後本吉号で毎回1冊新川帆立の本を借りて読むようになった。 (「このミステリーがすごい

大賞」の賞金700万のうち400万でバッグを買ったのはどうなんだろうと思うが、最新作

「目には目を」のような少年犯罪の作品も書ける。)                                      

取り上げられるテーマによっては、また引用文を朗読する男性の声など、私の好みでない

部分も勿論あるが、毎週楽しみにしている番組である。 

 *「女の国会」はその後第38回山本周五郎賞を受賞した。副賞は100万円だそうである。                                           新川帆立はこの賞金をどうしたのだろうか?

___________________________________________  

27(2025年4月20日)  

   ― 養老天命反転地 ―  

岐阜県養老町、伝説で名高い養老の滝が奥にある広大な公園の入り口付近に、荒川修作と

マドリン・ギンズが作った「養老天命反転地 Site of reversible destiny – Yoro Park,Gifu 」

がある。 敷地面積約18000㎡。                                  

 「奇想遺産」という珍しい建築を紹介している本でこの場所を知った。 荒川修作は我が故郷

岡山県津山市にほど近い奈義現代美術館の天井に張り付いたベンチの作者という記憶が

うっすらとある。 反転という言葉からマグリットの「ピレネーの城」に通じる何か固定観念から

解放されるような浮遊するようなイメージを持った。 以来、行きたい気持ちを持ち続けていたが、

岐阜という新幹線からはずれた場所は行きにくそうだし、行きにくくても白神山地とか上高地の

ようなネームバリューのある場所に比べると地味で更に遠く思えたが、昨年伊豆の墓じまいの

帰りにやっと実現した。 伊豆と養老も近くはない。 伊東から熱海で乗り換え名古屋に向かい、

名古屋から新快速で大垣まで32分。 さらに養老鉄道で22分。 養老駅からは歩いて10分

ほどのところがこの場所だ。                                 

前日の大雨から一転して快晴のすがすがしい大気の中を意気揚々と歩き出す。 しかし入場して

最初の建物、色鮮やかな反転地記念館あたりから既に何かが違う。 一歩一歩がスムーズではない。

平坦と思っていればやや上りで踏み下ろすはずの一歩がつんのめる。 また逆に目の前にある

ところにも何故か下って上り真っ直ぐに行けない。 「極限で似るものの家」とか「もののあわれ変容器」

とか様々意味ありげに命名された異形の施設があちこちにあり、それら順に回れる行きやすい

ルートがあるのだろうと迂闊にも最初思ったが道らしい道はすぐ行き止まりになる。 先に見える

遊歩道のようなところに行くにも切り立ったコンクリートの尾根を越えないといけない。 この日は風が

強く飛ばされそうでその方面は断念し、転ばないよう重心を落とし、ずり落ちないよう足を踏みしめ、

「白昼の混乱地帯」へ進む。 それぞれ迷路のような内部には不可解なオブジェが点在している。             

ところどころに案内の人が立っているが、年間20回ぐらい救急車を呼ぶことがあるそうで、

そういう時のために配置されているようだ。 後で知ったがネットでも「日本一危険な公園」と

なっていた。 荒川修作も安全無害な空間を批判し人間の感覚を混乱させ「死なないため」に

「知覚を再構築させる」構造にしているのだという。 安易な予想とは全く異なる、必死で地面に

這いつくばり自らを重力からは自由になれない存在と思い知る一日だったけれど、でもそれは

心の霧が晴れたような清々しい体験だった。                                     


その後しばらくしてテレビで京都アニメーションの「聲の形」というアニメを観るともなく観ていたら、

主人公らがデートしているのがこの場所だった。 ほんの数分何処かも明かされず何の説明もなく、

懐かしいあの変テコリンな光景が流れてきた。


___________________________________________  

28(2025年5月20日)   

    ― つまんない 再び―         

以前(短章41)何かしていれば気が紛れるがそれが終われば虚しい気持ちに襲われることを書いた。

それがその後払拭できたかというと相変わらずだ。だましだまし誤魔化し誤魔化し生きてきた。

幸いにして死にたくなるほどではなく、時間つぶしにすることはあれこれある。音訳(短章57)に

携わって20年余り、校正した蔵書は現在342冊。 ただ常時定期的ではなく次の本までの間が

空きすぎると禁断症状が現れそうになるので、一年前から時津町広報の校正編集を毎月手伝う

ようになり、データ便の送受信など新しい操作も覚えた。 美術館活動はボランティア期間が

限定されることになり古くからのメンバーは全員後2年で終わる。 こういった収入にはならないが

働いていた頃以上の遣り甲斐を感じる活動に出会えたのは幸せと言えるし、残りの時間を

家事と読書に費やすことが出来るのだから、とても恵まれた環境と言わねばならないだろう。                


でも以前と違って何もしていない時だけでなく、何かをしているさなかでも心の奥で、生きるって

こんなことだったのかな、これでいいのかな、ああつまんないという気持ちが通奏低音のように

ずっと小さく響いている。 これは普通のことだろうか。誰でもこんな気持ちを抱えて生きている

のだろうか。                      


今の世の中は昔以上に常識を超えたものになってしまった。 あの大国の大統領たち、止められない

戦争、嘘が拡散されていく社会。 少しずつでも時代は良い方向に向かっていくと考えるほうが

まやかしかもしれないし、それが何をしても楽しめない原因とするのは綺麗ごとすぎるかもしれないけれど。

                                    

中村文則が書いていた(朝日新聞1月10日)。 生物はそもそも保守的にできている。人間も生物で

保守が勝つに決まっている。我々はリベラルであることを急ぎ過ぎた。理性に働きかけるのは難しく、

争いや差別に向かうほうが容易いのだと。                          

大災害に見舞われているわけでもなく(全国各地で起こっているから明日は我が身かもしれないが)、

今の物価高にはさすがにお金がすぐ無くなる実感があるが飢え死にしかけているわけでもなく、

寝言も休み休みにしなければいけないかもしれないけれど・・・・・  暑い暑い夏がまたやってくる。


___________________________________________

29(2025年6月20日)  


           ー聖地巡礼―         


ほぼ1年ぶりに県外を旅した。といっても海を隔てて向かい合う熊本である。

熊本への時間的最短ルートは武雄温泉と新鳥栖で乗り換える在来線を挟んだ2本の新幹線を

使うものだと思うが、今回天草の地も踏んでみたく地図を睨んで以下のルートにした。                  

 往路:市布→諫早(長崎本線12分)、諫早駅前→口之津港(島鉄バス1時間38分)、

         口之津港→天草鬼池港(島鉄フェリー30分)、鬼池港→本渡バスセンター(産交バス25分)、

         本渡バスセンター→熊本駅前(産交バス快速あまくさ号2時間32分)、

         熊本→新水俣(九州新幹線25分)          乗り換え5回・乗車乗船時間合計5時間42分                                     

 復路:水俣→八代(肥薩おれんじ鉄道1時間2分)、八代→熊本(鹿児島本線41分)、

         熊本駅前→熊本港(産交バス26分)、熊本港→島原港(熊本フェリー30分)、

          島原港→諫早(島原鉄道1時間15分)、諫早駅前→古賀団地(長崎県営バス34分) 

                                                                乗り換え5回・乗車乗船時間合計4時間28分                      

以上水俣と熊本で各1泊、家を出て東に歩き、帰りバスを降りて西から家に辿り着くまで、同じところは

通らない一筆書きの旅を完成させたことだけは秘かな自慢である。 誰も羨ましいとは思わないだろうけれど。           


目的地は水俣だった。池澤夏樹個人編集の世界文学全集にただ一人選ばれている日本人作家

石牟礼道子の「苦海浄土」をやっと読み終えた。 

私が学生の時、公害という言葉が危機感を持って使われるようになり、水俣病(池澤は「水俣病」と

いう命名は腹立たしい、相応しいのは「チッソ病」だと言っている)も大きく報じられていたが、私は学園紛争と

その余波の中で何もしないままボーっと過ごしていた。

そのまま意識から遠のいていた水俣病を近づけたのは昨年5月のマイク問題だろうか。毎年の慰霊祭の後、

患者や被害者団体と環境大臣との懇談会で与えられた3分!を過ぎて話し続けていた被害者のマイクを

職員が切ったのである。 昔も今も正当な扱いを受けることなくお座なりの対応で片付けられようとしている

ことを実感する。 水俣病はまだ終わっていないのだ。    

私は「苦海浄土」を石牟礼道子への文学的興味から読み始めたが、34号患者の江郷下マス女が

やはり水俣病で6歳で亡くなった娘和子の解剖された後繃帯でぐるぐる巻きの遺体を背負って線路を

歩いて帰る件などが頭に残り、どうしたらよいのか解らず、今流行りの聖地巡礼その場所に行くことしか

思いつかなかった。

しかしそこでも水俣病資料館こそ訪れはしたものの、あとはメチル水銀で汚染された水俣湾沿岸を

埋め立てたところ、今はスポーツ施設や公園バラ園となっただだっ広いエコパークを徘徊してきただけ

なのだ。

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30(2025年7月20日)   

       

     ー書くこと―         


私は書くことが好きではない。特に苦手なのが手紙文などの時候の挨拶だ。暑い寒い心地よいなど

特に感じていることがある時だけ書くけれど、普通はいきなり本文に入るので、私の手紙は大体

不躾で乱暴だ。 でも書くことそのものは嫌いでもない。書きたいことがない時には書きたくないし

書かないけれど、何か表したい伝えたいと思うことがあれば、話(声が通らない)や歌(音痴だし)や

身体表現(横着なので動きたくない)ではなく言葉を文字にして伝えたいと思う。

でも日常で目の前の人に筆談を試みることはなく、話すことでコミュニケーションを取る訳だけれど、

その場合3人以上だと特にそうなのだが口を挟むタイミングがわからず、でも言いたくて唐突に

割って入りその場の人を不安にさせることもあり、後になってあんなこと言わなければよかった、

あんな言い方しなければよかった、また言い方に限らず心遣いや態度全般を後悔することが多い。

それが以前より少なくなったのは他人と会う機会が減ったこともあるが、鈍感になってもきたのだろうか。 


書くことに特別な野心はなかったが、心に残る詩とか新しい見方の論文とか書けたらいいなと昔は

思っていた。 結局書けなかったしまあそれはそれでよいけれど、詩については、もしかして亡くなる

直前に数行浮かんでくるとあるのでは・・・・ないな。                       

それなのに日常で感じたどうでもいいことを書き留めたものはいくつかある。本の紹介にまつわるものが

100、エッセイっぽい雑文が150プラス30そのほか。 

でこの先も些細な何かをちょっと書きとめておこうということは、生きている限りあると思うのだけれど、

また少し切りの良いところでお休みしたい。                        

一番の理由は、10年目のパソコンが不調で近々買い替えることになりそうで、新しいそれを使えるように

なるのがいつかわからないからだ。 買い替えてまで持つ必要があるだろうか、もう年寄りだし今の物を

壊れるまで使いそれで終わりにすればとも思うが、音訳の校正編集作業にはどうしても必要だし、

生協の毎週の注文・図書館の本の予約・美術館の活動申込にもスマホよりパソコンのほうがやりやすい。

結局買い替えて使い慣れるまで悪戦苦闘することになるだろう。


   このような事情によりしばらくお休みします。

   これまで見捨てないで読んでくださっていた方々どうもありがとうございました。


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