106(2018年8月20日)
「 葉 界 線 (ようかいせん) 」
こんな言葉はない。私の造語だ。「ようかい」という響きはお化けの妖怪
みたいで良くないかもしれない。「じゅかいせん」(樹界線)のほうが
いいだろうか?
樹木を下から見上げたとき木をかたどる端の線が背景の空と接しているところを
私は自分で勝手にこう名付けている。
地平線や水平線も特別な線だが、地平線が見られるところは日本では少なく、
水平線には取り囲まれているけれど、どちらも遠くにしか存在しない。
でもこの葉界線は身近で、どこにでも見られるものだ。
木は自分と同じくこの地上から生えていて自分と同じ世界に属している、けれど
すぐ後ろの空には決して手が届かない。此方と彼方とのぎりぎりの境目、はるかな
高みを引き寄せているその線は、何か不思議なところのように思われ、じっと
見上げるたびに昔から妙に心がときめいた。なかでも車窓から見上げるものが
格別だった。
この線を意識し始めた最初は、18才まで生まれ育った盆地の町から、一人暮らしを
始めた勉学の地へ帰省を終え戻って行く時だった。
それは田舎町から都会へ向かうという意味合いも作用しているのかもしれないが、
単線列車の窓の外、あたりに生い茂っている樹木の先を見上げると空が見えたもので、
空と緑の葉が接している線をなぞりながら、様々に自分の境遇を思い浮かべた。
意気揚々と夢を追いかけている自分、不安に押しつぶされそうな自分、
家族と諍いを起こしている依怙地な自分・・・。
それらの小さな自分の上に空と木があった。
その頃から半世紀過ぎた今も見上げ見つめるのが好きなのは同じで、この葉界線・
樹界線をどこにいても探してしまうのだが、たまに乗る新幹線はトンネルの中ばかり、
高速バスは里山を抜けていくが樹木はなぎ倒されて遠くに退いている。
日々のJRや路線バスにわずかにそういう風景が残されているが、この夏は
尋常ならぬ暑さで、葉界線も烟り霞み溶け出しているようだ。
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107 (2018年9月5日)
「 尾 畠 春 夫 さ ん 」
シュヴァイツァーの再来かと思った。30歳までは自分と芸術のために
それからは世の中のために生きよう、と若いうちは神学や哲学を学び
パイプオルガンを弾き30歳からアフリカで私財を擲ち医療に尽くした
アルベルト・シュヴァイツァー博士(1875-1965)の再来かと。
これらは子どもの頃に読んだ伝記の記憶であって、今回調べるとそれ以外の
負の評価も博士にあったことを知るが、ともかく尾畠春夫さんの生き方は
人のために生きてノーベル平和賞を受賞したシュヴァイツァー博士を
彷彿とさせる。
8月16日山口県周防大島で3日間行方不明だった2歳の藤本理稀(よしき)
ちゃんを発見した尾畠春夫さん。
現在78歳という高齢なのだが、年齢を感じさせない逞しさだ。
65歳まで魚屋を営みそれを引退してからは、世の中のために生きようと
被災地でボランティアの日々だという。
貯金はゼロ、収入は5万円ばかりの年金だけだそうで、これで生活できるの
だろうかと思うが、暮らしぶりは質素、自らの哲学で理想を実践されている。
素晴らしい!こういうふうに年を取りたいというお手本みたいだ。
こんな人が本当におられたのだ。ほかにもおられるのかもしれないが、
ともかくあまりに清々しく衝撃だった。
でも尾畠さんを褒めそやすだけで終わってはいけないのだ。
私との年齢差は約10歳。私も現役を退き余生を送っている身だ。私は
何をしてるだろう。ボランティアという言葉は私にも一応当てはまる。
でも音訳も美術館もただ好きなものの延長でやっているにすぎない。
私も何かせねば。年だからという言い訳はもう通用しなくなった。
怠け者で自分の好きなことを優先している私の生き方を大きく変える
ことは不可能だが、尾畠さんの爪の垢ぐらいのことはしたい。
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108 (2018年9月25日)
「 あ と 3 年 」
「赤毛のアン」シリーズ、結婚したアンがギルバートと暮らす第6巻
「アンの夢の家」にはマーシャル・エリオットという男性が登場する。
別に主要人物ではないが、最初に読んだ子どもの時から意味はよく
わからないながら印象には残っていた。
堂々とした立派な人物であるらしいが、髪の毛は長く滝のように流れ
顎髭は膝近くまで伸びている。それは15年前の選挙で、支持する自由党が
保守党に負け、再び勝つまでは髭も剃らず髪も切らないと誓ったからなのだ。
この巻の最後のほうで自由党は雪辱を果たし、マーシャルは髭を剃り髪を切る。
カナダの田舎プリンスエドワード島、「赤毛のアン」の物語には教会宗派の
長老派だのメソジストだのの言葉はよく出てくるが、政治にまつわる描写は
第10巻で戦争になる以外ほとんど出てこないけれど。
15年間。それは髭も剃らず髪も切らない期間としては長すぎるが、政権
交代としては程良い長さのような気もする。羨ましい。
日本ではあと3年安倍総裁(そして多分安倍首相も)を我慢しなければ
いけないことになった。もうせめて自民党政権でもいいから安倍首相だけは
勘弁してほしいのだが。
どこがいいのだろうか? 政治を私物化しいろいろ問題のある安倍首相を
支持する自民党国会議員って何なのだろう?
憲法を変えて日本を戦争できる国にしたい人にはいいのかもしれないが、
その立場としても九条2項を残すのは論旨が一貫しないし、やり方は
姑息なのだ。
また株価が高値を維持しているから良しとする人がいるらしい。私は経済は
全くわからないのだが、会社や企業を支援することと今の投資や株の売り買いは
別物のような気がする。日銀を使ってそういう操作をしているだけで経済が
発展しているわけではないというのに。
小選挙区制が恨めしい。安倍首相を良くないと思っている人は少ないわけではない。
でも非自民の細川政権に政治改革の名のもと導入されたこの選挙制度で勝ち目はない。
一票の格差を言うなら比例代表だけにすればもう少し民意に近い結果になると思うが。
3年間の民主党政権も長い目でもう少し育てたかったけれど・・・。
ああ、あと3年見ざる聞かざる言わざるで生きることにしようか。
余談:映画化された「赤毛のアン」を、私はどうせアンのイメージに合う
俳優はいないと観たことはないのだが、ギルバート・ブライスに
相応しい俳優は見つかった。エディ・レッドメインである。
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109 (2018年10月25日)
「 思 い 出 す 」
シャロン・ストーン、青木理、スターバックスコーヒー・・・これらは、
その実像は浮かんでいて軽く口にしようとしたのに名前が出てこなくて
苦労した言葉たち。こんな時すぐ調べたりしないでただ思い出そうと
するほうが良いと聞いていたので、必死でそうしたけれどその時は
出てこなかった、そして後になってもう必要ないのに思い出そうとも
していないのに忽然と浮かび上がってきた言葉たち。他にもたくさんある。
一体どこに隠れていたのか、そしてそこからどんなふうにして蘇ってきたのか?
それは実に不思議な瞬間のように思われる。AIや脳科学の進歩した今、
特別な機械で覗けばその隠れ家からいろいろな細胞の隙間をかいくぐって
意識の表面にやってくる様が見えるのではないだろうか?
人は一体いくつの言葉を覚えているのだろうか? 言葉にとどまらず、
会った人の顔・表情・仕草、見た景色や場所、味わった感情や経験・・
どれだけのものが頭の記憶の襞の中に仕舞われていることだろう?
「私は見ることを学んでいる。すべてが心のより奥深くに入り込み、自分でも
知らなかった片隅に入り込んでいく」とリルケは「マルテの手記」のマルテに
語らせる。
見られたものが入っていく心の片隅とはどこだろう? また心とは元々どこにあるのか?
昔は胸の心臓のあたりにあるような気がしていたが、やはりすべてを司る脳、
頭の中に心もあるということなのだろうか?
「詩は感情ではなくて経験である。一行の詩を書くには、さまざまな町を人を
物を見ていなくてはならない」とまたマルテは言う。
見たものは心の奥底に入って行く。でも見て経験して心にとどめるだけでは
十分ではない。それらを一度は忘れることができなければならない、と。
「思い出が僕たちのなかで血となり、眼差しとなり、表情となり、名前もなくなり、
僕たちと区別がなくなったそのときに、まれな瞬間に一行の詩の最初の言葉が
浮かび上がるのである」
忘れていた言葉が浮かび上がる瞬間のことを考えていて、昔読んで感動したリルケを
思い出した。思い出つながり。
私が取り戻した言葉は詩ではない。言おうとして言えなかった、ずっと言えないままでも
別にかまわなかったもの。私のところに戻ってきたいとしい言葉たちだが詩ではない。
散文的な私から詩が浮かび上がってくることはないだろう。
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110 (2018年11月25日)
「 も っ と 光 を 」
文豪ゲーテが亡くなる前に言ったというこの言葉、最初知った時には
深遠な意味がそこにありそうで流石ゲーテ!と思ったものだが、
時間的には亡くなる2日前だったという説と共に、意味も部屋が薄暗いので
窓を開けて光を入れるようにということだったとかいろいろな説が
あることを知った。
ゲーテはそんなに頭デッカチの人ではなかったと思うから、部屋の明るさの
ことだったというのも人間らしい感じがしてこちらが正解の気がする。
そして私も(?)光や明るさには敏感で、空気よりも水よりも大切なものだ。
勿論北風よりも太陽が偉大なのだ。
そのお日さまにこの夏は随分苦しめられた。あまりエアコンを使わない我が家だが、
毎日何時間も使った。
でも夜は寝る部屋にエアコンがないということもあり、
北側と東側の窓を開け放し、団扇と扇風機でぐっすり眠った。
その部屋に朝日が差し込んでいたので寝坊の私でも何とか起きられていたのに、
秋分を過ぎるとそれがなくなり起きられなくなって困っている。
夏は少しでも日陰を探し家に居ればカーテンを閉じ外に出れば日傘をさしと、
極力日光を避ける日々だったけれどその季節も終わり、紫外線の量は変わらない
かもしれないのに日傘をささなくなり、バス停に立っていても同じ時間で
影の位置が違うことにも驚きながら夏とは逆の日向を求めるようになった。
距離は僅かだが日陰の国から日向の世界へ私一人の大移動である。
誰もがこのような心情でいるとすれば、高みからこの動きは潮の満ち引きにも
似て見えるのではと思うが、日差しで右往左往している人はもうあまり
いないのかもしれない。
バスの中でも私は、暑かったり眩しかったりでなければ少しでも覆いをあげ
明るい外の景色を見ていたいのだが、この頃そういう人は少なく一旦おりている
ブラインドは日が差してなくてもずっとそのままにしている人が多い。
自然に影響を受けない人が増えているのだろうか?
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