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146(2021年11月15日)
「 選挙 ― 略称 」
10月31日衆議院選挙が行われ、それに先立つ23日私は期日前投票をした。早々にだったが入れるところは決まって
いるし、出かけるついでもあったので。
比例区のほう、野党第一党の立憲民主党のつもりで記入台に書いてある候補一覧の中から迷わず略称で「民主党」と
書いた。小選挙区で立憲の候補者に入れていたら他の野党にしたかもしれないが、そちらの候補者は立憲ではなかった。
そして帰宅し新聞を読んでいたら「どちらも『民主党』立憲と国民、比例の略称が同じ」と載っている。えーっ、
どういうこと?
二つの党が同じ略称など夢にも思わなかった。同じものを届け出ても選管がそれを認めるはずがない。しかし公職選挙法
では認められていることで「投票用紙に民主党と書いた場合それぞれの得票割合に応じて票を割り振る『案分』になる」
という。
ダメでしょ。略称を書いて良いということなら同じ略称を認めたりしては。 選挙管理委員会に電話して「投票を
やり直させてほしい。それがダメでも同じ失敗をする人がでないよう各投票所で二つの政党が同じ略称だと注意を喚起
してほしい」と喚けども及ばず。
両党の正式名を書く人の割合が略称を書く人の割合と同じとは限らない。結果にどのように反映されるものか、
清き一票をないがしろにされたようで後味が悪い。
前の選挙で立憲民主党の略称は「りっけん」だったらしいからそのままでよかったのに。国民民主党は前も略称「民主党」
だったらしいから、なんとなく立憲のほうが危機管理が甘い感じがこの点ではしてしまう。また以前にも新党日本とたち
あがれ日本だかどこだかが同じ「日本」という略称だったらしい。それらには関係なかったから全く知らないままだった。
開票。立憲は惨敗である。比例区での立憲民主党の得票1149万票余り。国民民主党の得票259万票余り。案分割合が明示
されていないが、公表しているいくつかの県の票から全国で400万票とも推定されるそうだ。400万人が正式名でそれぞれ
書いていたらどういう結果だったろう? 国民は比例で議席を増やしたというが本当に国民のつもりの票ばかりだった
のだろうか?野党同士で足を引っ張りあっても仕方ないが。
この選挙でただ一つ良かったのは我が選挙区で自民党で安倍元首相の秘書だったあまり賢そうに見えない新人候補者を
開票30分後には落選確実にしたことだ。野党の中ではあまり支持していない国民民主党の候補者に入れた甲斐があった。
しかし選挙のたびにいつもやりきれない思いだ。日本ではどうして野党が伸びないのだろう。また組織の力が自民党と
野党との競り合いを決定付けたともいうが組織って何だろう? そして共産党はどうして嫌われるのだろう? 共産主義を
標榜しているわけではないし、安保条約破棄を公約にかかげてもいないのに。
日本の将来が心配だ。それも我々世代は安穏に死を迎え、すべての問題を次の世代に押し付けてしまうと思うと、
一層いたたまれない気持ちだ。
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147(2021年12月15日)
「 刑事コロンボ 」
このドラマが日本のテレビで初めて放映されたのは1972年らしい。評判になっていて観たかったのだが、
その頃私は3歳の子どもを保育園に預けてフルタイムで働いておりそんな余裕はなかった。
だからほとんど観ていないのだが、部分的に目に入り印象に残っていたのは傘から何かが転がり出て
決め手となった場面であった。
その後少しずつ観る機会はあったが、きちんと全部観たいという欲求は解消されないままだった。
2009年にかなりまとまって放映され、残さず観たつもりだったのだが、昨年ふと見かけたものに全然覚えがなく、
初めてきちんと調べ全部で69作あることを知った。(旧シリーズ45作1968-1978、新シリーズ
24作1989-2003)
有り難いことに今年9月第1作からまた放映され始めたので、今度こそぬかりなきようメモを取りながら
全作制覇を決意しているところである。
「コロンボ」はテレビ以前に舞台上演も少しあったようだが、テレビでのコロンボはピーター・フォーク(1927-
2011)一人で、映画「ベルリン天使の歌」の彼も知っているが、あれは俳優本人として出演していたので、
私にはピーター・フォークはそのままロス市警殺人課刑事コロンボである。69作には実に35年の期間があるので、
初期のコロンボの若さは眩しい。日本語吹き替えは小池朝雄、85年に亡くなってからの新シリーズは
ほぼ石田太郎である。
まず殺人場面で始まり犯人が最初からわかっているという設定は、犯人探しや謎解きが好きなミステリーファンには
あまり受け入れがたいものかもしれないが、普通のミステリーだと「読まなくてもよかった」という感想が湧く
私には、風采の上がらないコロンボがモタモタした感じで行きつ戻りつ次第に犯人を追い詰めていくのが愉快で
たまらない。
そして新シリーズは映像も綺麗な大画面だけれど、私には初めの頃の周囲が黒く囲まれている小さな画面のほうが
コロンボに似合っているし面白さが詰まっているようで好きだ。
作品としてあまり良い出来ではないなと思うものも勿論時々ある。また名作と言われていてもそのトリックが私には
ピンとこない場合もある。第19作「別れのワイン」がそうだ。これは「エデンの東」でジェイムズ・ディーンの
相手役だったジュリー・ハリスが老秘書役で犯人にあるプレッシャーをかけることでは興味深いが、私がワインに
あまり詳しくないからか意味がよくわからない。もう一度観たら納得できるだろうか?
先週は第13作「ロンドンの傘」だった。犯人夫妻の声は岸田今日子と高橋昌也。昔気になっていた傘から転がり
出たものを改めて確認したところだ。
毎週の楽しみであるこの放映が中止されることなく最後まで続きますように。
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148(2022年1月15日)
「 とりあえず 」
お正月にお屠蘇を飲む家は今どのくらいあるのだろうか?
その習慣のない家もかなりあると大人になってからは感じているが、私の育った家でお正月の
始まりはお屠蘇だった。卓を囲み「おめでとうございます」と皆で言い、お屠蘇を年の若い者から
順に飲んでいく。小さい子どもの時は口をつける真似事だけだったかある程度大きくなってからだった
のか覚えていない。反抗期時代は勿論皆揃うのも嫌だったが。
その時の器は白地に鶴の舞う絵柄の磁器で、三段重ねの盃と柄のついたお銚子が盆に載っている
ものだった。結婚して私がその準備をする立場になった時、同じようなものを揃えたいと思ったが、
夫は学生、事務職の私の収入はあったが貧しく、家庭教師先から結婚祝にもらった土鍋セットに
付いていた盃とお銚子でとりあえず間に合わせることにした。
そんな時代が何年か続き、その後幸い地方に夫は定職を得て私もアルバイトで済むようになりやがて
中古の家も買いそれがボロ家だったので建て替えることになりと、この流れの中でどこかで一家を
構えた自覚を持ち、屠蘇器ぐらいは正式なものを揃えても良かったかもしれない。
しかし未だあの土鍋の付録の盃とお銚子でお屠蘇を飲んでいるのである。土鍋は壊れてしまったが、
お銚子と盃は年に一度しか出番がないので無傷で残っている。お節料理は最初の貧しく忙しかった頃のほうが
まだ作る情熱があったが、元々そんなに伝統を重んじる性格ではないし年々手抜きになり今は生協の単品の
寄せ集めになってしまったが、お屠蘇は屠蘇散を一晩日本酒に浸すだけで簡単ということもあり同じ形で
40年以上続いている。
我が家には自慢できるような道具類は無く、ほかにもいろいろ仮に用意したものがずっと使われている。
卓上漬物器、プラスチックで金属のばねが重石代わりに押さえつけるもの。300円だったと思う。また兄や姉の
ところからもう要らないものを家計の助けにとよく送りつけてきた。姉が子育てに使った哺乳瓶消毒のための
アルミの大鍋。それを私も消毒に使い、その後今もたまにパスタを茹でたりする。結婚の時買った食卓は新しい物に
変わったが、古いものは椅子共々小川文庫の備品として今も健在だ。
何世代も使うことを想定した高級品ではなくとりあえず買った安いものを、節約意識が高いこともありいつまでも
(多分死ぬまで)使い続けている。こうして古いものに囲まれ、私の意識や気分も古びているのだろうか?
あるいは逆にその頃のかなわない夢を追い続け、人間としての成長を遂げられず、青いままでいるのではないか?
ふわふわ取り留めなく物にも気持ちにも確かな手ごたえを残せず、「とりあえず」生きたのが私の一生ということに
なるのかもしれない。
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149(2022年2月15日)
「 沖縄が可哀そうすぎる 」
勿論「可哀そう」みたいな情緒的な話ではすまないのだ。
日本では今新型コロナウイルスが猛威を振るい新規感染者は1日10万人に及ぶ日もある。第5波が
ほぼ終息していた昨年末岸田内閣も今度ばかりは幾分早めに対策を講じオミクロン株侵入を防ごうと
したが、空港検疫とは別の沖縄と山口の米軍基地からあっという間に全国に拡がった。水際対策というのは
時間稼ぎにすぎないとはいえ、日本でいくら必死の対策をしても、治外法権で国民性の大きく違う米軍に
よって水際作戦も暴力的に破られたのだった。
沖縄問題は遠いもの難しいものとして、私はずっと素通りし見て見ぬふりをしていた。
やっと少し関心をもつようになったのは池澤夏樹氏が沖縄に住むようになった1993年(~2005年)
頃から。2001年には朝ドラ「ちゅらさん」も放映され、家族で沖縄に行き普天間基地も訪れた。勿論中には
入れない。
太平洋戦争で被害を受けたのは日本中だった。各地で空襲があり広島長崎の原爆投下があった。しかし本土決戦の
唯一の現場となりひめゆり部隊など女子供も駆り出され集団自決にも追いやられた沖縄の痛ましさは本土に勝るとも
劣らないだろう。
戦後日本各地にあった米軍基地は次第に縮小され撤退していったのに、沖縄だけは日本国土の0.6%の広さしか
ないのに日本全体の米軍基地の70、3%を押し付けられているのである。米軍基地があることに何らかのメリット
があればまだしも、米軍機が墜落したり米兵による乱暴狼藉は限りなく、しかもそれに対して正当な抗議すら
できない。これはドイツや韓国など米軍基地のある国の中でも日米地位協定だけが圧倒的に不平等なのだ。政治家に
交渉力がないからか、元々沖縄を下に見ているのか。
また普天間からの辺野古移設。普天間の被害が軽減されても同じ沖縄に置き換えられるなら意味がない。しかも
調査が進むと辺野古は土がマヨネーズ状で費用がどれだけ必要か見通しがたっていないという。それなのに役人
政治家は自分の懐が痛むわけではない税金だからか考えを改めようとしない。またこれは中断している話のようだが
沖縄戦激戦地だった南部のまだ遺骨が残っている場所の土砂を投入しようとすらしたのだ。
住民投票で辺野古基地移設反対の意思表示を何度しても、玉城知事がいくら抗議しても事態が変わる気配がない。
今の状態は絶対おかしい。強者の論理そのもののような橋下徹さえ知事時代「大阪に基地を受け入れてもいい」
と言ったのだから。
先月玉城知事のトークキャラバンをZoomで視聴した。芸人のえもりこうすけさんが「政治家が沖縄に寄り添うと
言うがどう見ても人という字みたいに(長いほうが短いほうに)寄りかかり過ぎでしょ」と言っていた。
本土復帰50年の今も被害は現在進行形なのだ。
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150(2022年3月15日)
「 また会う日まで 」―読書
朝日新聞2020年8月1日―2022年1月31日連載全531回(但し87回のみ欠落)
著者:池澤夏樹 挿画:影山徹
新聞連載を少しずつ読むのは苦手なので毎日切り抜きあとでまとめて読むことにした。紙面中段のそれを
切り取ると残りがビラビラしておさまり悪く、一番下に載せてくれればいいのにとありえないことを願ったが、
何と3回(123・319・437)は一番下に掲載されていた。今までそういう配置を見たことがなかったので驚いた
がその3回は楽で有難かった。またうっかりと第87回は切り抜くのを忘れていた。毎回番号が連続していることを
確認していたつもりだったのに。
終わりを待っているのに一年過ぎても一向に終わらない。いつまで続くのかわからず323回(10章分)までを一度
読んでしまい、その後は1章終わるごとに読み進んだ。その際人間関係が複雑なので家系図を作りながら、
それも始め小さな紙に書いていたらゴチャゴチャになったので大きなカレンダーの裏に書き直した。
著者池澤夏樹氏の父方の祖母の兄にあたる秋吉利雄(1892.11.18-1947.3.23)という人物の生涯が描かれる。
著者は北海道出身なので先祖も北の人だろうと思っていたが祖母トヨも利雄も意外なことに今私の住んでいる長崎の
出身だった。また私は岡山出身だが利雄の職場が戦争末期疎開するのが岡山県笠岡市そこに利雄の甥(著者の父)が
訪ねてくるとき身を寄せたのが備前矢田。小さい時から知っていた地名がちらほら登場するのは、そのような親近感が
読書に必要かどうかは別として嬉しいことではあった。
でも秋吉利雄という人は私にとってどのような存在か?著者が連載を始めるにあたり述べている。「主人公に決めた
理由は三つの資質―敬虔なキリスト教徒。海軍軍人。天文学者―がいかに彼の中で混じりあっていたか、あるいは
戦いあっていたか・・・」。それが執筆理由のようなのである。それらは三つともあまり私には受け入れやすいもの
ではないように思える。信仰心がなく、戦争物は読んでいてもすぐに訳が分からなくなってしまうし、物理は高校の
時100点満点の4点だったから。でも著者の「スティルライフ」の雪の表現に心奪われて読むようになったのだが
あれは一つの天体体験とも思えるし諦めるのは早い。
一読すると病気で若くして亡くなる人が多いのに驚く。妹トヨが産褥熱で、最初の妻チヨが腹膜炎で出産後1週間で
その時の子も生後10日で亡くなる。養子文彦は結核で18歳で、後妻ヨネの3男恒雄は肺炎で2歳で。そういう時代
だったということであろうか。はかない。妹の夫福永末次郎は妻を天に召した神から遠ざかるが、利雄の信仰心は
揺らぐことはなかった。利雄の父が熱心なキリスト教徒で一家で牧師館に住んでおり利雄は16歳で按手式を受け
信徒として生きることを誓っている。海軍兵学校に進むとき教会の師の「軍人は第六戒に反する」という反対が
あるが、海に出たい気持ちで進学する。また当時のエリートは軍人になるのが自然でもあったのだろうか。
以後順調に海軍大学校専科学生そこから東京大学天文学科に進み水路部に勤務するようになる。水路部とは1871年に
開設された部署で戦時平時を問わず空と海の安全のために海図天測図を作るのが仕事である。そこでローソップ島の
日蝕観測など輝かしい業績もあげる。太平洋の海底の山には「秋吉平頂海山」とその名も残されている。
海軍少将にまでなるが戦場に出ることも戦争を指揮することもなく(しかし戦争に加担している自分は二つの顔を持つ
イソップのこうもりではないかというジレンマを持ちつつ)終戦を迎える。敗戦時すべての資料を廃棄せよとの上層部
からの指令に逆らい、戦争が終わった今こそ必要なものとの信念で水路部の資料を守り、妻の伝手を頼ってGHQに渡す。
しかし軍人であったため公職追放となり、失意のまま持病の肺病を悪化させ54歳で亡くなる。
公職についている公人として様々な資料がるし個人としても細かく記録を残す人であったらしい。メモや写真(挿画に
反映)がちりばめられ、讃美歌「また会う日まで」に始まり旧約から新約、詩篇から黙示録、物理の三角法や通信法や
相対性理論の説明。また卒業式答辞から終戦の詔まで漢字カタカナの漢文調の文章が多用され、終始読みにくい文章で
あったことは事実だ。
しかし一気に読んでしまうのではなく少しずつ読み進めることにより、私の生きた時間とは60年近い隔たりがありながら
時として同じ時間を生きている感覚も生まれた。また436回目沖縄戦で自決した大田実司令官の「・・沖縄県民斯ク戦ヘリ
沖縄県民ニ対シ後世特別の御高配ヲ賜ランコトヲ」という長い電文には現在に繋がる示唆が見られる。
そしてまた信じられないことに1941年のハワイ真珠湾ならぬ2022年2月24日ウクライナにプーチンは軍事侵攻しそれは
まだ続いているのである。