126 (2020年3月30日)
「 眼に見えない 先も見えない 」
最初は「逃げ切った!」と心の中で快哉を叫んでいた。
2月中旬の長崎から首都圏への旅行、何年もしてなかった義母のお墓参りをし、義妹たち
友人たちと久々に会い、観たかった展覧会にも合わせ、何カ月も前から飛行機・ホテルを
予約し楽しみにしていた。「新型コロナウイルス大丈夫?」と危ぶむ声はあったが中止という
選択肢は私にはなかった。事態が緊迫すれば誰にも会わずにお墓参りだけということも
うっすら頭に浮かんでいたが、すべてを予定通り終えることが出来た。義妹夫婦も別の地の
親戚も2か所の友人たちも、誰も皆マスクもせずにこやかに迎えてくれた。
元気に帰ってきたが、感染しても発症せずそれでいて人には感染させることもあるというので、
長崎へのウイルスの運び屋になってはいけないと、外出予定はキャンセルし近所への買い物は
マスクをして行い、祈る気持ちで2週間過ごした。
どうやら自分が感染者になることも、人を感染者にすることもなく済んだようだ。
でもその頃は考えてみればまだ長閑な黎明期だったのだ。
そのうち終息するであろうと思っていたコロナ禍は、どんどん世界中に広まり悪化の一途を
辿っている。
そこにいるかもしれないウイルスを肉眼で見ることができないというのは、先日9年目を迎えながら
一向に先の見通しが立たない原発事故・放射能の怖さにも近いけれど、一方で8割は軽症または
発症もしないというこのウイルスの性質には、不可解さで焦燥感が一層高まる。
SARSにMERSにエボラ出血熱、またヒアリにリーマンショック、これらの危機を対岸の火事で
何とかやり過ごせたのに、今回こういう事態になるとは思ってもいなかった。
何をどうしたらいいのか? 私は遠い先のことは元々あまり考えない人間だ。年寄りには
実際問題もう遠い先はないし。でも明日明後日や来週来月のことはかなり予測し段取りし
遣り繰りするタイプだったのに、その近い将来が全く見えない。
ただもう仕事はしていないから経済活動の中止などは影響なく、外のボランティア活動は減って
いるが自宅でしている音訳は、音訳者さんも外出が減り活動がはかどっているのか、校正係の私に
音訳図書がひっきりなしに送られてくる。不安に陥っている暇がないのは有難いことだ。
政府の支援も全員一律バラマキなど乱暴なことをせず、本当に困っているところから早く手を
打ってほしい。
ひとつ救いは若者のほうが軽症で終わるらしいことだろうか。多和田葉子の「献灯使」のような
子どもが病み老人ばかりが生き延びているディストピアは悲惨すぎる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
127 (2020年4月20日)
「 戦後最大 」
ドイツのメルケル首相が2月頃だったか、この新型コロナウイルスのことを「戦後最大の危機」
と言っているのを聞いて「それほどのものだろうか」と思ったのだけれど、彼女は正しかった。
そのウイルスはたちまち世界中に広がり感染者は4月20日現在223万人を超え、死者も
15万人となっている。
いち早く状況を察したメルケル首相のもとドイツは、検査も行き届き感染者は14万人と多い
けれど死者は4586人と驚くほど少なく、医療崩壊も起こらず、隣国の患者たちの受け入れ
すら行っている。
難民を大量に受け入れるという政策がドイツ国民に不評で人気も落ちていたけれど、再び
信頼を得ていることは他国ながら嬉しい。先見の明の大切さ、リーダーの資質というものに
ついて改めて考えさせられる。韓国や台湾も経験を活かした着実な対応をしているようだ。
1989年ベルリンの壁が崩壊しその後ソ連もなくなり冷戦が終わり、これからは貧困や格差の
問題・環境問題が人間共通の課題になると思っていたら、自国の利益しか考えないリーダーが
あちこちに現れ、温暖化など人間の暮らし方が原因の自然災害が年々猛威を振るい、
そしてペストやスペイン風邪を経験していないものにはSFかとも思えるウイルスとの戦いになって
しまった。敵が人間ではないというのが唯一慰められるところだろうか?
武漢で新しいウイルスが現れたようだとの日本での報道は12月には既にあった。それから時間は
たっぷりあっただろうに、とても十分な対策がなされているとは思えない。
日本の検査数の少なさが言われる。少しでも疑いのある人が早くからきっちり検査され隔離されて
いれば今こんな済し崩し的な拡大はしなかったのではないだろうか?
ああどうしたらいいのだろう? どうするかよりどうしないかのほうが大切かもしれない。もう十分
生きた年寄りでいつ死んでも文句は言えないけれど、ここで自分の不注意による感染をして
医療現場を煩わせてはいけない。
今のところ家族親戚友人知人に感染者はいないけれど、福岡の感染症指定病院で働いている
娘のことが心配だ。自ら感染することなく、任務を全うして欲しい。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
128 (2020年5月20日)
「 忙中閑無し 」
このご時勢に、私はコロナウイルスと関係ない三つのことで忙殺されている。
一つ目、ボランティアでやっている音訳校正。自宅に音訳者が録音したUSBと原本が
送られてくる。それを聞きながら読み間違いなどチェックし校正表をエクセルで記入し
返す。そうするとまた次の本が送られてくる。これまではその間隔が1か月近くあったが
この頃は約1週間で次が届く。目が疲れるので夜パソコンは開かないし一日中やっている
わけではないが、好きな作業なのでこの間は食事もしたくない(正確には作りたくない)
ぐらい根を詰めており、終わったらぐったりし数日はのんびりしたい。
がぼやぼやしていると次の本がくるので早めに二つ目の断捨離に取りかかる。
終活を兼ねて前からしたいと思っていたのがこの頃やっとやる気に火が付いた。あまり物を
溜め込まない性格と思っていたが、25年同じ家に住み続けるとかなり不要のものが溜まっている。
いつか使えると置いていたもの(実際これまでは時をおいて使いだしたこともあった)も、老い先
短い今そういう判断は残された家族に迷惑なだけだ。形見にできるほど値打ちのあるものは
皆無だし。普段ごみ捨ては月1回くらい(生ごみは裏のコンポストに毎日捨てるから)だったのが、
このところ大きなごみ袋を毎週出しに行く。暑くなるまでには終わらせたいのだが。
そして三つ目は、手荒れがひどくその手当てをしたり悲観して世を儚んでいるだけで時間が
過ぎていく。炊事の洗い物はもう何十年も綿手袋+ビニル手袋でしているが、このごろ調理も
素手では痛くこわごわ工夫してやっているので時間もかかる。先週皮膚科に行った。大体混んでいる
ところだが、今は間隔を置いて座るように指示され、待合室からも2階から1階への階段からもはみだし、
道路で順番を待った。それほど人気のお医者様だが、私にはこの頃あまり効かないのだ。70過ぎた
去年あたりからステージが更に上がった気がする。
この三つであまり安らげる暇がない。
でも頭の中はいろいろな思いがかけめぐる。日本でPCR検査数が少ないのは、オリンピック開催のため
検査は抑え実態を隠す方針だったのが尾を引いているからではないだろうかとか、検察庁法改正案には
安倍政権に「恥知らず!」と心の中で毒づいていたが、ツイッターのうねりのお蔭で今回は見送りになった。
何もしないで恥ずかしいのは私のほうだった。10万円給付には私の収入は元々ないし旅行を取りやめ
むしろ支出のほうが減っているし別にもらわなくていいのだが、辞退しても信頼していない国に武器を
買ったり辺野古の工事費用に使われるのはたまらないから、受け取って困っているところに再分配する
つもりだ。その相手と割合も考えなければならない。忙しい。
____________________________________________
129 (2020年6月20日)
「 移動図書館―本吉(ほんきち) 」
昔、市立図書館や県立図書館に行くとそこには、本や新聞や雑誌を思い思いの席で
ゆったりと読んでいるお年寄りの姿があった。その頃の私には本が必要で図書館に行っても、
そこで時間を気にせず過ごす余裕がなく、いつかこんな身分になりたいな、家から歩いて
いけるところに図書館があったらいいなと何とも羨ましい気持ちで眺めていた。
その後もそういう恵まれた環境になく、もう30年住んで多分終の棲家になるであろう今の
場所も本の過疎地だ。
大きな図書館に行くにはバスで30分以上かかるし、そことネットワークを組んでリクエスト
すれば届けてくれる地域の図書室にもバスで15分かかる。
こういう状況もあって自分で小さな文庫を開いた。この文庫の蔵書をどんどん増やせば
いいのかもしれないが、ニーズと予算とスペースの関係からこの頃は軽い興味の本は借りて
読んでいるのだが、それには長崎市のネットワークにバスで行くしかないと諦めていた。
が最近ある変化があった。文庫のお客様が本吉のことを教えてくださった。
隣の諫早市の図書館ネットワークが移動図書館を運行しているという。
諫早中心部にもバスやJRで行くことが出来、距離は長崎に出るより短いのだが、車を持って
いない限り本数や停留所までの距離など便は悪い。
しかし長崎市一番はずれのここから10分歩けば、その移動図書館の巡回地に行ける。
第2・第4金曜午後2時20分から45分までが決められた時間で、そこで過ごせるわけではないが
歩いていくことができて私の理想に最も近い形だと、以来欠かさず通っている。
車中の両側と外側片面が書架になっていて、並んでいる冊数は少ないがリクエストにも応えて
諫早のどこかから運んできてくれる。私は長崎市民で諫早市民ではないのだが大きな顔をして
利用させてもらっている。話題の本を長崎で予約すればおよそ300番目になるが、こちらだと
100番くらいで早い。
受け渡しも外で行われて風通しがよく、コロナウイルスにも安心と思っていたが、本館の休館で
本吉も1か月来なかった。それがまた再開されて嬉しい。
ただこれからの季節は午後2時台というと真夏の炎天下である。大雨でもいいから涼しい日で
あることを祈りつつ本吉に会いに行くことにしよう。
2021年6月18日:この日午後の巡回時間に行けなくなったので、午前中の二つ隣の公民館まで
行くことにし、前日図書館に変更の電話をした。その時「借りることになって
いる本もそこで借りたい」こと伝えたのだが、その場所に予約した本は届いて
いなかった。仕方なく「キャンセルします」と言う私に、司書の方は本館に連絡し
予約していた2冊を急遽わざわざ持って来て下さったのだ。申し訳ない。私の
言い方が悪かったのかもしれないのに。
たらみ図書館本吉号には感謝してもしきれない気持ちである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
130 (2020年7月20日)
「 レジ袋有料化 」
7月1日から全国のレジ袋の有料化が義務付けられた。
私も市の指定ごみ袋ができるまではレジ袋をもらっていた。その頃は自治体から大きな
半透明のごみ袋が定期的に配られていたが、私は市から補助されてコンポストを設置し
また地区の廃品回収を利用しゴミは少なかったので、配ってくれる当番さんにあげて
ゴミ捨てはレジ袋を使っていた。
が指定ゴミ袋になってからレジ袋は不要になったので買い物には何らかの袋を持参する
ようにし、たまに忘れると悔しくて歯噛みした。
しかし「袋は要りません」と言うと、かなり変人と思われる時代もあり、万引きをするつもりと疑われた
気がしたこともある。けれど店の対応も徐々に変わってきて袋分の2円ほど割引される店もできた。
でもレジの人もマニュアル通りに素早くお客をさばこうとしているのに、自分で「手持ちの袋に
入れます」というお客は流れを乱す面倒な存在だったろう。
レジ袋はプラスチックごみの中では2パーセントに過ぎず環境への影響は少ないのにと
有料化に異議を唱える人もいるが、その後も使う人は何円か出して買えばいいし、すぐに
捨てられる可能性があるものはできるだけ増やさないほうがいい。
私も徹底できているわけではないが環境意識が芽生えたのは、犬養道子さんの「人間の大地」を
読んでからだ。難民や貧困や格差の問題を提示し、社会性皆無のぼんやりした私を打ちのめした
本である。その後読む本が少しは変わり環境問題にも自覚的になった。
それと倹しく育った家庭環境と時代背景の中で「もったいない」という意識は元々私の性として
身体に沁みこんでいたようにも思う。このMOTTAINAIはノーベル平和賞を受賞したワンガリ・
マータイさんによって世界中に広まった。
しかし身の回りに、今はゴミではないけれどやがてそうなりそうなプラスチック製品の何と多いこと。
人間の暮らしはどこから変わってきたのだろうか。
火を使い土器や石器を作るまではまだ人間は自然の一部だったろう。決定的なのは物を化学変化
させる能力を持った時、自然界にないものを作り出すようになった時。
長い歴史の中でそれ以後のほうが圧倒的に短いがもうどうしようもないところに来てしまった気もする。