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81 (2016年7月10日)
「 『売れる』と『読まれる』 」
私は今、図書館に4冊予約申し込みをしている。 評判になっているから読んでもいいかなと
思ったのだ。
「教団X]と「流」と「鹿の王」と「羊と鋼の森」で、申し込み時期もその時の待ち人数も様々だったが、
10日現在でそれぞれ39番87番34番244番目だ。
図書館がベストセラーを早々と購入貸出するのはいかがなものかと、出版社や作家協会から
問題視する声があがっている。 私も大量の複本はどうかと思うが、多くの人が図書館で借りて
読むのはいいことだと思っている。 無料だからこそ読もうとしているだけで、借りられないから
その人たちが買うようになるかというとそれはないだろう。
図書館が購入することで助かっている作家もいるはずだし、文句を言っている作家はもう十分
儲かっているだろうに、と。
でもドイツの図書館には、ベストセラーである間は有料(2ユーロ)で貸し出す制度があることを知った。
(朝日新聞6月14・15日) その収入は次のベストセラーの購入にあてられ、有料に抵抗があるなら
順番は遅くなっても無料貸し出しを待てばよいという。
そういえば昔、書店と図書館の間に貸本屋というものがあった。 子どもの時近くの貸本屋に通い、
江戸川乱歩やルパンやホームズを読んだのを思い出す。 今のレンタルショップではCDやDVDを
借りることができ新作や旧作への配慮もあるが、一般書のレンタルはないような気がする。
またドイツに限らずヨーロッパでは、公共図書館の貸し出し回数に応じて作家に手当てが支給される
という。 「売れる」というのは一時的な市場での現象で、物書きの本来の喜びは「売れる」ことよりも
「読まれる」ことであるはずだ。 「読まれている」ことが評価され正当な対価が支払われるのは、
作家にとって励ましにもなるだろう。 日本にもこのようなしくみが整うことを望む。
私も文庫をやっており、図書館のはしくれ。 「読まれる」ことに少しでも貢献したいが、悲しいかな
利用者は減っている・・・。
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82 (2016年8月1日)
「 ゲ ー ム 」
巷で話題のものはまずスマホを持っていないししたいとも思わないが、私もゲーム歴は長い。
98年2台目のパソコンWINDOWS98にゲームがいくつか内蔵されていたのでするようになった。
メールチェックなどでパソコンを開く度いつもついでにやっているので、この18年間ゲームを
しなかった日のほうが実は少ない。
指先を動かしながら、ぼんやり遠くの行仙岳を眺めたり、また頭で気にかかっていることを反芻したり、
ともかく込み入った心の整理をする時間でもあり、私にとっては悪いものではないと思っている。
今の8.1(→強制的10)はパソコン内蔵になっていないから、無料のものをいくつかダウンロードして
やっているが、ゲームのやり方はVISTA内蔵のものが一番進んでいてやりやすかった気がする。
点数制のゲームより最後が上り(?)のものが好きで、フリーセル・スパイダー中級・ゴルフなどを
いくつか一通りサッとする。
その「サッと」があまり簡単にすんでしまうと物足りないし、そこそこ苦労の末達成というのが一番
望ましいが、思い通りにはいかず終わりたいのに終われないという時もたまにある。
やめられない麻薬や賭け事などはこれと同じ気持ちなのだろうか。
でもこれらみな、一人黙ってじっとしてできるからやっているのであって、ネットで誰かと対戦とか
外に出て歩きながらなど考えられない。 ポケモンGOなるものそんなに面白いのだろうか?
現実に1歩踏み出したのなら、虚構のモンスターを探さなくても本物の怪物があちこちにいる。
それらを見つけて立ち向かってほしい。立ち向かいたい。
*こんなに好きだったゲームも2018年6月ごろ、お気に入りに入れていたいくつかのゲームを、
前から少しは目が疲れるからやめようかなと思いながら決断していなかったのに、ふと
バッサリ削除して、それ以来一度もやっていない。やりたいとも思わない。意外と簡単に
やめられるものである。
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83 (2016年9月10日)
「 私の お葬式 」
年齢のせいか葬儀に参列する機会が多い。
伝統に則ったしめやかな儀式から帰宅し、我が家の場合を考えると途方に暮れてしまう。
一応生家は天台宗、結婚してからは浄土真宗の檀家ではあるが、次男三女の我ら夫婦の家には
仏壇もない。遠方に住んでいるのを口実に不義理を尽くしている。 そんな自分たちに相応しいのは
いったいどんなお葬式なのだろう。
まず私の場合を考えてみた。
家族葬で夫、子供、孫が来てくれるならそれだけで葬儀屋さんに頼んで行う。戒名は要らない。
親戚・知人・友人らに死亡の知らせと1・2週間後のお別れ会を伝える。
お別れ会は土曜日午後1時から5時の間に場所は自宅書庫の「小川文庫」で行う。 会費は無料で、
服装も自由。 そこは普段の文庫だが小さな遺影と遺骨、ゴッホの絵ハガキを飾り、音楽はバッハの
フルートソナタかバイオリン協奏曲が流れている。
来ていただいた方には、挨拶の文章と文庫内の好きな本を1冊持ち帰ってもらう。
親戚にはその後の宿泊場所と会食を用意しておく。
遺骨は毎日眺めていた行仙岳山頂にほんの少し散骨し、後は娘二人に分骨しそれぞれ好きなように
してもらう。
これでいい。何だか楽しくなってきた。早くしたい。でもその時私はそれを見ることが出来ないんだ・・・。
夫の場合は未定。
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84 (2016年10月10日)
「 隔 靴 掻 痒 」
靴を隔てて足の痒いところを掻く、思うようにならなくてもどかしいことを表す四字熟語に
この表現がある。
痒いところが掻けないもどかしさは誰にも身近なものだからこのような熟語が生まれたのだろう。
逆に「痒いところに手が届く」という言い回しで細かいところまで配慮が行き届いて気が利いて
いるという意味になるが、何らかの痒さに長年苛まれている者にとっては、手が届いて掻くことが
できてそれで一件落着と終わらせてほしくない。
身体的苦しさには様々なものがあり、そのトップはまず痛みであろう。それは時として生死にも関わる。
私にも痛い部分もあるのだけど、また自分の経験からは吐き気・嘔吐感が最も嫌なものという認識が
あるが、痒い辛さは独特である。
痒い所を掻くことができるならそれは瞬間的には至福快楽といえるかもしれない。 マイナスの
状態から掻くことでプラスの気持ちよさに変わるのも痒さの特性だ。でもその掻き毟る心地よさは、
すぐにやりすぎて血が滲み痛みも伴ってくるのだ。 痛みが癒えるころには新たな痒みが始まる。
痛みには失神という逃げ道もあるが、痒さは我慢できない時でもなかなか失神は出来ない。
神様はどうして痒さという試練を人間にお与えになったのだろうと不信心な私ですら神仏を
思い浮かべ呪いたくなる。
このように痒みというのが身体的苦痛の中で決して生易しいものではないのに、状況を訴えても
あまり同情も理解もされない。
まあ私の場合は日常生活が送れないほどではないから我慢するしかないかと思うことにしている。
身体中の無残な掻き痕を眺めながら。
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85 (2016年11月10日)
「 アメリカ大統領選 」
今年は年頭からゲスという言葉が流行っていて嫌な予感がしていたが、果たして本当に
ゲスの極み大統領が誕生してしまった趣だ。
選挙の日には博多の大通りが陥没するし、まさに異変の前兆はあった。
政治のことはわからないけれど、この新しい大統領にまず人間としてまともな部分が
あるのだろうかと思う。 フィリピンのドウテルテ大統領がよく比較されていたが、やり方に
問題はあっても犯罪をなくそうとしているし差別主義者でもない。
でもトランプは女性蔑視・人種差別の権化ではないのか。
共和党は元々好きではないが、そこの候補になったのも驚きだったけれど。
ヒラリーはどうして嫌われたのだろう。 私的メールを公的に使用というのは、公的メールを
私的に使うよりはいいんじゃないかと思ってしまう。 初めて彼女が表舞台に出てきた時、
職業が弁護士だが専門分野が子どもの権利というのに好感を持った。
上院議員に当選したスピーチで「私に投票してくれた人達、あなた達のために私は働きます。
私に投票しなかった人達、あなた達のためにも私は働きます。」と言ったのも印象に残っている。
サンダースなら勝てたのだろうか。もう少し彼が若かったならば。
強いアメリカのためにトランプが何をするのか。白人男性の白人男性による白人男性の
ためだけの政治になりませんように。 しかし世の中本当に何でも有りなのだ。
15日: 投票総数ではクリントンのほうが上回っていたらしい。 以前総数ではゴアに
負けたのに大統領になったブッシュはイラク戦争を起こしたし、選挙人制度は
やはり問題なのではないだろうか。
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86 (2016年12月10日)
「 こんにちはコタツ 」
「さようならコタツ」という中島京子の短編がある。
15年間使ったコタツを捨てるところから話はスタートする。このコタツは男と縁がなかった
時間の比喩なのだ。
私は実際のコタツを捨てたことがない。冬の生活には欠かせないものだ。
子ども時代は、茶の間の食卓の下がヒーターで暖められる掘りごたつになっていた。
家族が7人と多かった頃正方形の一辺に1人で座るのは父だけで、あと3辺は2人ずつ
私は母と並んで座っていた。
その家を出て一人暮らしを始めるようになった時、間借りの一部屋に腰掛の勉強机のほか
75センチ四方の電気ゴタツを第一産業で買ってきた。 その店の名前はデオデオを経て今
エディオンと変わっているが、そのコタツはヒーター部分こそ壊れて2回取り替えたけれど
まだ私の部屋に変わらずあり、なくてはならない暖房だ。考えてみると50年近く使っている。
春先暖かくなるとコタツ布団など一式片づけるのが面倒だけれど、寒くなると毎年いそいそと
準備し暖かい小さな空間に下半身をいれるとホッとする。
私一人の部屋なので部屋全体を暖めるのは勿体ないし、頭寒足熱がやはり頭を働かせるには
(あまり働いていないが)向いている。
そして実はリビングでも冬になるとテーブルがコタツに変身する。食事は灯油ストーブをそばに置き
椅子テーブルでするが、食後はフローリングの上にカーペットを敷き設えたコタツに移動する。
お客を通す場所としてはむさ苦しい感じだけど、広いリビングで寒くないよう過ごすにはやはり
コタツの助けも借りたい。 夜遅く一人コタツに潜り込んで「アメトーク」や「怒り新党」を観たりもする。
このようにこよなく愛しているコタツだが、年配の人でももうコタツは使っていないとも聞くし、
近い将来コタツは日本の家屋から消えていくのだろうか?
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87 (2017年1月10日)
「 古レコード復活 」
川上未映子の影響でショパンの子守歌こそしばらく聴いたけれど(短章79)、ほとんど音楽とは
何年も縁がない。
音痴だからカラオケは全然行かないし、歌番組もラジオもCDもあまり聴かない。
料理は無音状態で顔をしかめて苦行のようにやっている。読書は静かに目だけの世界に没入。
それがこのところ音楽三昧の日々だ。
それもコンサート会場や先端のストリーミングサービスなどではなく古いレコードで。
レコードやテープをCDやSDカードに録音するという機器が通販などによく出ているのが気に
なっていたが評判はあまりよくないようだ。電気店には全然置いてない。
でも店頭で初めてそういう機器を見かけ、それもTEACという私は知らなかったがれっきとした
音響メーカーのものだというので、いいのかなと思い買ってしまった。
今あるミニコンポのCD読み取り部分が不調という事情もあった。税込み約5万円。
レコードの聴けるステレオが壊れて処分して以来触ることのなかったレコードを取り出す。
幸いカビはきていない。スプレーを吹きかけクリーナーで磨くとかなりきれいになる。 恐る恐る
かけてみる。
きれいだ! 音もやわらかく優しい。 これまでのデッキがそんなに良いものではなかったのか
今の性能が進化しているのか、昔より良い音のような気さえする。 それとも単に聴き手の
心理状態のせいなのか。
ドルドラの「想い出」は、初めて自分で買ったレコードだった。 あまりに昔のことで
以後CDで買いなおすことも考えなかった。何度も聴いたせいか時々プツッというところがあるし、
遠くで小さくザーッという音が聞こえるような気もするが、昔の感動が甦ってくる。
ドーナツ盤であとA面にはマスネの「タイスの冥想曲」B面にはメンデルスゾーン「歌の翼に」と
ディニキ「ホラスタッカート」が入って全部で15分ほど。
1枚のレコードの時間ってこんなに短かったのか。 これはドーナツ盤だけれどLPでも
片面25分ぐらいだ。
このままレコードで聴いていてもいいが、時間が短いからすぐに終わってしまうし針も傷んでくる
だろうしCDに録音した。 まだあと60分ぐらい入れられるが、「想い出」のジャケットをカラー縮小
コピーして表紙にした。
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88 (2017年2月10日)
「 ガ ス 礼 讃 」
去年は我が家の備品がいくつか買い替えの必要に迫られた年だった。
台所の煮炊きはガス(集中プロパン)なのだが、炎の色が赤く点検の人にもう古いから直らない
と言われていたし、点火したつもりでついてないこともよくあるので、思い切ってビルトイン全体を
取り替えた。 税工事費込みで77000円。
オール電化にしないかという勧誘は多いが、エネルギー源は多様なほうがいいと思うし、友達が
「ガスコンロも良くなってるよ」と言っていた。 (ボイラーは灯油)
さて2・3時間の工事の後新しくなったそれ、まずIHの真っ平には及ばないが以前よりははるかに
掃除しやすい。
そして驚くべきは、ガスの真ん中に直径1センチほどの金属の円柱があり、それが鍋の底に必ず
触れてセンサーの役割をする。
だからお湯を沸かそうと思ったら、タイマーもついているが、薬缶マークのボタンを押しておけば
沸いたらピピピと音がして自動的に切れる。 空焚きも察知して警告音を鳴らしたり自動的に
切れたりする。すごいすごい!
また、サービスで炊飯鍋がもらえた。電気炊飯器がまだ新しかったので必要ないし、ほかの品が
欲しかったが、メーカーが付けてきたそれしかサービスはないと言うので仕方なくもらい、
1回ご飯を炊いてみた。
そうしたらおいしい、しかも簡単で速い!
電気のは中釜や蓋の付属品など洗わないといけないものがたくさんあったが、これは鍋と蓋だけだ。
そしてご飯マークのボタンを押すと自動的にはじめチョロチョロなかパッパッと炎が定石どおりに変化し
炊き上がると切れる。
時間も電気はエコ炊飯で62分だったが、これは20分あまりだ。
ただ予約はできないが、遅く帰宅してからでも20分ぐらいで炊けるなら十分だ。
ガスをたくさん使わせようというガス会社の思惑にまんまと乗せられてしまったけれど、こうして使う
場面は増えているのに毎月の使用料は以前よりもなんと400円近く安いのだ。これは私がいつも
無駄に沸騰させ煮詰まらせていたということなのだろうか。
私は料理が苦手だから、台所に立つのが楽しくなったとは決して言わないが、今とても満足している。
(但しグリルは、水無両面焼きでひっくり返さないでいいしタイマーもついているが、掃除は前より
面倒臭くなった気がする。)
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89 (2017年3月10日)
「 車を持たなかった 」
近所で車のない家も皆無ではないけれど極々稀で、夫婦ともに車も免許もない我が家が
変わり種だということは明らかである。
書庫(文庫)にしてしまった元車庫に車がいつもないので、「お宅のご主人は朝早くから
夜遅くまでお仕事なんですね」とよく言われた。 ゆっくりバスで出勤していたのだ。
車で大平原を突っ走ったら気持ちいいだろうなとは思う。でも自分で運転するのは怖かった。
運動神経は鈍いのに無鉄砲な性格、どんな事故を起こすかわからない。自分ひとりが怪我をしたり
死んだりするのならいいが、他人様をそんな目に合わせたら私の人生おしまいだ。
また道を歩いていて横の車を見ていると、皆同じスピードで走り去っていく。 私はあんな流れには
乗れない、立ち止まったり空を見上げたりしながら自分のペースで進みたいと思った。
ただ一度、ひどい台風の後始末に車があると便利だと思ったので、夫に免許を取ってもらおうとしたが
その気がなかったようだ。
どこに行くのもずっと不便だったし、子どもが小さかった頃休日のお出かけに、バス停で来ないバスを
家族で待っているのは、子どもも私も恥ずかしかった。
でもそうやって何十年か生きてきて、今バスと電車とJRの生活には十分慣れている。タクシーも滅多に
使わない。
高齢者の運転事故のニュースを最近よく耳にする。 年とともに人の運動能力は落ちてくる。 車を
乗り回していた人が車をいつ手離すのか手離せるのかは難しい選択だろう。
そういう苦労がないのだけは、最初から持たなかったものの特権だろうか。
でも車を持っている方たちには、これまでもそして今現在もよく乗せていただき随分感謝している。
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90 (2017年4月10日)
「 マチネの終わりに 」 ー読書11
「日蝕」以来の平野啓一郎である。 (毎日新聞出版 2016年)
恋愛小説を読みたいとは思ってなかったが、読書芸人らがこぞって推薦しているし、モーニング
ショーの玉川徹まで、内容は覚えていないけどこの本のことを何か喋っていたし、図書館に予約して
ようやく順番が来て読むことができた。 (本はその後購入)
大変面白かった。こういう人物としてこういう恋愛ができたらという私の憧れのすべてがあった。
男はクラシックギターの天才奏者、女はエリートジャーナリスト。 女は男が元々尊敬している映画
監督の娘であるが普通の幸せな親子ではなく、母との離婚で父と会い絆が生まれるのは大人に
なってから。だから語学堪能な彼女だが、父の母語クロアチア語で話し合えないのが娘は辛い。
長崎原爆、ユーゴ紛争、イラク戦争、リーマンショック、東日本大震災、それら大きな時代のうねりに
登場人物達皆が遠くあるいは近く深く関わっている。
また成就しそうに見えた2人の愛が砕かれるのは、下世話な嫉妬心によってであり、その展開にも
息を呑む。 そのような2人がたった3回会っただけの5年半の物語。
ラストの場面は、男の言葉「人は変えられるのは未来だけと思い込んでる。だけど実際は未来は
常に過去を変えてるんです」のように、過去を変えられるものとなるのだろうか。
父親の映画「幸福の硬貨」を観たい。 誰か実際に作ってくれないだろうか。 キアロスタミと
トルナトーレの中間のような監督が。 エンドロールに流れるとされるそのテーマ曲はこの本の後
実際に作られている。
ヒロインが勉強していたリルケの「ドウイノの悲歌」は私もかつて悪戦苦闘した過去がある。今なら
もう少し理解できるだろうか、それとも更に遠くなっているのだろうか。
取りあえずバッハの無伴奏チェロ組曲を聴きかえすことから始めよう。
*2018年8月: 新聞の本の広告のところに「映画化決定ー福山雅治×石田ゆり子」
という文字を発見。 うーん・・・。
本を読みながら私の頭にチラついていたのは、長谷川博己と
バイオリニストの宮本笑里だったけど。
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91 (2017年5月5日)
「 シルバー・デモクラシー 」 ー読書12
( 寺島実郎 2017年 岩波新書 )
集団の一人と見なされたくない気持ちが私にはある。 でも私より2歳上学齢は1学年上の
この著者による同世代の分析には私もうなずいてしまう。
その特徴は「私生活主義(ミーイズム)」と「経済主義」だというのだ。
前者はまさに私そのものだ。 それは「自分の私的時空間に他者が干渉することを嫌うもので、
全体が個を抑圧しても人間としての強い意志をもって対峙する思想としての個人主義ではない。」
やさしいミーイズムであるけれど、「真に自分を省察し人間への思いやりをはらむものかどうかは
疑わしい」という。
情けないけれどそうなのかもしれない。 既成の権威や慣習には縛られたくないという
気持ちは強いが、でもそうして向かっているものが何かというと(私の場合)ただ雰囲気のようなものだ。
もうひとつの「経済主義」は、私は当てはまらないと思いたい。 貯金通帳をこれでやってゆけるかなあと
眺めることは多いけれど、株や投資でお金を増やそうと思ったことはないから。
これは「経済を超えた思想的・文化的・宗教的な価値には希薄な関心しか抱かず、経済的安定と
豊かさだけを求める傾向」だという。
そしてこれが、もう破たんしているマネーゲームだけのアベノミクスを支えている、株価を上げる
政治が良い政治であるかのように資産インフレ誘発政策を長続きさせている原動力になっていると
いうのだ。
実際、貯蓄の58%有価証券の72%は60歳以上の世代が保有しているそうだから。
これは、イギリスで若者がEU残留を望んでいるのに高齢者が離脱を選んだことに匹敵するぐらい
罪深いことかもしれない。
私たちの世代は何をしてきたのだろう。 高齢者にも経済格差は広がっているが、日々の生活に
困っていないなら後世のために何かしないといけないのではないだろうか? 人に迷惑を
かけていないから好きなことだけをして余生を終わらせていいのだろうか?
寺島文庫を創設し、次世代につながる様々な活動を支援している著者だが、この著者をブレーンに
今やりたい放題の一強を打破してくれる政党は出来ないものだろうかと強く思う。
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92 (2017年6月5日)
「 畳 」
ホテルのベッドの足元に幅30センチくらいの布が渡してあるのを見たことがあるが、それが何のためか
知ったのは最近のことだ。 ベッドに寝転んだ時ベッドカバーが汚れないよう靴を載せるところだという。
寝転ぶのなら靴ぐらい脱げばいいのにと思うが、そんな布を用意するほど常に靴を履いていることが
自然なのだろう。
外で靴を履く国は室内でも靴を履くのが世界の常識のようだ。
中国でも靴履きで、室内はスリッパに履き替えてもらうようにしているが靴のまま入り込んでくる人が多く、
同じ床の上に外の靴履きと室内用スリッパが一緒にいるのも普通だと、北京暮らしの友人が言っていた。
日本で靴を脱ぐのが当たり前なのは、畳という素晴らしいものがあるからだと思う。 タタミTATAMIという
日本語は海外でも認知され英英辞典にも載っている。
素足で触れる畳の感触は最高だ。 木の床フローリングの上でこそスリッパを履き、寒い季節は室内でも
靴下を履くが、 畳の上にベタッと座り込み、手足を伸ばして寝そべって、これぞ癒しの空間だと思う。
茣蓙や筵からここまで発展させてくれたご先祖様にお礼が言いたい。 この時ばかりは私も国粋主義者に
なる。
ただ畳は何年か経つと傷んできて畳替えの必要がでてくる。 本当の国粋主義者はそれも厭わないのだ
ろうが、現在の我が家の畳は藺草100%ではなく化学繊維も混じっているので、あまり日に焼けないし
ささくれ立ってもこない。 客間は一度畳替えしたが、私の部屋はもう20年以上最初のままだ。
(私は肌も弱いから自然素材100%が希望だったのだが手違いでこうなってしまい、感触は100%に
劣ると思うがこれも悪くはない。)
でも最近は日本家屋でも畳の和室がない家も多く、フローリングの洋室ばかりのようだ。 座るより
腰かけるほうが楽という流れもあるのだろうが、木の床は寝そべるにはやはり痛い。残念だ。
*短章「28布団」「86こんにちはコタツ」と今回の「92畳」をクールジャパン3部作としたい。
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93 (2017年6月20日)
「 北朝鮮のように 」
ぼんやりテレビを見ていて北朝鮮のニュースかと思ったら日本のことだった。
幼稚園児たちが「安倍首相ガンバレ安保法制良かったです」と声をそろえて叫んでいたのだ。
まだ意味もわからない幼児たちにこのような政治的なことを言わせるなんて、北朝鮮で
「将軍様」をあがめさせるのと変わらない。
そしてまともな大人ならおかしいと思うはずのこの場面で当の首相夫人は感涙にむせんだという。
この塚本幼稚園を運営する森友学園が作ろうとした小学校には国有地が不当に安く払い下げられようとした。
このことは偶然に発覚したおかげで衆目にさらされ中断したが、行政の責任は明らかにされていない。
そして今度は加計学園の獣医学部新設問題だ。
従来の規制も何のための規制だったのかきちんと見ない限り良いも悪いもないが、獣医は足りているとの
判断のもと新設が認められていなかったところ、首相と親しい加計学園がより適していると思われる
京都産業大学を出し抜き認可されようとしている。
獣医学部は倍率が高いから、開設されれば学生は集まり経営上は儲かるかもしれないが、そこで
必要な教育指導がなされ国家試験に合格する人材が育ち地域を利するかどうかは疑わしい。
国家戦略特区とは日本の将来のために望ましい風穴をあけるものではなく、相応しい能力もない近親者の
利益を図るものだったのではないか。
それを止められない野党は弱小で残念だが、自民党もすべて賛成ではないだろうと思うのに、皆唯々諾々と
従っている。
そして一番問題なのは、それでも支持をやめない一般国民だ。 (昨日の報道では支持率が軒並み低下と
言っていたがそれでも40%前後ある。 まだ高すぎるだろ!)
私は第一「印象」で最初から安倍晋三という政治家が好きではなかったが、この「印象判断」は実績により
覆されることもなく、共謀罪法案もそうであるように、安倍首相が望んでいる日本の戦前が「取り戻」され、
軍隊と警察が強い息苦しい国になっていこうとしている。
以前拉致被害者らが帰国し北朝鮮のことがさかんに報道されていた頃、近所のお年寄りが「日本も少し
前までは同じように何も言えない国でしたよ」としみじみ言われていたのを思い出す。
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94 (2017年7月20日)
「 浪 江 町 で 」
3年前福島のいわきから福島第二原発に向かい常磐線を遡れるだけ遡った。竜田で行き止まりだった。
そこで降りてしまうと2時間後の次の列車では長崎まで帰れなくなるので、駅を出ることなく20分後の折り返し
列車で引き返してしまった。
今回は逆に仙台から常磐線を南下できるところまで南下しようと思い立った。 仙台から1時間半くらいで
浪江町まで行けるようだ。 まず原ノ町まで、そこから本数も車両数もぐっと減った接続列車に乗ったのは
私たち2人を含めた4人だった。
浪江町に降り立つとあとの2人はすぐどこかに消えてしまい、駅前にタクシーが1台いたが私たちが乗らないと
みるとすぐいなくなって、そうしたらもうそこには駅長さん1人と私たち以外誰もいないのだった。
家や建物はある。保育園も病院もある。食事処も飲み屋もある。 ところどころ壊れて応急処置だけしてある
ような建物も少しあるが、松島や石巻でかつてみた残骸のような家はない。
大半はまともだ。でも人はいない。
公園には小さな施設があり、そこに現在の線量率 167.8 nGy/h という電光表示がある。
空地の黒い袋は汚染土だろうか。
歩道は歩くのを遮るハードルのように横の亀裂から雑草が伸び放題だ。誰も歩いてなければこうなるだろう。
もう列車も通じているのだからある程度の人がいるはずとよく下調べもしないまま来てしまったが、帰宅困難
区域の指定が解除されたのは3月31日、列車が復旧したのが翌4月1日で、その時から2か月も経っていない
5月下旬のこの時はまだ誰もいない町だった。
消防か警察のパトロールの車が通った。 「人は・・・?」「今帰ってきているところです。」 「どこかお店は・・?」
「向こうの道をずっと左に行ったところにあります。」 「歩いていけますか?」「・・ええ、ともかく店はそのローソン
しかありません。」
ローソンで何か昼食になるものを買うつもりだったが、そこに辿り着く前に「カツ丼」の幟がたった和食の店を
見つけた。 数日前に新規開店したようで、作業服姿の何人かが食事していた。 生姜焼き定食とアジフライ定食に
ありつけた。 人らしい人がいたのはここだけだった。
ほかに遠くの家の玄関前の車から家に入っていく人を一人見た。 郵便局の外から奥を覗くと人は見えなかったが
灯りが一つ灯っていた。 大きな通りはたまに乗用車やトラックが通る。
降り立ってから2時間後、原ノ町に戻る列車に乗ったのは私たち2人だけだった。
事前準備も心構えもなく、なぜふらふら行こうとしたのかわからない。 行って何かができるわけでもなく、言葉も
むしろ無神経なことを言ってしまいそうな私は人に会ってもあまり喋るまいと思っていたのだ。 ほとんど人が
いなかったおかげでその心配は無用だったけれど。
あの事故を忘れないために行くのだろうか。でもただ覚えているだけでどうなるというのだろう。
広々として長閑であっただろうこの町に、帰って来れるようになったからといって、いったいどれだけの人が
これから帰ってくるのだろうか。
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95 (2017年8月20日)
「 凄 い ら し い 」
今、首都圏で上演されているミュージカルのキャッチコピーは「劇団四季のオペラ座の怪人は凄いらしい」
というものだ。
この言い回しには記憶がある。 初演の時だったのか以前にも同じこの言葉が駅や広場で
踊っており、作品自体は映画などで好きだけれど、この表現に私はぞっとしたのだった。
「何々らしい」という言い方はよく聞くし自分でもよく使う。 直接自分では知らないけれど噂や情報として
知ったことを、他の人にも伝える時の言い回しだ。
でも売り出す側が宣伝文句として使うのはどうなのだろう。
「一生懸命作りました。こんな作品です。どうか観てください。」とどうしてきっちり言えないのだろう?
「らしい」としか言わないのは謙遜か? 「まだまだ十分な仕上がりではないかもしれません。でも凄いと
言われてます。凄いらしいんですよ」ということなのか?
これだと凄くなくても許されるかもしれない。
売れるかどうかを決めるのは宣伝にどれだけお金をかけるかだとも言われ、電通や博報堂ら広告代理店が
制作側と同じくらい利益を手にしている。 知らせることは大切。知らせてほしい。 でも「何々らしい」なんて
コピーはありなのだろうか、こういう得体のしれないどこも責任を取らないような言い方は?
噂が噂を呼び朝鮮人虐殺事件を引き起こしたという関東大震災を思い起こすのは私だけだろうか?
私だけかもしれないけれど、「風評被害」というものは今あちこちで実際にある。 それに逆の意味で
乗っかったこの「凄いらしい」という言葉。
最近舞台のミュージカル「レ・ミゼラブル」を観た。 そのコピーは「このミュージカルはあなたとあなたの
愛する人の人生を変える」というものだった。
これこれ、宣伝文句とはこうでなくっちゃ。
映画などでもよく知っているので観たからといって今更人生が変わることはなかったが、久しぶりの本物の
舞台が何より嬉しかった。 また背景に大スクリーンが設えてなくて人物は小さかったけれど、パシャパシャ
変わる画面を気にしなくてよかったから舞台にじっと観入ることができた。芝居見物の原点に返れた
気がして良かった。凄かった。
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96 (2017年9月20日)
「 やすらぎの郷 -テレビ 」
この半年間、平日昼12時半からの「やすらぎの郷」を家に居るときはその時間に、居ない時でも
録画そのほかの方法で欠かさず観た。
脚本は倉本聰。 「北の国から」などで有名だが、台風が東京を過ぎても報道されるようになったのは、
この人の「東京のテレビ局は東京だけが日本と思っているのではないか、台風情報は東京を過ぎたら
放送しなくなる」という発言以降のように記憶している。
ドラマの舞台の「やすらぎの郷」とは映画やテレビ界に貢献した人だけが入れる老人ホームで、費用は
無料(バーのカサブランカだけは有料)というのが、本当に食費もまったく要らないのだろうかなど気に
なったが、すぐに内容に引き込まれた。
出演者も多くは高齢で、現在活躍している人もいるが久しぶりで懐かしい人などもいて楽しめた。
6月に亡くなった野際陽子も出演しているが、ずっと収録してあったようで、この前は原節子がモデルと
思われる姫(八千草薫ー存命)を見送る場面があった。
死をどう受け入れるのかという倉本聰自身の問いが反映されているような部分が多いが、現在の
いろいろな問題も取り入れてあり、ハッピー事件後の秀さんたちの行動は、クリントイーストウッドの
「グラン・トリノ」の最後ー隣家の若者のために自らを犠牲にする老人を思い出し、我々シニアも何か
このような貢献をしないといけないのではという思いに苛まれたが何もまだ実行できないでいる。
中島みゆきの歌が随所で使われ、本人も夫役倉本聰の車いすを押す妻として一瞬登場したらしい。
「愛より急ぐものがどこにあったのだろう」で始まるテーマ曲もいいが、ただ最後「もいちどはじめから
もしもあなたと歩き出せるなら・・・・・ ただあなたに尽くしたい」というのが、「尽くしたい」とも「尽くされたい」
とも思わない私はあまり納得が行かず、「いっしょに歩きたい」だけではダメなのだろうかと思ってしまう。
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97 (2017年10月20日)
「 敵の敵は味方 」
今度の選挙はこのスタンスで行きたい。
700億円近くかかるという選挙は任期満了の上で行われるよう、早くイギリスやドイツのように解散権を
縛ってもらいたいものだ。まっとうな議員なら任期ギリギリまで仕事をしたいだろうし、中途半端なところで
解散などしたくないはずだ。
満了時には支持を得られそうにない無能あるいは悪質な政権の延命装置のようになりはてている解散。
しかしこうなってしまった以上は棄権や白票というのも落ち着かないので、敵(最も嫌いな政治家安倍首相)
の敵(あまり好きではない政治家小池都知事の希望の党)は味方と解釈して投票するとしよう。
私の選挙区は自民党・希望の党・共産党の3選択肢で、私の考えに最も近いのは共産党だが、自民党に
より打撃を与えるのは希望の党のほうだろうから。 希望の党も原発ゼロと言っていたし、小泉純一郎が
ついているから少しは信頼できるかと思ったが、再稼働は認めているようで今は怪しいけれど。
そして比例では素直に今一番期待するところに入れよう。
だがやはり自民党は優勢らしいのだ。
何も決まらない政治は良くないと自民党を支持する人がいるが、問題がある法案を禁じ手で決められては
困る。 また本当に必要なことなら与党も野党も賛成するはずで、そんな法案も解散で後回しにされていると
いうのに。
加計学園問題も今度の選挙で承認のお墨付きが与えられ、要りもしない獣医学部に私学助成金が払われ
続けることになるのか・・・。
自民党の支持者は3割ぐらいと言われるが、リベラルというのも3割ぐらいで日本人は保守が7割くらい
らしい。 あーあ、日本人やめたくなる。 と言ってはいけないのだろうな。
*「リベラル」や「保守」という言葉についてはよくわかっていないところもありこれから勉強します。
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98 (2017年11月20日)
「 裸 の 木 」
暑かった夏が終わり、しのぎやすく心地よい春や秋はいつも束の間で、もう冬が始まろうとしている。
この時期、紅葉を愛でるのが四季のある日本人の心情かもしれないが、紅く鮮やかな色彩が苦手な
私は、その葉が落ちるのを心待ちしてしまう。
冬の訪れは早い夕暮れや風の冷たさにも感じるが、私が冬で思い浮かべるのは、晴れて澄んだ
青い空を背景にすっかり葉を落とした木なのだ。
昔からこの眺めは好きだった。 学生時代一人暮らしの部屋を出て近くの公園で、あるいは電車に
乗って出かけた小高い丘の上で、また通学の裏道で、寒々とした空と木をじっと見つめた。
あの頃と今を比べると、ただ年を重ねただけで何も変わらず何も成長していないが、ただ同じように
同じものを好きであり続けたという感慨がある。
葉を落とした木の姿の最も洗練されたものがメタセコイアかもしれないが、曲がりくねってごつごつ
していても、すべてを失って立ち尽くすさまに心を打たれるのだ。
常緑の木も寒さをこらえて必死に緑を保っているのだけれど、やはりこの季節は生気が漲っている
わけでもなく、葉を落とした木のほうに目が向いてしまう。
どうしてなのだろう。
何もまとわない裸の姿に生き物の実存を感じるからだろうか。
何を思っているのかはわからない。いや何も思ってはいない。 ただ余分なものをすべて落として
冬の厳しさに対峙しているその姿に、自分の心も洗われ、雑念が追い払われた気持ちになる。
そうだ、私は生まれ変わったら一本の落葉樹になろう。 もう人間はやめる。 まして校閲係なんて
こせこせしすぎている。 私は木に生まれ変わるのだ。
春には芽吹き葉を茂らせ、夏は涼しい木陰を作り、秋には葉を落とし、冷たい冬を裸で耐え抜く
一本の木に。