21(2024年11月1日)
― 高階秀爾先生追悼 ―
1932.2.5―2024.10.17
教壇で師と仰いだことは残念ながら無かったけれど、私にとって高階秀爾氏は先生と呼ぶのが
もっとも相応しい。
1968年大学の独作文(水野忠敏先生)のテキストが岩波新書の「名画を見る眼」だった。教材
部分は各章数行ずつだったけれど、教材以外の全文を興味深く読んだ。小さい時から絵を
見るのは好きで、この本に取り上げられている画家や作品を大体知ってはいたけれど、あまり
生活感のないルネッサンスから19世紀までのものはただ漫然と眺めていただけだった。
それがこの本によって細部一つ一つに意味がありそれを知ることにより見方は一変することを
教えられた。 特に第1章ファン・アイクの「アルノルフィニ夫妻の肖像」は衝撃だった。また
「画家のアトリエ」のフェルメールをこの本で初めて知った。
その36年後2004年8月、私は「画家のアトリエ」が来日した神戸博物館を訪れたが、そこで
一般客に混じってこの絵を眺めている先生を見つけた。最初信じられずただの他人の空似かとも
思ったが、会場を出たところで記者に取材されている場面を目撃し先生だと確信した。
そしてこの時の気持ち、「画家のアトリエ」を初めて目にする喜びとその場所でその絵を教えて
くれた師に出会えた喜びを、私のHPの雑文コーナー「一冊の本」に書いた。
その2年後2006年1月、先生が長崎県美術館に「フランス絵画の近代」の講演に来られた時、
私は美術館ボランティアの特権を活かしバックヤードで先生に近づき「サインしてください」と
古ぼけた岩波新書を差し出したのだった。そしてさらに「一冊の本」の拙文をプリントしたものを
「読んでください」と渡して館長室(控室)を後にした。 (先生が亡くなられた今、20年近く前の
恥知らずな出来事を思い出しながら懐かしさを噛み締めているなんて私は何とお目出たい性格
なのだろう。)
著書は数冊しか読んでいないけれど、新聞記事や出演されている番組は必ず読み観た。
今年6月の日曜美術館「美を見つめ美を届ける」で最近の先生を拝見したのが最後になって
しまった。私のこれまでの美術体験の中で、作家達作品達のほかに先生の存在は大きかった。
この先もそうだと思う。
*同じ日に76歳で亡くなった西田敏行氏もまだ惜しい俳優だった。
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22(2024年11月20日)
― エッセイスト岸本佐知子 ―
岸本訳にハズレなしと言われるそうだ。英米物に昏い私でも村岡花子(赤毛のアン)・
柴田元幸・鴻巣有希子と並んで岸本佐知子の名前は浮かんでくる。 裾野の広い
英語圏で定評を得ているのは凄いことだろうと思う。
でも今回私が注目したのは彼女のエッセイだ。 バラエティー番組「アメトーク」で読書芸人
の誰かが「岸本佐知子さんのエッセイが好き」と言っていたのがきっかけで、「なんらかの事情」
(2012)をまず手に取った。 最初から文章の魅力に取りつかれてしまった。
「ひみつの質問」(2019) 「気になる部分」(2000) 「ねにもつタイプ」(2007)と立て続けに読む。
ほかに「死ぬまでに行きたい海」(2020)「『罪と罰』を読まない」(2015)もあるが、前者は詩情
豊かな紀行文、後者は共著の座談会でこの2冊は少し別物。
英文科を卒業してからサントリー宣伝部に6年半勤務。 その後翻訳家として独立した。
翻訳仲間の柴田元幸にエッセイも面白いと認められ、「ねにもつタイプ」は講談社エッセイ賞を
受賞している。
独特の感性、不思議な発想。 その面白さをひとつひとつ説明したいが、私にはできそうもないし、
また説明して伝わるものではないと思うので、気になる人は読んでもらいたい。 でもすべての
人に受け入れられるものではないだろう。 やはりそれは変な面白さだから。
最近出た「わからない」(2024)は、単行本未収録のエッセイ、本や作家についての所感、2000年代の
日記が収められた三部構成の分厚い本だ。 借りて読んだ後これぐらいは買おうと書店に行ったら
発売間もないのに5刷となっていて、売れすぎの気がして買うのを止めてしまった。
ともかく可笑しくて軽やかでしかも本業では才能豊か。次また人間に生まれてくるなら、
こんな人に生まれてきたい。
*この頃好きな作家の本もまず本吉で借りて読み、文庫になって場所を取らなくなったら 買おうと思っているが、そのまま買っていないことが多い。 文庫のお客様も少ないし、
終活で本を増やしたくないし ・・・。
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23(2024年12月20日)
― 小容器140個・美術カード550枚 (数字は概数) ―
私には物を集める趣味はない。好きな物を欲しい持っておきたいという気持ちはあっても
その対象1つとの関係で、同種の物をずらり並べたいとは思わない。好きな作家の本は
全部読みたいから結果としてその著書をある程度持ってはいるが、コレクターの心理とは
別物だ。 「金井美恵子全短編」という4巻本が出た時、ファンなら4冊並べたいのかもしれないが
ほぼ持っているし、読んでいなかった作品だけを図書館で借りて読んだ。 文庫を開いた時、
誰かが読むかもしれないと本を買う基準が少し緩くなったが、もう今はお客様も少ないので
「ここにない本で読みたいのがあれば本吉号で借りてきますよ」と言っている。
(又貸しになるけど。)
私は身体の内側はかなり丈夫なのだが、外側の皮膚は昔から病んでいる。 70才過ぎの
2,3年は特に辛かった。 或る入浴剤のお蔭で少し改善したが皮膚科通いはずっと続いている。
かゆみ止めの飲み薬を処方してもらうこともあるが、常にお世話になっているのは塗り薬だ。
その空容器を薬局で引き取ってくれた時期もあったが、この頃はできなくなった。「再利用は
しないので各自処分してください」と言われる。 プラごみで出せば何かに再生されるのだろうけれど、
今のところ捨てていない。 直径約2センチから4センチ深さ約5ミリから5センチ、蓋や本体の色も
様々な容器がジャラジャラ溜まっている。 孫が小さかった時は良いおもちゃになっていた。でも
流石小学生になったら見向きもしない。 どうしよう? そのうち資源が枯渇して再び薬局で回収とかに
ならないだろうか?
また美術カード550枚。こういうものが好きで集めている人は多いと思うから、この数字は微々たる
ものだと思う。 良い展覧会に行ったら昔は図録をよく買っていた。 でもだんだんと図録が大きく重く
高額になるにつれ気に入った作品のカードだけを買うようになった。 友達に送る時は複数枚買う。
そんなカードが箱に溜まってきて、ある時展覧会ごと作家ごとなどに整理したらクリアファイル
10数冊になり、次第にそれも面倒くさくなってまた箱にも溜まっている。 それらを見ていると、
古い展覧会の記憶が甦ったり、あれこんなの行ったっけと意外だったり、いろいろ楽しくもあるのだが、
どう処分したらいいのだろうと頭が痛くなってきた。 一つ方法として、これからの年賀状は葉書を
買わず年賀切手を貼ってこれで出すというのが浮かんだ。 でも全部バラバラだから印刷は無理で
双方の住所氏名を1枚1枚手書きにしないといけない。 そして更にこのゴッホのカードは誰宛が
いいだろう、このモランディを喜んでくれるのは誰とか考えだすと全く進まなくなる気がする。
悩ましい年の瀬である。
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24(2025年1月20日)
― 老衰で死去―
谷川俊太郎92歳・山田太一89歳・富岡多恵子87歳・大江健三郎88歳、昨年から一昨年に
かけてこれらの人々が世を去った。 皆私の人生に大いなる読む(観る)喜びを与えてくれた
人達だった。 そして今ひとつの共通点は死因が老衰と伝えられていることだ。
老衰という言葉を覚えたのはまだ子どもの頃だった。老いとか衰えに良いイメージはなく、
病魔と闘いもせずあっけなく死んでしまったような、残念で歯がゆい納得のいかない死に方
のような気がしていた。
私が失った身内はこれまでに数人。 昭和30年代に85歳で亡くなった祖母は当時としては
かなり長生きだったと思う。 最後2年間家でずっと寝たきりで母(嫁)の献身的な世話に
支えられていた。 高校生だった次姉はよく手伝っていたが小学生の私は何もしていない。
父は68歳で亡くなったが小脳萎縮という難病に冒され運動機能が徐々に麻痺していった。
この父の晩年も母によって成り立っていた。 その母のことは兄夫婦に任せっきりだったが、
91歳で亡くなる前2日間高熱に見舞われたがそれまで惚けもせずほぼ普通の日常だったのは、
長かった姑と夫の介護生活の御褒美だったのではないかと思うと、何もしていない私には
どんな罰当たりなこれからが待ち受けているかと恐ろしい。 長姉は、幼少時の予防接種に
起因すると思われる肝臓疾患で、68歳で逝くまでの10年間入退院を繰り返していた。
長姉のいた岡山と私の長崎は遠く大阪の次姉は時折手伝っていたのに、この時も私は
何もしていない。
高齢化社会でどのような最期を迎えるか注目が集まって久しいが、老衰という言葉が
この1・2年私の耳に残るようになった。 老衰とは、加齢により恒常性の維持が困難になり、
全細胞や組織がバランスを保ちながら命が続かなくなるまで能力が低下していき死を
迎えること、意識が無いため苦痛そのものを知覚しない、となっている。 生まれ育ちそこに
至るまでには様々なことがあったろうけれど、戦死でも事故死でも病死でもなく自然のままに
生を全うする、それはとても美しい終わり方のように思える。
末期の目に映っていたのはなんだろう。 想像するだけで何もわからないけれど、すっと魂が
抜けていくような、老木が森の奥深くで音もなく倒れるような・・・。
叶わないことかもしれないが、老い衰える静かな死に私は今憧れている。
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25(2025年2月20日)
― 選択的夫婦別姓 ―
この法案が制定されようがされまいが私に影響はない。でも31年来議論されているという
この問題を傍から見ていて思うところはある。
私は結婚の時迷わず自分の姓を変えたが、それは作家として筆名を名乗ることもできず
特別な芸も無いから芸名を名乗ることもできない凡人の私にできる心躍る変身だった。
私には兄がいて旧姓が無くなる心配はないことも関係していたかもしれない。夫にも兄がいたが
その兄はやがて相手の姓を名乗ったので結果としてそれぞれ姓は一つずつ残っている。
現在の法案は「選択的」とあり全夫婦に強制されるものではない。 同じ姓が良いと思う夫婦は
これまでもこれからも同じ姓を名乗れる。 一方持って生まれた姓を変えたくない人は男女を問わず
あると思うが、それをどちらかが諦めることなく結婚してもその姓を続けたい人は続けられるという
誰にとっても望み通りの良い法案のように思うが、何故すんなり決まらないのだろう?
現在夫婦同姓なのは日本だけ、しかも年数でいえば明治民法に定められた130年前からで
それ以前に姓は無いか結婚しても別姓だったという。 また日本人でも今国際結婚をすれば
パスポートには旧姓が記され夫婦別姓である。
反対者の論拠は何だろう。同姓が普通だと思い込んでいる人たちの好みに過ぎないのでは
ないだろうか。別姓であるが故の不幸はあまり聞いたことはなく、同姓でも不和な家庭は限りなく
存在する。子どもは親が同じであることを望むかというと最初から別なら何とも思わないのでは
ないだろうか。
イメージとして同姓だと一方が他方に従属しているが別姓だと両者が対等で自立している印象が
ある。 そこが気に入らないのだろうか? 通称として旧姓使用を拡大させると政府はいうが、
グローバルに仕事をしている人はパスポートと通称が異なっては困るから経団連でさえ別姓を
求めているのだ。
日本会議の役員とかいう男性が語っていた。「別姓にしたいと思っている国民は6%と言われて
います。そのたった6%の人のためにこの制度を導入するのですか?」と。
逆に訊きたい。 6%の人が別姓夫婦になることを94%の人は何故そんなに怯えるのかと。
同姓夫婦の関係ってそんなに危ういものなのだろうか?