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新短章(26ー30)

11(2024年1月20日) 


― 映画「PERFECT DAYS」 ―                         


  役所広司がどこかの映画祭(カンヌ)で賞を獲ったのがこの映画だった気がして、たらみ図書館祭で上映される

  「素晴らしき世界」を観に行った。そんな映画がこんなところでタダで観られるのかなと不思議に思いながら。

  観終わって、あれはトイレ掃除の男の話だったと題名は似ているが別の映画だったことに気づいた。こちらも

  悪くはなかったけれど。 

  

  昨年末に公開された、東京が舞台で全編日本語だけれど監督はヴィム・ヴェンダースの「PERFECT DAYS」が

  それだった。                                    

  質素な木造アパートに住んでいる男・平山。夜も明けやらぬ頃、作業服に着替え歯を磨き顔を洗い湯呑で

  育てている木の芽に霧吹きで水をやり缶コーヒーを飲んで車で向かうのは都心の公衆トイレ。平山はトイレ

  掃除人なのだ。都会の公衆トイレが進化しお洒落なのにも驚くが、一か所が終われば次に移動し一日中丁寧に

  トイレを片づけ拭き磨く。時には若い同僚と言葉を交わしたり迷子の子どもに行き会ったりもするがほぼ無言。

  昼食のパンを神社の境内で食べながら木洩れ日を見上げたりホームレスの舞踊を目にしたり。仕事を終えて

  向かうのは銭湯電気湯。夕食は地下街の露店。そして部屋に帰り布団の中で老眼鏡をかけ読書したらスタンドを

  消し眠りに就き一日が終わる。 次の日が始まる。着替え、歯磨き、洗顔、霧吹き、缶コーヒー。車の窓には

  スカイツリー。前日とほぼ同じような日常に、延々この繰り返しの描写だろうかという気も少ししたが、時折細波は

  立つ。同僚の彼女が登場したり、時たま訪れるバーでマダムが歌うのは浅川マキの「朝日があたる家」。そこに

  ひそかに現れたマダムの元夫とは川べりで影踏みをすることに。 最大の出来事は家出した姪が転がり込んで

  きたことだろうか。自分の布団に姪を寝かせ平山は流しのそばの隙間で寝る。でも同じように歯磨き、洗顔、

  霧吹き、缶コーヒー。やがて姪は迎えに来た母親(平山の妹)と帰って行く。平山と家族の間には以前何かが

  あったようだ。でももう終わったこと。静かな日常が再び繰り返される。他に何があったろうか。古本屋、ミュー

  ジックレンタルショップ、コインランドリー、写真のDPE(店主役の柴田元幸とはあの翻訳家?)。合間合間に

  木洩れ日の映像。それがすべてだったような気がする。 「ベルリン天使の歌」の天使がそっと傍にいるかの

  ような。いや平山が天使なのかもしれない、あの天使はおじさんだったし。 最後は車で職場に向かう、満ち

  足りたどこか微笑んでいるかのような平山の表情で映画は終わる。


  静かな映画だった。本と木洩れ日、この二つがあれば他には何も要らないなと思う。何も要らないのに。  


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12(2024年2月20日) 

    

 ― 狭い公道と広い私道 ―   

                      

普通に誰でも通ってよいと思っていた道なのに私道であったため通れなくなったというトラブルが時折

報道される。自分の家の庭を知らない人に我が物顔で行ったり来たりされたらいい気持ちはしないだろう

けれど、公道のようで私道だという問題はあちこちにあり行政が関わっても容易に解決しないようだ。

長崎で広範な何十軒もの住宅地でありながら土地の新たな所有業者がそこの住民に通行料支払いを

求めて道路を封鎖したというニュースが2019年にあったが、先月地元自治会に所有権を移すという

和解が成立したそうだ。   


このような話を聞くと思いだす道がある。 他県に住んでいる忙しい娘のため孫の保育園の送り迎えに

駆り出された時期があった。                                 

郊外のモノレール沿いの住宅地の中、家から保育園までの歩道車道の区別もない道を通勤通学の車や

自転車を避けながら孫と朝夕行き来していた。                                 

何度目かのその日孫が「こっちの道もあるよ」と教え入って行ったのは、マンション脇の道など無いと

思っていたところで、そこは通り抜けできるらしい。幅は1メートルぐらいだがしっかり舗装されている。

その細い道は角を曲がってもずっと連なり、最後は保育園の裏から横のブロック塀に沿った犬走のような

ところを片側の溝に落ちないよう歩いて曲がると見慣れた保育園正門なのだった。

普段母親の自転車で行くには狭すぎるけれど雨の日など歩く時は通っていたという。その道沿いには

マンションの裏壁や駐車場も接しているが戸建ての民家も多く玄関やベランダがその路地に面しており

柵や塀や庭木で目隠しがしてあるところもあるが、大きな掃き出し窓から家の中が覗けそうなところもある。

ここは他人が歩いて良い公道なのかどうか心配になり、滅多に人と会うことはないが一度出会った人に

「ここは誰が通っても良いのですか?」と尋ねてみたら、良いということだった。 裏路地のようでも天下の

公道で、大手を振って自由に歩いて良いとは嬉しくなる。 全行程の三分の二ほどの車の心配もいらない

その道を、もう手を引かないでもしっかり歩く孫の後を追いながら以後はずっとその道が通園路だった。


元々私は広い道よりは細い道が表道よりは裏道が好きなのだ。 思い出すのは学生時代、刑務所正門の

真ん前にあるタバコ屋さんの二階に間借りしており、その正門前の道路は広かった(親分出所の日は

子分で埋まっていた)がぐるっと回って裏側、クリーム色の高い塀沿いには一方が畑の細い道がついていて、

  何を妄想しながらだったか時々歩いたものだった。懐かしい。様々な道がある。  


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13(2024年3月20日)     

      

        ―「お料理地獄」―                         


川上未映子のエッセイに「お料理地獄」と題されたものを発見してまさに我が意を得たりである。

(「深くしっかり息をして」P.101) 「気がむいたときに自分の食べたいものを作るだけならやっていけない

こともないけれど、これが毎日ほとんど3食続くと思えば、なんだかぞってしませんか。」          

若い頃の私の結婚したくない理由はこれだった。 結局何だかんだで結婚し料理も中の下ぐらいには

やってきて、今もうこの齢。朝のパン食と夜の一汁三菜(内一~二菜は前日の残り物や常備菜みたいな)

しか用意しない身と、海外からも次回作を待ち望まれ、幼子を育てながら、同じく作家で家にいることが

多いであろう夫の阿部和重(料理はしないらしい)の分も引き受けている彼女と同じ気分だなんて

厚かましいにもほどがあるのだけれど。                             

知り合いの奥さんが料理が苦手で親子三人いつもお弁当が夕食という話や、テレビでカレーしか

作らない親に育てられたという話を見聞きすると、やっぱりこういう人もいるんだと安心するが、世間には

美味しいものを苦も無く作りそれがストレス解消になる人さえいる。

人の才能は様々で別に無くても困らないものも多いが、料理が出来ないと自分にも周囲にも迷惑で

良いことは何もない。霞を食べて人間は生きられないし、点滴で栄養補給はできても美味しく作られた

ものを美味しく食べることが人間らしさには必要なのだろう。                              

川上未映子は「子どもがまだ小さいから外食メインというわけにもいかない」と外食に抵抗はないようだが、

私は出かけたついでにランチの外食はするけれど、それ以外は余程の記念日でもない限りあまり外食を

するほうではない。                                        

子ども達が家を出ると料理の手抜きが更に激しくなり、週2回の仕事帰りはいつも出来合いの総菜を

買って帰るようになった頃、夫が酷い痛風になった。味の濃い安物の既成品のせいだと反省し、

痛風料理の本を買って来て開いたら、食べて良いものは野菜と海藻と乳製品ぐらい。干し椎茸や煮干しも

プリン体が多いため要注意の食材で、一体何を作り食べたら良いのだろうと目の前が真っ暗になった。

すっかり意気消沈していたが、少量ならある程度食べてよさそうだと気付き、何とか立ち直った。

その本にも揚げ物こそ皆無だったが炒め物は何種類も載っている。その料理を目に付いた物から

作っていきその横に日付を記入して(そうしないと同じものばかり作りそうになる)いくようになった。       

それを始まりとしてA4大の紙の左に献立名をずらっと書き右に作った日を記入するという習慣が

ついた。カレーとかグラタンとか餃子とかヘルシオでのカツとかでも日付を見て月1回ぐらいなら

良いだろうという判断だ。

その用紙がもう何枚もたまっている。最近牛肉を食べないことにしたので選択肢は狭まったが

豚や鶏の代替肉でもかなりの料理がほぼ大丈夫だ。自然にすっと今日はこれと献立が決まれば

いいが、そうでない時は冷蔵庫を覗きこの一覧表を睨みこれでいいかと決まることがあるのだ。

こんなことをしている主婦っているだろうか?いないと思う。ああ情けない。                 

今ひとつわかっているのは、私は死ぬ時料理から永遠に解放されることを感謝し笑って死ぬだろうと

いうことだ。お料理地獄から本物の地獄への旅立ちかもしれないのに。 


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14(2024年4月20日) 

    

        ― 清子の家 ―                         


詩人永瀬清子(1906―1995)の岡山県熊山の生家を訪れた。清子が生まれてから2歳までと

39歳終戦時から岡山市に移り住む59歳までを過ごした家である。清子が亡くなってしばらく

空き家になっていたが、2005年生家保存会が立ち上げられ少しずつ修復が進み月2回開館

していた時期だった。 現在は水木の定休以外はずっと開いている。                                       

私が清子を知ったのは大阪に住んでいた若い頃で、4冊の短章集の宇宙的な連関を思わせる

発想や怪物グレンデルの母親からの視線に引き込まれた。が同時代を生きている人という感覚は

あまりなく、亡くなったニュースにああそうだったんだと少し不思議な気がし、生家が公開されて

いると知ってもいつか行けたらいいなぐらいの気持ちだった。 今HPに書き続けている拙文集の

タイトル「短章」は清子に倣ったというのに。                 

それが昨年偶然開館日に岡山に居合わせたことから急遽訪問を思い立った。      

私は岡山出身だがJR山陽本線熊山駅に下車するのは初めてだ。徒歩31分という道のりを歩く。

清子も2年間岡山県庁までの通勤で歩き「熊山橋を渡る」という詩もある。民家が点在する田畑の

間を縫って生家に辿りつく。古いけれど何故か懐かしい佇まいだ。母屋の入り口をくぐると細い

土間は奥まで続き、右手座敷では清子の生前のビデオが上映されている。階段を上がり二階の

部屋の座り机からは向かいの山(熊山?)が望まれる。隠し部屋に通じる階段もある。

土間の先には大きなかまどの厨、その横にはこれから再生される五右衛門風呂がある。外には

井戸や畑、ゆらりと高い柿の木。 離れは新しく作り替えられており、これから研修が行われカフェ

にもなっていく空間だ。 詩誌「黄薔薇」はもう70年続いている。 その最新号と柿をいただいて

家を後にした。                     

また久々に「永瀬清子詩集」(谷川俊太郎選の岩波文庫)が刊行されると教わり、帰ってから購入

した。 詩文のほかに「渦巻の川―わが詩作の五十年」(1977)が収録されておりそれによると、

1972年私は岡山に住んでいて吉本隆明の講演を聴いたのだが、清子もその時近くにいたのでは

ないかと思われる。 清子と隆明はこの時会っていてそこで詩を隆明の「試行」に載せることになり、

「試行」に掲載されている詩人として私は後に「短章集」に出会うことになるのだ。

私の勝手な辻褄合わせだけれど、あの日が今に繋がり、古くて新しい熊山からの風が、わが向かいの

行仙岳に、無気力な私の日常に吹いてきた気がする。

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15(2024年5月20日)   


 ― 政治とおカネ ―       


政治にお金がかかるというのは、少子化対策にお金がかかるとか教育無償化にはお金が必要と

いうような意味だと最初は思っていた。でもそれは選挙で勝つために使われるお金だった。                                     

旧統一教会のことが明るみに出た2年前、与党が犯罪集団と手を組んで選挙の票集めをしている

という構図に日本が暗黒社会のような気がしたが、昨年からの政治資金パーティーの話で事態は

更に絶望的だ。

問題は不記載やキックバックや裏金だけの話ではなく、企業や個人から与党に莫大なお金が流れ、

そのお金で選挙に勝ち、そのお金を出してくれる人に見返りを与える。 日本や世界に望ましい姿を

指し示さねばならない政治が既得権を持った一部のためのものになっているということだ。

だから軍事ばかりが優先され、教育予算は乏しく、再生可能エネルギーが少しも進まない。                           


世論調査ではこんな自民党に入れたくない人が増えているそうで、先月の三つの補選ではそれが結果

として示された。この流れが続いてほしいけれど、今回は投票率が低かったからでもあり次はどうなるだろう。

野党も大したことはないかもしれないが、問題があれば選挙に落ち政権交代するという状況にならなければ 

国民はなめられたままで何も変わらない。 しっかり野党を育てたいものだ。 でもそういう政権交代では

お手本であるアメリカが、民主党はバイデンみたいな年寄りで共和党がゲスなトランプで、しかもどちらも

イスラエルを止められないのだから。                                    


暗いニュースばかりだ。辺野古は軟弱地盤で完成までにどれだけお金と時間が必要なのか見通しも

立たないのに工事が進められている。 自民党の言い分は常に「普天間の負担を無くす」だが、

アメリカは便利な普天間を失いたくないから完成しない辺野古が代替地というこの状況は好都合なのだ。

かくして普天間の危険と辺野古の自然破壊とそのために使われる予算には終わりがない。                                

日本はウクライナやガザのような戦場になっていないけれど、軍事費を増やし武器を輸出し

絶対に使えないはずの敵基地攻撃能力を持つ先には何があるのか。

いずれにしても今起きている虐殺を早く止めてほしい。何のために人類は存続してきたのかと

虚しくなってくる。

         (グチャグチャこんなことを書いているのが私の気休めとしても、

          朝日18日be欄「悩みのるつぼ」の野沢直子氏の回答には驚いた。)         


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