015/02/12(木) 神戸の銅鐸と茨木市の銅鐸鋳型がほぼ一致
昭和39年(1964)、神戸市灘区の六甲山麓で発見された国宝「桜ヶ丘12号銅鐸」と、大阪符茨木市の東奈良遺跡で発見された重要文化財、銅鐸鋳型の大きさや形状がほぼ一致することがわかった。
東奈良遺跡は、弥生時代の大環濠集落で、二重の環濠の中に高床倉庫や竪穴住居、掘立柱建物が見つかっている。銅鐸鋳型の他に、銅戈、勾玉の鋳型やフイゴなどが発見されており、青銅器を鋳造する工場の存在が推定されている。
★銅鐸のレプリカを作り、この鋳型にはめ込むと一致したという。模様が異なるので、この鋳型で作られた銅鐸ではないが、大きさやカーブの形状がほぼ同じでスッポリはまったということらしい。偶然の一致とは考えにくい。基準になる木型とか金型があって、それに合わせて作ったということであろうか。
★南にある佐和良義神社は延喜式、島下郡十七坐の一つである。祭神は、加具土神、平群都久命、早良臣の祖、天児屋根命などとされている。佐和良臣は、古事記で、平群都久宿祢の後裔とされているから、同族、武内宿禰の後裔である。天児屋根命は藤原氏の祖神。祭神はすべて「弥生の興亡」で秦系(呉系楚人、狗奴国系)に分類した神や氏族ばかりである。地名もサワ、ワラ、イバラなど秦系に分類した地名が重なっている。おそらくナラもそうである。
したがって、このあたりの住民は天之日矛後裔の秦系氏族、金山彦神を祭る韓鍛冶(からのかぬち)と呼ばれた人々の祖先と言い切って良いであろう。