★2世紀(168前後)に倭国大乱が起こった。その後の遺跡のようである。淡路島は和歌山、明石と同じく秦系氏族(天日矛後裔)が支配していた。この遺跡も秦系のものであろう。
秦系に関しては「弥生の興亡 http://www.eonet.ne.jp/~temb/ 、
泉黄金塚古墳と狗右智卑狗 http://www.eonet.ne.jp/~temb/9/Tonoki/Tonoki.htm 参照
兵庫県淡路市教育委員会は、同市の舟木遺跡(弥生時代後期)で、四棟の竪穴建物跡や鉄器57点などが見つかったと発表した。南西約六キロ離れた、五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(同市黒谷)からは鉄器127点が発見されているが、それを上回る規模の可能性がある。
同時に出土した土器の年代から、工房があったのは2世紀後半から3世紀初頭とみられる。 見つかった四棟の大型建物のうち、3棟は直径10メートルを超える大型で、1棟から4基の炉跡が確認された。柱が外側に寄り、中央が広いことから、作業空間だったと想定される。
鉄器は針や棒、板など小型。
当時、国内では鉄の原料を調達できず、大陸からの輸入品と推定される。
五斗長垣内遺跡からは鉄族などの武器類が多く、ほぼ同時期に存在していたが、生産物に違いがある。五斗垣内が消滅した後も、舟木で鉄器生産が続けられていたこともわかった。