三角縁神獣鏡と同形式の鏡が中国河南省の洛陽市で見つかったとする論文が地元の研究史に掲載された。(3月2日、朝日新聞)
この鏡は直径18cm、厚さ0.5cmで三角縁神獣鏡としては小型。日本のものは23.5cmくらいある。論文執筆者自身が洛陽の骨董市で農民から譲り受けたそうで、出土状況、農民の入手経緯などはまったくわからない。魏志倭人伝に記されている銅鏡百枚は三角縁神獣鏡とみる意見が多いが、中国からは一枚も見つかっていないため、疑問が呈されてきた。それに一石を投じる発見ではある。
★写真を見ると、はっきりしない文字もあるが、銘文はだいたい以下のように読み取れる。
「吾作明竟真大好上有聖人東王父西王母師子辟邪口銜巨位至公卿子孫寿」
「私は明鏡をつくった。真に大いに好いものである。(鏡の)上には聖人の東王父と西王母がある。師子、辟邪は口に(善悪を測る)差し金を銜える。位は公や卿に至る。子孫は長生きする。」 という意味である。
★これが本物かどうかというのがまず問題になるし、日本の鏡を中国へ持っていった可能性も消せない。遣唐使以前から、中国へ渡った人はたくさんいる。お土産に一枚というのもあり得るのである。後世、日本の畑などから出土したやつが、明治、大正、昭和期に中国人の手に渡った可能性もありそうだ。中国で発見されたから、卽、中国製とは言えない。
聖徳大学の山口名誉教授が、「全唐文」の第684巻(清代の編纂)に「昔、魏は倭国に酬するに、銅鏡の鉗文を止め、漢は単于に遣するに犀毘綺袷を過ごさず。並びに一介の使、将に万里の恩とす。」という文のあることを指摘している。
原文は「昔魏酬倭国止於銅鏡鉗文…」で。これは「昔、魏は倭国にむくゆるに銅鏡における文を鉗するのを止め、…」と読み下せる。「鉗」は「首かせ」で、「文」は「模様」を表す。要するに、銅鏡の模様の規制(首かせ)をはずしたという意味である。卑弥呼にプレゼントするため卑弥呼が好むかたちを選んだことになる。
逆に言えば、中国では銅鏡の模様が規制されていたわけだから、三角縁神獣鏡が見あたらないのも当然なのである。この鏡が魏代のものなら、規制はなし崩しになったのかという問題が出てくる。そういう理由から、倭鏡が中国へ渡った可能性を考えている。
三角縁神獣鏡のうち、卑弥呼に与えられた鏡は百枚。宗像大社に収められた秀麗な三角縁神獣鏡は天王日月の銘しかなく、道教的な文章を記した卑弥呼の鏡とは形式が異なる。おそらく壱与に与えられたのであろうと思われるから、同じく百枚か。それ以外はすべて模倣した倭鏡という私の立場からすれば、この鏡がどうあれ、影響を受けることはない。