2015/03/29 奈良県御所市の條ウル古墳
奈良県御所市の條ウル古墳(6世紀後半)が墳長約70mの前方後円墳であることがわかったと市教育委員会が28日までに発表した。
同古墳は2001年の調査で、蘇我馬子の墓説がある同県明日香村の石舞台古墳に匹敵する規模の横穴式石室(長さ約7.1m、はば約2.7m、高さ約3.8m)と8個の綱掛突起を持つ最大級の家型石棺(長さ約2.7m)が出土して注目されたが、墳丘が後世の開発で破壊されており、形状や規模がはっきりしていなかった。
大口峠を越えた山の裏側に古瀬という地名や巨勢寺跡、巨勢山口神社があるので、巨勢氏の有力者の古墳という説が有力である。ほか、葛城氏や蘇我氏なども視野に入れられている。
★これらの氏族の始祖、武内宿祢はもともと宇智(五条市)の支配者だったと考えられ、宇智へ向かう道筋は武内宿祢の後裔氏族が押さえていたと思われる。平群氏、紀氏は領域が離れすぎているし、葛城氏も葛城山麓を所領にしていたのなら、少し離れている。六世紀後半なら蘇我氏は仏教を信仰しているから、前方後円墳ではなく、石舞台古墳や都塚古墳のような方墳を作ったのではないか。やはり、巨勢氏ということになりそうである。