2015/05/19 淡路島、南あわじ市で銅鐸七個発見
兵庫県南あわじ市の建築資材メーカーの保管用砂山から、銅鐸7個が見つかったと、5月19日、兵庫県教育委員会などが発表した。
弥生時代前期末~中期初頭(紀元前3~2世紀)に鋳造された古式の銅鐸で、一度に発見された数としては、加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)の39個、大岩山遺跡(滋賀県野洲市)の24個、桜ケ丘遺跡(神戸市)の14個に次ぐ4番目になる。 砂は松帆地区内の数ヶ所から運ばれており、どこに埋められていたかはまだ特定されていない。七個は松帆銅鐸と命名された。古代の海岸砂丘部に埋納されていたと推定されるが、平地部で大量埋納が発見されたのは初めてである。松帆地区からは、以前にも銅鐸や銅剣が発見されているという。
銅鐸7個は、高さ31・8~22・4センチ。底幅18・5~12・8センチで、銅鐸としては小型のもの。3組6個は加茂岩倉遺跡と同様に、大きな銅鐸の中に小さな銅鐸をはめ込んだ「入れ子」状態になっていた。1個は菱環鈕(りょうかんちゅう)式と呼ばれる最古型式で、11例しか確認されていない。残る6個は外縁付(がいえんつき)鈕式という2番目に古いタイプである。
内部が確認された3個からは、銅鐸の内側に取り付け、打ち鳴らすための「舌(ぜつ)」と呼ばれる青銅製の棒(長さ約13~8センチ)が残っていた。舌は摩滅しているので、実際に鳴らされたと考えられる。銅鐸と舌が同時に発見されたのは二例目で珍しい。(各新聞記事のまとめ)
★淮南子繆称訓には、「鐸は聲をもって自ら毀れ」という言葉がある。「音を出すがゆえに壊れる」という意味だが、注に「鐸大鈴出於呉也(鐸は大鈴。呉に出る)」と記されている。「呉鐸」と書いてあるらしい一本もある(文字が呉と微妙に違うが、呉の書き間違いのように見える)。呉の産物として鐸は有名だったらしいのである。そして、激しく鳴らされたようでもある。太平御覧を見れば、木で舌を作ったのを木鐸、金で舌を作ったのを金鐸と言ったらしい。舌が発見されることが少ないというのは、木で作られるのが主流だったからではないか。中国の鐸と日本の銅鐸は少し形状が異なり、日本で独自に進化している。
表面に描かれた模様から、銅鐸は子孫繁栄や豊饒、生活の安全を祈って使われたのだと推定されている。「弥生の興亡、帰化人の真実3」に書いたが、「睪」という文字は引き継ぎや仲介に関係がある。つまり再生産。人間ならば子孫繁栄、動植物なら豊饒につながる。それに金偏が加わった鐸は、やはりそういう祭りに使われたのだと、文字の成り立ちからも推定できる。
2015/06/26 コンピューター断層撮影装置(CT)による解析で、入れ子状態になった2組、4個のすべてに、内部に音を鳴らす青銅製の舌が1本ずつ確認された。これで7個の銅鐸すべてに舌が付属していたことになる。
2015/08/13 内部にあった青銅製の舌や、吊り手の部分に紐が残っていることがわかった。銅鐸と紐がいっしょに見つかるのは国内初。一般的に予想されていたとおり、木の枝や柱などに吊り下げ、内部にぶら下げた舌を使って鳴らしていたことがはっきりした。