沖縄県北谷町教育委員会は、同町、平安山原B遺跡で見つかった縄文時代晩期の東北を代表する「亀ケ岡式土器」様式とみられる土器片を分析した結果、北陸や中部地方の人が西日本に来て作った可能性があると発表した。平安山原B遺跡は、北谷町役場から北西へ約1キロメートルに位置する貝塚時代後期から戦前にかけての遺跡で、標高約4メートルから5メートルの沖積地に形成されている。
分析した弘前大の関根達人教授(考古学)は「亀ケ岡式土器を知る北陸や中部の人が、九州などに来て作ったのではないか。人や情報のダイナミックな移動を示す貴重な発見だ」と話した。関根教授によると、成分を調べた結果、約7300年前に西日本一帯に降り積もった鹿児島県沖の海底火山の灰を含んでいた。また、亀ケ岡式土器の特徴として「工」の字を横に連ねたような文様があるが、見つかった土器片には工の字が2段重ねであしらわれ、北陸や中部地方で発掘されたものに似ているという。
亀ケ岡式土器は、青森県つがる市の亀ケ岡石器時代遺跡から出土したことに由来する。縄文晩期(3千~二千数百年前)の様式。
浅鉢の土台部分