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015/03/02
明日香の都塚古墳で、新たに「階段状の遺構」が見つかる。
蘇我稲目の墓の可能性が強いとされる明日香の都塚古墳(6世紀後半)で、墳丘の中復部分を発掘したところ、東南隅の石積みコーナー部が見つかったと、3月1日、明日香村教育委員会、関西大学が発表した。
昨年八月に墳頂部から下に階段状遺構が四段分見つかっており、階段ピラミッド状の方墳で国内では類例がないものであることが改めて裏づけられたとしている。東西約41m、南北約42m、高さ約4.5m以上、横穴式石室を設ける。すべてが石で築かれているわけではなく、方形の石垣をつくって底に石を敷き、その中に土を入れて固め段を作ったという形になっているらしい。上部を小さくしながら、それを何度も繰り返しているわけである。何段あるかはまだはっきりしていない。
★高句麗の積石塚などの影響を受けた可能性があるとされているが、よく似た形で、連想するのは大阪府堺市にある土塔や、奈良市高畑町にある頭塔という奈良時代の仏教遺跡である。これらの遺跡は仏教の須弥山を意識したものという説もあるから、都塚古墳と仏教の関係を頭に入れて置いても良いのではないか。日本書紀には欽明天皇のころ、蘇我稲目が仏教を受容したことが記されているし、他氏族の反発も記されている。時代の画期となるような形状、かつ類例がない孤立した古墳には、高句麗の墓制を参考にしたとするより、特別な個人的信仰に基づくとする方が理解しやすい。蘇我氏の本拠地で、これだけの大きさの方墳を作る力、その新規さを考えると、ますます蘇我稲目の墓と思えてくるのである。
稲目の墓を前提にして仏教と結び付く可能性を考えながらの相互依存的な主張になっているけれども。