新潟大学は同大学人文学部の橋本博文教授が代表を務める牡丹山諏訪神社古墳発掘調査団が、同古墳において新潟県最古となる古墳時代中期(5世紀初め)の鎧片を発見したことを発表した。これは古墳時代の鎧としては日本列島最北の出土例でもあり、今回の発見は、ヤマト政権の版図やヤマト政権と牡丹山諏訪神社古墳被葬者の関わりを考える上で重要な手がかりとなる。
「副葬品」と考えられるが、鉄板2枚のそれぞれに円孔を穿ち、そこに革紐を通して綴じ合わせていることが、同大医歯学総合病院診療支援部によるX線撮影により判明したという。これは、新潟県内では南魚沼市飯綱山10号墳の2点の短甲等に次ぐ4例目となる鉄製甲の出土であり、新潟県内最古の甲となるし、日本列島最北の古墳時代甲冑の出土例にもなる。鹿児島大の橋本達也教授は、この時代のよろいは薄くて柔らかく、実戦には使用されていないと指摘。「所持していることが、大和政権との関わりを示すシンボルだったのでは」とし「有力者の古墳の分布状況などから、福島県北部や仙台平野で出土してもおかしくない」と、さらに北で出土する可能性を示唆した。
★越後で一番勢力を持っていたのは弥彦神社を祭る一族と考えられる。このあたりはかなり北東に位置するので、当時、大和王権の影響の及ぶ最北端だったかもしれない。五世紀初め(紀元400年代初め)は、物部氏の邪馬壹国から崇神天皇の大和朝廷への王権交代の端境期なので、どちらの王朝の下賜品かは判然としない。