2015/08/19
御所市の中西遺跡で、古墳時代前期(四世紀前半)の多数の竪穴建物や区画溝の跡が出土したと県立橿原考古学研究所が発表した。
竪穴建物は方形で一辺が3mから6.5m、全部で26棟。鏡を模した石製品、土器なども発見された。
北東にある秋津遺跡からは、祭祀用と考えられる塀で囲まれた方形区画と現代の伊勢神宮などに見られる独立棟持ち柱建物と呼ばれる建物や竪穴建物が平成22年(2010年)に発見されており、今回の出土遺跡と一体化した大規模集落とわかった。
祭祀用建物との間には幅30cmから1mの溝が作られていて、橿原考古研は、用途を明確に区別し、計画的に建物を配置したことがわかる全国初の遺跡としている。建物の合計は81棟にのぼるが、今後も周辺から発見される可能性がありそうだ。
中西遺跡からは弥生前期のものであるが、2万平方メートル以上の大規模水田跡が発見されており(今のところ全国最大)、古墳時代以前からすでに発展していた土地である。古墳時代前期の今回の遺跡は、そういう下地の上に成り立っているのであろう。
★魏志倭人伝では、北九州で最も発展していたと思われる博多付近の奴国が二万余戸、それに対し、邪馬壹国は三倍半の七万余戸があるとされている。こういう遺跡の規模や密度を考えると、邪馬壹国は大和と考えるほかないのである。