ディンの関与原理

# ディンの関与原理・格の多色仮説

エニシキは絶対格の項(無標)が文頭にくるため、絶対格については容易に同定できる。

それ以外の格の項は格辞をつけて絶対格項以降に置くが、ディン・トポリ(Din Topoli)は「格の多色化」を指摘した。

すなわち、「格辞はある種の投影詞が項に膠着するようになったものであり、本質的には項は格役割的に多色的ではないか」という主張である:

「絶対格以降の格無標項は、「その文に現れている」というその事実によって、表される事態に何らかの形で関与していることを表明する。あえてこれに格をこじつけるならば、その事態に何らかの役割で関与しているという意味で「関与格」といえよう。しかしながら、私が主張するのは、別の一般的な格の存在ではなく、格の多色化であることには注意してもらいたい。つまるところ、エニシキにとって、格辞というものは投影詞が必ず現れるわけではないのと同様、項にとって本質的ではないということである。」

「絶対格以降の格無標項は「その文に現れている」というその事実によって、その事態に何らかの役割で関与していることを表明する」ということをディンの関与原理と呼ぶ。ディンはこの関与原理に関して、準基本2格、修飾3格、呼格については関与原理の範疇外であるということを注釈している。

このことから彼は、おそらくこれらの範疇外の格がエニシキに登場することによって、格の多色性が崩壊し、項に格辞が癒着していったのではないかと推察している。しかしながら、ディン自体は格の多色性の議論の中で「なぜこれらの多色性を崩壊させるような格が登場したのか、あるいはどのような起源があるのか」ということについては触れようとしなかった。一方で、最近発見されたテニシュカッケ(Tenickakke)の民の使うエニシキでは、格辞がほとんど現れておらず、ディンの提唱を裏付けるものとされている。