なぜ「恐怖」なのか
「恐怖」は、生命維持のためになくてはならない「感情とそれに伴う身体反応」です。ここで、「身体反応」を伴うというのがミソです。身体反応であれば、客観的に計測することができます。
たとえば、わたしたちが何かに対して恐怖を感じたとき、心臓がドキドキしたり、呼吸が速くなったりします。他の脊椎動物にも同じような現象がみられます。もちろん魚にも!
そこで、「恐怖の脳内機構の基本」を調べるために魚を研究材料にしているのです。
なぜ「魚」の脳なのか
魚の脳と人間の脳ー基本は同じ
魚もヒトも、おなじ脊椎動物です。脳の基本構造や構成要素は共通です。
基本は同じでも規模は大違い
ヒトの脳を構成するニューロンの数は、数千億ともいわれています。これでは、ニューロンのネットワークのレベルで研究するには規模が大きすぎます。
わたしたちの研究によれば、キンギョの脳のニューロン数はだいたい数千万ぐらいです。これならなんとかなるかもしれません。
さらに詳しく
私たちが感情と呼んでいるものにも生物学的には二つのレベルがある。ひとつは基本的な恐怖とか快感とかを含む「情動(emotion)」で、もう一つは言 葉を使って説明しなければならないような複雑ないわゆる「感情(feeling)」である。後者の「感情」は、自分の内面を報告できる動物(たとえば人 間)を対象としなければ調べるのは難しいが、「情動」はほとんどすべての動物が持っていて、その発現には、心臓の鼓動が速くなるとか筋肉が緊張するなど、 身体的な反応を伴う。よって生物学的な研究対象になりやすい。
われわれ人間の豊かな感情世界がいかにして生じるのかを理解するには、その生物学的基盤としての情動の仕組みを解明することが大きな助けとな るだろう。私たちはこのような考えから情動の脳内機構を研究している。情動には恐怖・不安・快感などいろいろな要素があるが、そのうちでも恐怖はその対象 (恐怖を引き起こす刺激)を明確に設定でき、生存のためにきわめて重要な役割を持つことから比較的扱いやすい。
私たちの研究室では、キンギョを実験動物として、恐怖学習の脳内機構をニューロンネットワークのレベルで明らかにし、脳の中で恐怖情動がどの ように表現されているのかを理解しようとしている。この研究によって、脳の働きと情動の関係、さらには人の感情の生物学的な基盤を理解する助けとなること を期待している。
キンギョの脳の構造は大まかに見るとヒトとほとんど同じである(図1)。もちろんサイズはずっと小さく、ニューロンの数も少ないが、脳の基本的な働きを調べるのに適した研究対象である。
キンギョの恐怖学習の脳内機構を調べるためには、恐怖条件づけと呼ばれる方法を使う(図2)本来無害な刺激(赤ライト:条件刺激)と軽い電気ショック (無条件刺激)を組み合わせて与えることによって、赤ライトを見るだけで電気ショックを予期して恐怖反応(心拍の減少:条件反応)を示すようになる。図2 のAとBはそれぞれ条件づけ装置の模式図と条件づけの手続きを示している。条件づけでは、10秒間の無条件刺激(CS)(赤ライト)の終了時に無条件刺激 (US)(軽い電気ショック)が与えられる。これを繰り返す。図2のCは心拍(心電図)でみた条件づけの様子である。条件刺激と無条件刺激の組み合わせを 繰り返すことにより、赤ライト点灯時に心拍が減少する恐怖の条件反応を示すようになる。
私たちの研究によって、キンギョの恐怖条件づけには小脳が深く関わっていることが明らかとなった。従来、単なる運動の中枢だと考えられてきた小脳が、恐怖などの情動の学習を含む高度な認知機能にも関係していることがわかってきたのである。
さらに、 最近の研究で、まさに恐怖学習が進行していくときの小脳のニューロン活動を、リアルタイムで追跡することに成功した。図3にその一例を示す。この小脳 ニューロンは恐怖条件づけ前(条件づけ第1試行)には条件刺激である赤ライトに対して反応しなかったが、恐怖条件づけが成立すると(条件づけ第20試 行)、赤ライトの点灯に反応して活動が低下することがわかった。これは、恐怖学習がなされる際に小脳のニューロンネットワークに変化が起こっていることを 示唆している。
Copyright (C) Masayuki Yoshida all rights reserved.