マタイ2;1~10
“ユウアンゲリオン”は、“喜びの音信”の意味で、普通、福音と訳されている。その点からすれば、イエス・キリストによって呼び出された者の群(私たちの教会)は、“喜びにあふれた人々の群”に他ならない。しかも、この群にあふれている喜びは、時間の経過と共にやがて色あせていくような一時的喜びではない。
“学者達は、その星を見て、あり得ないほど強烈に喜んだ。”(10石田私訳)と聖書にある。じっと星を見続け、長い旅を続けた。忍耐も困難もあったであろう。しかし、彼らのこの喜びは、忍耐と困難を越えて、あまりあるものであった。この喜びは、もう彼らから離れ去ることも色あせることもない。生きている限り、心に湧きあふれ続ける、これは喜びの泉なのだ。
たとえ、ここに十字架と復活が未だなかったとしても、しかし、“あり得ないほど強烈な喜びにあふれた”(10)と確かにマタイは、私たちに告げているのである。
(文・石田 龍三)