終わらないグローバルのための教育
院生協議会顧問 大前敦巳
大激動の時代である。アメリカでトランプ大統領政権が再現し、1989年のドイツ・ベルリンの壁崩壊から進展したとされるグローバルな世界秩序が大きく変わろうとしている。これまで政治、経済、言語、文化、情報通信技術など様々な面で「現代のローマ帝国」たるアメリカ合衆国が覇権をとってきたが、そこに自ら背を向ける転換点に世界が直面することになった。グローバルな流動性に対する反動として、各国で自国中心主義的な勢力も台頭してきている中、国際的な協調と分断の岐路に立たされているわけであるが、「覆水盆に返らず」で地球規模に広がった生産活動(あるいは環境、気候、健康、平和などの課題解決)が元に戻るわけではない。教育においても、OECDのPISA学習到達度調査やキー・コンピテンシー、国際連合・ユネスコの持続可能な開発のための教育(ESD)や開発目標(SDGs)は、日本の教育政策や学習指導要領などに大きな影響を与えてきた。
次期学習指導要領改訂に向けた中央教育審議会の諮問文書に記されたように、まさに「社会や経済の先行きに対する不確実性がこれまでになく高まって」いる中で、現行の「主体的・対話的で深い学び」と「社会に開かれた教育課程」、「協働的な学び」と「個別最適な学び」、「情報活用能力の育成」と「教科横断的な学び」などの論点をどうリニューアルするかが議論され始めている。今後数年間かけて深められることを期待するが、ナショナルな枠組みだけでなく、グローバルに開かれた公益や貢献に果たす役割が、先進国のリーダーとして求められるだろう。どの国も同様の課題解決に向けた教育政策が打ち出されているのであり、教育を通じた人材育成によって世界中のできるだけ多くの人々が知恵を出し合い対話を繰り広げられるようにすることが、私はとても重要であると考える。今やオンラインミーティングでリアルタイムに行うことができるのであり、AI翻訳機能を使えば言語の壁も乗り越えやすくなった。他方で、インターネットやSNSでは分断や対立をあおるメッセージも世界中で氾濫しているのだが、それに打ち勝つことはできるだろうか?
もちろん各国の教育はその国の税金で多く担われているものの、それもグローバルな共用に現に開かれている。私はこれまでフランスとの国際比較を行ってきたが、中世来の学問中心地であるパリのカルチエ・ラタンにあるソルボンヌから、最近の科学技術の発展に合わせて新たに二つの研究拠点が郊外につくられた。一つは、北部のオーベルヴィリエに文学・人文社会科学の拠点となるコンドルセ・キャンパスが建設され、ヒューマテックと呼ばれる情報技術を駆使した図書館も開館した(写真)。もう一つは、南部のサクレーにある理工系のキャンパスで、「フランスのシリコンバレー」と呼ばれて世界ランキングの上位に入る機関が集まっている。いずれも単なる技能を身につけて社会に適応する職業養成ではなく、それを何のために活用するのか自ら考える幅広い見識をもつ技術者、医師、法律家、教師などの専門職を養成しているのであり、そこに「理論と実践の往還」をなす一つのモデルがあるように思う。本学も校舎や図書館が改修されて使いやすくなったが、そこで何のために学ぶのか、今のような時代だからこそ多くの学生が集まって互いに考えていただき、それぞれの専門性を発揮し活躍できる教員になってほしいと願っている。
パリ北郊外オーベルヴィリエのコンドルセ・キャンパスにあるヒューマテック人文科学図書館(筆者撮影)